Vol.1006 20年4月11日 週刊あんばい一本勝負 No.998


腰痛に苦しむ日々

4月4日 今週は3組の来客。全員が新聞記者だった。取材ではない。年度末の赴任あいさつや雑談、相談といった要件だ。メディアもすっかりデジタルの隆盛時代、紙の情報が疎んじられる速度は年々速くなっている。大手新聞社も経営的に深刻な状況になっている。新聞の広告掲載値段でその窮状をうかがい知ることができる。全国紙の新聞広告費は30年前の10分の一にまで落ちている。安くても広告効果はほとんどないから値段と効果は釣り合っている。それでも新聞広告の掲載は必要なのだ。全国にちらばる読者に「私たちはまだ生き残っています」という掲示板の役割を果たしているからだ。

4月5日 その昔、家の前の田んぼは遠く大学病院にまで広がっていた。その風景で季節を感じることができた。田んぼがなくなったこともあるが、雪も降らず、鳥の姿も減り、自然から季節を感ずる機会が失せた。昨夜、焼酎のオンザロックを呑んだ。その前まではずっと日本酒の冷や。ビールを呑む習慣がないので、晩酌の酒がなんとなく失った季節感を身体に取り戻す「アクセント」のようになった。暖かくなるとハイボールを飲むようになるし、秋から冬にかけてはワインが多い。雪の日は熱燗や焼酎のお湯割りだが、今年の冬はほぼこの「酒の季節感」もなしで過ぎてしまった感じだ。

4月6日 夜は熟睡しているし排便も良好。食欲はあるし、運動不足は否めないが散歩は雨の日も欠かさない。仕事はヒマだが、自分の本を書くのには絶好の「隙間」だ。これ幸いとばかりに「トメアスー紀行」という原稿を書いている。この40年間取材してきたアマゾンの日本人移民の物語だ。世のなかの動きが止まっている今しかできない、この仕事にしばらくは集中するつもりだ。

4月7日 なんの前触れもなく突然腰痛。原稿書きで毎日8時間は最低椅子に座っているせいで腰がコチンカチンに固まったのだろうか。一晩寝ても痛さは変わらない。椅子から立ち上がる時がやっかいだ。座るときも同じで慎重にゆっくりとしか動けない。「2,3日で自然に治る」というのがカミさんの見立てだが、本当だろうか。近所にできた整骨院に行ってみるか。

4月8日 山口文憲編『やってよかった東京五輪』(新潮文庫)を読んでいたら、今の東京渋谷のNHKがあるワシントン・ハイツから64年の物語が語られていた。ここに「ジャニーズ」という少年野球チームが誕生する。大谷派の海外布教師の息子で米軍属(通訳)として日本に帰ってきたばかりのジャニー喜多川だ。ここからあの大手芸能プロはスタートした。半世紀後の今、そこのタレントたちは我が物顔でオリンピックの広告塔、目玉商品として跋扈している。64年のオリンピック当時、選手以外のスターはタレントではなく圧倒的に作家だった。大江健三郎、三島由紀夫、川端康成、柴田錬三郎といったスター文士たちの書く観戦記を人々は競って読み漁った。観戦記が今のジャニーズのタレントと同じような比重と人気で語られていた時代があったのだ。作家・菊村至は「オリンピックは富士山に登るのと同じ。一度はやってみるべきだろう。ただし二度やるのはバカだ」と書き記している。

4月9日 ようやく原稿書きに全神経を集中できる環境になったのに、思わぬ伏兵の腰痛に邪魔されている。何とか早く治したい。いや、その前に原因を突き止めたい。腰に負担のかかるような「事故」を起こした覚えはない。2,3日前、どしゃ降りで散歩をやめた。次の日、腰の調子は元に戻った。なんだ一過性の痛みだったのか、と安心して翌日また散歩に行っら次の日、腰痛がひどくなった。というあたりから察するに、これは疲労による腰痛と考えられないだろうか。妄想するより医者に行け、と怒られそうだが、原因を突き止めてから医者に行く、というのが小生の生き方だ。誰にも文句は言わせない。ということでまずは「疲労」ということで納得、近く整骨院に行って施術してもらおう。

4月10日 早速、近所の整骨院へ行く。案の定、首から背中が「緊張でガチガチに固まっている」といわれ、そこをもみほぐして、入念にストレッチ、電気を当ててもらったら、痛みの7割がきれいに消えた。ここ数週間、根詰めて原稿を書いていたこと。ここ2ヵ月ほど山行がなく運動不足だったこと。そんなことが積み重なり腰痛を引き起こしたと推測して間違いないようだ。いろんな体のケアー不足が最終的に腰で爆発したわけだ。あまりにキレイに痛みが消えたので、念のため、今日もマッサージを兼ねてで整骨院に行くつもり。保険がきくので入念にストレッチしてもらっても500円ほどの治療費だ。普通のマッサージ院の十分の一で済むから敷居も低い。いやはや今回は助かった。 
(あ)

No.998

いまひとたびの
(新潮文庫)
志水辰夫

 名作の誉れ高い本書の文庫版が出たのは97年、本書はその文庫の21世紀改訂版だ。この新版には「今日の別れ」という新しい作品も加えられている。冒険小説の書き手として華々しくデビューした人だ。ところが本書は作風がまるで違う。人も死ななければ、スーパーマンのような主人公も出てこない。血も涙も凶器もアリバイも関係がない静かで穏やかなときの流れる短編集だ。どこにでもいる中高年の夫婦の日常を鮮やかに掬い上げる物語だ。主題の違う短編9編で構成され、各短編には主人公とともに花の描写が頻繁に出てくるのが大きな特徴だ。物語世界はモノクロームなのだが、その世界に突然咲き乱れるかのごとく彩の華々しい花たちが頻繁に登場する。花は物語に自然と季節のリアリティをもたらす絶妙な小道具だ。印象に残ったのが「夏の終わりに」という短編だ。初老の男が待つ故郷の街に、いまだバリバリに活躍するキャリアウーマンの妻が遊びに来る。なかなか一筋縄では解説できない設定だが、これが実にいいのだ。どこの夫婦にもありそうで、どこの誰とも似ていない。微細な関係の「あや」を、簡単な会話の中から少しずつ読者に伝える、その手腕はみごととしか言いようがない。

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