Vol.1053 21年3月6日 週刊あんばい一本勝負 No.1045

忙しくなりそうな3月が始まった

2月27日 3月に出る本の予定は増刷1点も含めて4点。さらに半年ぶりに紙のDM通信が中旬に発行される。自分の原稿も2本書かなければならない。著者からの依頼もあるが出稿する新聞広告も5社。1カ月限定でいえば、この数もかなり異常だ。いろんなことが勝手(偶然)に重なり3月にすべてが集中してしまった。

2月28日 湿原をスノーシューで歩くハイキング。冬師雪原は鳥海山がもっともよく見えるロケーションにある。ここをぐるりと1周すると約6キロ。約5時間近くかかった。雲ひとつない晴天で顔は日焼けで真っ赤。温泉は大内の「ぽろろっこ」だったが、脱衣場で隣のヨボヨボ親父に脱衣かごの位置をめぐって因縁をつけられ「お前、やるか」とすごまれた。歩くのもままならない太り気味の80歳前後のジッコだった。ドンとひと突きすればヨロヨロと崩れて、頭でも打たれると殺人罪に問われそうなので、おとなしく引き下がったが、これって、あの「あおり運転」と同じ心理だな、と思い至った。

3月1日 朝起きたら顔がこわばっていた。昨日の超晴天の冬師雪原スノーハイクで日焼けしたせいだ。雪原には飛び跳ねて歩くカモシカの足跡がいくつかあった。どうしてこんなに歩幅の間隔があいているのか不思議だったが、時を置かずスノーモービルに乗った男たちが背中に猟銃を背負って現れた。なるほどこいつらが追い詰めていたのか。帰途の温泉場で「鯨ハム」(和歌山大地産)をゲットしたが、生臭くて食えたものではなかった。騙されたような不愉快な気分。鳥海山の青空が台無しだ。

3月2日 朝晩、白鳥の美しいとは言いがたい鳴き声がかまびすしい。家の上空は白鳥の北帰行の通り道になっている。汚い鳴き声とは裏腹にきれいなV字編隊を作って飛んでいる優雅な姿が美しい。散歩の途中、見慣れないサソリのエンブレムのついた車を見かけた。車体の「ABARTH」というメーカー名だけメモして帰って調べたら、アバルトというフィアット系のイタリア車だった。

3月3日 文献資料の多くが残る江戸時代であれば、その資料を基にいろんな物語を作り上げることが可能だ。それ以前の織豊、戦国時代になると極端に文字に残された記録は少なくなる。鳴神響一『斗星、北天にあり』(徳間文庫)はその空白の時代を描いた貴重な秋田の物語だ。16世紀の秋田の豪族、武士たちの政争が生き生きと描かれている。主人公は佐竹氏が転封される前の安東愛季(ちかすえ)。時代小説としての出来不出来はよくわからないが実に興味深く一晩で読了。安東以外の当時の秋田の為政者たちの動静も詳しく書かれ、当時を知るうえで重要な指針になる本だ。

3月4日 久しぶりに明徳館へ。地元紙の年鑑をチェックする必要があったのだが、その年鑑が2015年で廃刊になっていた。採算のとれる出版物ではないので経営的に重荷になったのだろうか。なくなるとそのありがたさに気が付くが、代替のきくものがないから困ってしまう。紙の文化の断末魔が聞こえるようだ。

3月5日 コロナ禍になって日常生活のルーチンが少し変わった。朝はいつも通り起き、朝ごはんを食べ、9時前に出舎。午前中はデスクワークをし、昼は自分で作ったランチ(いまはダイエット中でリンゴ・カンテン)。午後からは1時間半ほど散歩に出て気分転換。帰ってきて残りのデスクワーク。図書館に行ったり買い物も散歩の前後に済ませる。5時に仕事を終え、家に帰って早めの夕食。晩酌はワインか焼酎で軽く。夕食後また事務所に戻り、ちょっと仕事をしてDVD映画を観る。毎日のように映画を1本観るくせがついたのが、自粛中のもっとも大きな変化かもしれない。9時には家に帰り、風呂にはいって、11時ころに寝床に。寝ながら約1時間本を読み、就眠……といった毎日を繰り返している。人が訪ねてくる機会も減ったし、こちらが外に出る機会もほとんどない。まあこんなものだろう。取り立てて不満もない日々だ。
(あ)

No.1045

じい散歩
(双葉社)
藤野千夜

 ちょっと不思議な本だ。ホームコメディ風の家族小説だが「面白いのだが、面白くない」本だ。夫婦合わせて180歳になる仲がいいのか悪いのかわからない夫婦と、3人の全員独身の中年の子どもたちを描いた家族小説だ。さしたる事件は起きず、それぞれの特異なキャラクターだけで成り立っている。じいこと新平は散歩が趣味で健啖家。妻は90歳の夫の浮気をしつこく疑う健忘症。長男は高校中退で引きこもり。次男はしっかり者で自称・長女。末っ子は事業に失敗して借金まみれ。もうこれだけでハチャメチャ家族コメディは出来上がったも同然だが、なぜか「じい」と「次男」以外はうまくキャラクターが立ち上がっていないのだ。そうこうするうち不完全燃焼のまま物語は終わってしまう。何か起きそう……と期待して読み進むが、それ以上には進展はしない。キャラクターの駒がうまく動いてくれない。ヘンな小説だなあ、と思いながら最後まで読んだのだが後半、気が付いた。これは著者のリアルな現実を描いたノンフィクションなのだ。著者は「自称・長女」こと次男なのだろう。ほとんど著者の身の回りで起きた現実をディフォルメしてフィクションにした物語と考えたほうがいいのだろう。

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