Vol.1009 20年5月2日 週刊あんばい一本勝負 No.1001


自粛の日々です

4月25日 散歩はしているのだが運動不足は否めない。外の空気を吸いたいので散歩コースを変えて気分転換。10年以上行っていない大学病院裏の山際の田んぼ道を歩いてきた。道端のヒメオドリコソウの毒々しい薄紫色だけが我が物顔に咲き誇っていた。イヌノフグリの花が可憐で神々しいほど美しく映ってしまうほど。森に入る入り口には「クマ注意」の看板。この森の上にはお墓があるようだ。その供物を狙ってクマが出没しているのだ。鳥の鳴き声もかまびすしい。20年前と同じように、あまり人が入らない場所だからだろう。建物も人工物もほとんどないのだが、自然でもない、不思議な空間だった。

4月26日 家を建てた住宅会社から「40年診断」なので伺いたいと連絡。エッこの時期に。1時間ほど家の中を診断し、最後は説明の場に同席させられた。さらに正式な報告書は来週早々レポートにしてまた伺いたいという。いやいや郵送でいいでしょう、と言うと、了承の印が欲しいのでまた来ますと言う。この人の上司はこの時期の訪問営業を積極的に勧めているのだろうか。保険会社ですら「印は郵送で」と直接訪問をしていないのに。

4月27日 1997年に出た『時代の風音』という本を読んでいる。堀田善衛・司馬遼太郎・宮崎駿の鼎談集だ。面白い。最近『片手袋研究入門』という本が出た。雪のとけ始めのころ路上でよく見かけるあの片っ方だけ落ちている手袋の路上観察の本だ。著者は芸術家のようだ。定価が2600円もするので、買うのに逡巡している自分が情けない。もうちょっと考えさせてください。

4月28日 助成金に関するメールが何件か。200万円ぐらいはくれてやるから早く申し込めというもので、もちろん詐欺メールである。助成金も補助金も基本的には返済不要な国からの貨幣支給だ。補助金は審査があるし、助成金は一定の条件を満たす必要がある。この手の税金は大嫌いだ。秋田で、よくこんなことができたなあと思うイベントや手の込んだ印刷物、有名人を使ったキャンペーンや無料の行事などは、ほぼ間違いなく税金で賄われているお祭りだ。税金のバラマキには「眉に唾」すべきであることを経験上知っている。こういった詐欺メールへの厳格な罰則というのはできないものだろうか。

4月29日 アウトドア派のように思われることもあるが、基本的には筋金入りインドア派。本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり、ひとり酒もまったく苦にならない。料理も後片付けも資料調べも昼寝も原稿書きもイヤではない。一日中誰とも会話しなくても苦痛は感じないし、家でやることは無限にある。自粛なんて屁の河童だと思っていたのだが、「あれをするな、これをしろ」と言われるとムラムラと反発心も。引きこもりながらしか見えない世界を冷静に見続けようと思っている。

4月30日 いくら「自粛好き」と言ったところで、心の奥深くではどこか滓のようにストレスが溜まる。今ひとつ体調が良くない。というか、まるでやる気が起きない。外に出たいのだが、出るとすぐに家に帰りたくなる。首周りにできた蕁麻疹は思い出したように痒くなる。何をやっても達成感のないまま、暗さの増していくトンネルの中に迷い込んで行く。ときどき息苦しさも覚えて、大きく深呼吸をしたりするのだが、じわじわと締め付けてくるような閉塞感は、いまの社会全体を覆っている空気なのだろう。自分だけここから抜け出すというのは虫のいい話なのかもしれない。

5月1日 コロナ騒動に乗っかって、閉塞感だ、調子が悪いとグチばかり言っている。世間の怠惰な空気感に便乗して怠けて誰かのせいにしたい。おコボレをもらい、損はしたくない、というだけだ。今日から5月、性根を入れ替えて真剣に仕事と向き合おうと思っている。ところで昨日、録画していたチャップリンの『モダンタイムス』を観た。世界の名作と言われる映画だが、名作はもういいやという気分で、避けていた。ちゃんとした恋愛映画だったのにまずはびっくり。デジタル処理がされているからだろうがモノクロ画像もきれいだし、カメラアングルも斬新だ。いま観てもまったく古くささを感じない。古典や名作を毛嫌いするのはダメだなあ。
(あ)

No.1001

向田邦子ベスト・エッセイ
(ちくま文庫)
向田和子編

 何気なくこの本を読んでいたのだが、あるエッセイて、ぶっ飛んだというか、目がぱちりと覚めてしまった。中央線に乗って帰る途中、車窓に木造アパートのくたびれた男が見えた。そして、その男の隣にはライオンがいた、という「中野のライオン」というエッセイだ。人にしゃべるとバカにされそうで、黙っまま20年の歳月が流れた……という結末である。このライオンが本物だったのか、著者の幻だったのか、書かれていない。でも物語はここから始まる。このエッセイが雑誌に載った後、すぐにライオンの飼い主から「ライオンを飼っていた者です」と著者に電話があったのだ。この顛末は別の「新宿のライオン」というエッセイに続編として書かれている。その真実が2本目のエッセイでようやく明らかになるわけだ。コーフンして何度も読み直してしまった。これに類した「衝撃的なエッセイ」も読んだことはあるが、本書のライオンの話は強烈さでは一番だ。乗客の多くもライオンを見ているはずなのに無言で無視、と言うあたりが面白い。自分だけの幻覚か、というあたりでエッセイは終わっているのが、いい。

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