Vol.1010 20年5月9日 週刊あんばい一本勝負 No.1002


1週間が早いのは山行がないせいダ

5月2日 女学生かと笑われそうだが、同年配の同性のペンフレンドがいる。彼は大変な手紙魔で万年筆の自筆の手紙が週1回送られてくる。私の返事は絵ハガキでサラリ、だ。彼の情熱にはとても及ばない。彼は有名フランス料理店の元オーナーシェフで、著作もあるし、その筋で知らない者のいない人。20年前、レストランの絶頂期に引退し(本を読み、旅をしたいため)、いまは関西の街で悠々自適の生活をしている。その読書量はハンパない。ヨーロッパの歴史や文化をメインに、エンタメから哲学書まで、かみ砕くように本を読みまくる。文通の内容も「何を読んだか」がメインテーマだ。それ以外にも封書に新聞記事を切り抜いた書評やエッセイをどっさり同封してくれる。70歳を過ぎたジジイのペンフレンドって、へんですか。

5月3日 山行がないので日曜日も早起きしなくていい。早起だけは苦手で一向に慣れない。山行がない日曜日はカミさんの了解をいただき、好きな時間まで寝ていていい。今日も起きたのは11時半。寝たのが12時半ぐらいだから11時間は寝ている計算だ。この年で楽々10時間以上寝ていられるというのは少しヘンだろうか。気になるのは夢をよく見ることだ。最近はコロナ過の影響か「月末の資金繰りで苦しむ」夢が多い。これは目覚めても後味が悪い。

5月4日 自粛騒動でよかったなあと思うことがある。コンビニなどで「フォーク並び」が徹底されてきたことだ。複数のレジがあっても好きなレジの前に立って順番を待つのが、秋田では当たり前。フォーク並びは秋田駅のチケット売り場だけだ。複数のレジがある場合、待機場所は一カ所で、そこから枝分かれしてレジに向かう、という基本マナーが、秋田では通用しなかったのだ。昨日入った近所のコンビニは1点待機の場所が地面に明示されていた。喜ばしいことだ。

5月5日 GW中に田植えが始まると思ったが、まだ早いようだ。以前、関西旅行をした時、田植え時期が秋田と同じ時期であることに驚いた。気象条件ではなく経済的な背景(農協の都合とか)のようだ。関西では都会で働く人たちがGW中に帰省して田植え手伝いをするのが恒例だそうだ。このコロナ禍で、関西では「田植えに帰ってこないで」と悲鳴を上げているかもしれない。わが秋田では農業県なのにそんな声はみじんもない。この差は交通の便によるものなのだろうか。

5月6日 やることはたくさんあるが、一気にことを片付けてしまうのは得策ではない。翌日に反動が出て、結局はまわり道をすることになる。時間があるからといって一点集中で仕事をするのは効率的ではない。「こんな調子いいのは、ちょっとまずい。余力はあるけど明日に残しておこう」というあたりが体力的には一番いい。限界を超えてやりすぎた結果は反動の倍返しだ。3つある仕事をうまく回すには野球の先発、中継ぎ、セットアップのように、ステップ毎に気持ちを変え、いつのまにか仕上がっている、というのが理想だ。

5月7日 今日からほとんどの飲食店の自粛解除が始まるようだ。コロナ前とコロナ後で本当に世界は劇的に変化するのだろうか。昨日は散歩がてら近所の飲食店の自粛告知の貼り紙を見て回った。近所のオヤジしか行かなそうな寂れたカラオケスナックに「県外客はご遠慮願います」の貼り紙があった。近所の人だって入るのを見ることがないような店なのに、この強気は笑える。隣のバーには「殿のご意向により自粛」。歴史的事実なだけに納得。学生街のせいか「真夜中の腹減り野郎たちへ」という過激な呼びかけの定食屋も。「あなたのために料理をつくられなくなった」と無言の国への抗議と無念さが綴られていた。ずっと開いてたのは市内でも屈指の激戦区といわれるラーメン屋とすし屋。ラーメン屋は繁盛店のメッカなので自粛なしとは思っていたが、すし屋はコロナ以前からほとんど客の入らない店ばかり。コロナ程度ではびくともしない(笑)。相変わらず客は誰もいないのに営業を続けていた。なぜ客の入らないすし屋が継続できるのか、納得できる答えを誰か教えてほしい。

5月8日 もう週末だ。おそろしいほど1週間が早い。こちらはいつもと変わらず定時に起きて、出舎、定時に家に帰り、夕食、また事務所に戻って映画を観たり、原稿を書いたり。9時には帰宅(と言っても30秒だが)し、風呂にはいって寝る、の繰り返し。なのに猛烈なスピードで1週間は過ぎさった。特別に仕事が進んだわけでも、特筆するような出来事があったわけでもない。ボーっとしているうちに時間が勝手に通り過ぎたという感じ。印象的な出来事や事件があると1日や1週間は早く感じる、と思っていたが、何もない時間もけっこう素早く走り去っていく……と書き終わってから気が付いた。1週間を早く感じたのは、ずっと生活の中に定着していた「山行」がなくなったからではないのか。
(あ)

No.1002

やってよかった東京五輪
(新潮文庫)
山口文憲編

 今の渋谷NHKのあるあたりのワシントン・ハイツから64年のオリンピックの物語が語られていう。ここでジャニーズという少年野球チームを作って動き出したのがジャニー喜多川という人物だ。彼は大谷派の海外布教師の息子で米軍属(通訳)として日本に帰ってきたばかり。そこからあの大手芸能プロはスタートした。 それから半世紀、ジャニーズ事務所のタレントはオリンピックの広告塔、目玉商品として毎日のようにTVに顔を出し、うんざりするほどだ。64年のオリンピック当時は、映画やスポーツ選手以外にスターといえば圧倒的に文士たちだった。大江健三郎、三島由紀夫、川端康成、柴田錬三郎といったスター文士の書く観戦記が紙媒体のハイライトで、人々は競って読み漁った。彼らのけっこう小難しい観戦記が、今のジャニーズのタレントと同じような熱狂で語られていた時代があったのだ。作家・菊村至は、オリンピックは「富士山と登るのと同じ。一度はやってみるべきだろう。ただし二度やるのはバカだ」と書き記しているのが慧眼だ。山口文憲は大好きなライターだが、彼の論考だけでこの本を読みたかったのだが、半分は新聞記事や文士たちのエッセイの再録だった。残念。

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