Vol.1005 20年4月4日 週刊あんばい一本勝負 No.997


車窓のライオン

3月28日 為政者たちの自粛要請をきいて、オレにとって「自粛」って、いつもの日常なんだと気が付いた。わが人生は毎日毎日が自粛の日々である。人に会うよりは家や事務所で本を読んだり映画を観たり音楽を聴いたりする時間が圧倒的に長い。言葉を発するのは電話や連絡事項のみで、これが1ヵ月続いても苦痛ではない。50年も同じ仕事を続けていると自然とそんな体質になってしまう。家と仕事場は30秒でつながっている。この30秒以外、外気に触れなくても生きていける生物に進化(退化)してしまった。人はそれでも十分楽しく充足して生きていける。

3月29日 ウエットテッシュがなくなったのでコンビニに買いに行くと見事になかった。ウエットテッシュなんて半年に1回しか買わないものだ。これが買い占めってやつなのか。話変わってオリンピックのサッカー競技には年齢制限がある。「そんなしょうもない競技会(五輪)にワールドカップ級の大切な選手を出場させるわけにはいかない」というサッカー界の価値観のせいだ。たしか野球にも年齢制限があった。アメリカの大リーガーにとればオリンピックなんぞ一銭の金にもならない、しょうもないイベントだ。アスリートファーストなんて言う言葉を聞くと、ホンマかいなと眉に唾をつけたくなる。

3月30日 散歩の途中、駅前で大きなキャリーバックを引きずって歩く若者を見かけた。外出自粛の東京から帰ってきた学生なのだろうか。東京にはバイトもないし娯楽場も締まっている。田舎に帰ってきた開放感から夜の繁華街で仲間たちと大騒ぎするものも出てくるのは間違いない。コロナウイルスによる倒産や自殺者の心配ばかりしていたら、新聞社会面はしっこに山本博文氏が63歳の若さで亡くなったことが報じられていた。江戸時代の武士や大名の暮らしをユーモラスに紹介してくれた歴史学者だ。江戸時代に興味を持つきっかけを作ってくれた本の著者でもある。合掌。

3月31日 世のなかがすっかり静かになったので2日前の日曜日から懸案のブラジルの原稿を書き出した。この40年間、何度も書いては挫折、取材に行っては頓挫を繰り返してきたものだ。ブラジル・アマゾンの日本人移住地を訪ねた記録なのだが、この仕事に歩みを進めると、他の仕事が手につかなくなってしまう。で、いざ執筆に入ると、やはり大変な仕事であることを痛感、今も心折れそうだ。

4月1日 新聞社の方々が3名も訪ねてきた。2時間近くおしゃべりしてストレスをずいぶん軽減できた。あとはひたすら「トメアスー紀行」という誰に頼まれたわけでもない、自分のライフワークの原稿を書いていた。シンドイが楽しい。楽しいがひどく疲れる。疲れるがやめられない。夢中になるとのめり込んでしまう。

4月2日 『向田邦子ベスト・エッセイ』(ちくま文庫)を読んでいて、ぶっ飛んでしまった。中央線で帰る途中、車窓に木造アパートのくたびれた男が見えたが、なんとその隣にはライオンもいた、という「中野のライオン」というエッセイだ。人にしゃべるとバカにされそうで、黙ったまま20年の歳月が流れた……という話だ。そのエッセイが雑誌に載った後、「ライオンを飼っていた者です」と著者に突然の電話がある。この顛末は「新宿のライオン」というエッセイに続編として書かれているのだが、いやぁ驚くやらコーフンするやら、ホンマかいなと何度も読み直してしまった。これに類した「衝撃的なエッセイ」も何度か読んだことはあるが、このライオンの話は強烈さではたぶん一番だ。車窓のライオンは自分の幻覚、と思いはじめたあたりでエッセイが終わっているのだが、その続編があったのだ。

4月2日 散歩の足を延ばして駅周辺を歩いてきた。コロナの影響がどの程度及んでいるのか好奇心が勝ってしまった。駅ナカのスタバでゲホゲホ咳をする東南アジア系の中高年の夫婦がいた。おまけにこの夫婦、スタバを無料休憩所と思っているようで飲食の注文はなしだ。帰りにナンバープレートに「富士山」と表記のある車を見つけた。日本国中のナンバープレートを秋田県内で見ているつもりだったが、「富士山」というプレートは初めて。小腹がすいたので食べ物を探したら、レンジに2日前に食べようと思ってチンしたサツマイモがあた。チンしたことを忘れてしまっていた。手帳に毎日食べたものを記録しているのだが、この頃、前日の夜に食べたものを思い出すのに苦労する。終末の日は近い。
(あ)

No.997

出家への道
(幻冬舎新書)
笹倉明

 過去に著者の執筆した本で、読んだことのあるのは『昭和のチャンプ たこ八郎物語』だけ。この本の出版記念会で著者ご本人にお会いしたような記憶がある。直木賞をとった人気作家だったが本はイマイチ面白くなかったことを覚えている。その作家が突然日本から消えた。タイで出家したとのニュースは新聞のトピックスで知った。でも突然のニュースを聞いても奇異な印象は受けなかった。そう来たか、と半ば得心してしまったのだ。作家として長く生き抜いていける人は、直木賞受賞作家と言えども一握り。よほど才能がない限り生き残るのは難しい。本書は、タイ仏教出家式のドキュメントの合間に、本人の日本での回顧が交錯しながら綴られる。タイ仏教には興味がないので、すっ飛ばして。もっぱら日本での反省的回顧のほうのみを読んだ。異国へと落ちていく作家の暗い背景に興味があったからだ。なぜ俗世を捨てたのか、捨てなければならなかったのか。納得のいく答えはあるようで、ない。幼い息子をプロゴルファーにしようと英才教育をする。家族をめぐる愛と苦悩。お金や酒、仕事の行き詰まりまで、赤裸々につづられているが答えではない。「この人物は、数年後、日本に帰ってくるのでは」というのが、私のちょっと正直な読後感だ。

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