Vol.1054 21年3月13日 週刊あんばい一本勝負 No.1046

出羽の武将・安東愛季を追っかけて

3月6日 テレビを録画するのは99パーセントNHKだ。それもノンフィクション。必ず録画するのは「グレートレース」やアウトドア系のドキュメンタリーで、昨日は2014年に放映された地球アドベンチャー『冒険者たちー北極圏サバイバル』を観た。登山家・服部文祥恐るべし。食糧を全く持たず極地に出かけることの「極限」が大げさにならず淡々と描かれている。撮影スタッフにも敬意を払いたくなる番組だった。こういうドキュメンタリーをもっと見たい。

3月7日 江戸時代の前、織豊時代の秋田のことを少し勉強している。この時代は能代檜山と湊土崎を支配した安東愛季(ちかすえ)の時代だ。角館の戸沢、県南の小野寺、由利十二頭といった豪族も群雄割拠していた愛季が一頭地を抜いた権力者だった。その愛季がもっともおそれたのが東の南部であり、南の庄内を支配する大宝寺だった。南部も大宝寺も由利や比内(大館)を狙っていたからだ。徳川幕府が登場する15年ほど前に愛季は49歳で亡くなったが、安東を継いだ息子の実季(さねすえ)は「秋田」姓を名乗り、徳川幕府により常陸国宍戸5万石に転封。以後も幕府に嫌われ(戦国の気風が激しかったためと言われる)、伊勢国朝熊に蟄居させられ、ここで85歳の生涯を終えている。秋田家は実季の長子・俊季の代に陸奥国三春に転封となるも5万石の大名として幕末まで生きのびた。愛季の子孫として唯一、明治まで生き残り子爵にまで叙されている。

3月8日 秋田駅のみどりの窓口前に「地元のいいところ教えて」という、付せんに書いて貼り込む掲示板がある。いくつか面白いものがあった。「壇蜜と落合の出身地」とか「私が、秋田美人です」とか「シカ注意の道路標示」というあまり意味の分からないものも。「ディズニーランドに行きたい」というのもあった。「シカ注意の道路標示」は、今もなぜ地元のいいところなのか首をひねってしまう。ニホンジカは秋田にいない。カモシカ(牛)と間違えてシカと標示している愚かさを笑ったものなのか。いやいやそんなはずないか。単に市街地にも大型獣が出る田舎です、ということを言いたいのだろう。

3月9日 月に一回、駅ナカにある食材店で「パルミット」を2個買う。「パルミット」はブラジルのヤシの木の芯。日本でいえばタケノコのような食感だ。ここでしか売っていない食材で、ひと瓶766円。月一は面倒なのでネットで買うことにしたのだが、ネットではひと瓶1284円。お店の2倍もする。ネット料金にはあらかじめ送料がふくまれているからだ。ネットでよくある「定期購読システム」が詐欺的だという声が上がり、是正を促す動きがある、というニュースが報じられていた。私も二度ほど引っかかったことがある。安くて送料無料なのでクリックしたら毎月商品が送られてきた。慌ててキャンセルしたのだが、けっこう巧妙に誘導されてしまう。ネットには落とし穴がいっぱいだ。といいながらも、今日も腕時計のナイロンベルトを二本買ってしまった。チクショー。

3月10日 健診の結果を反省、ダイエットを始めて1カ月が経過した。いまのところ順調に体重は減り続けている(約3,5キロ減)。食べる量を少なくしているだけの減量法だが、週1回程度朝ご飯を抜く「16時間半日断食」もちょっと効果があるようだ。ようは体重が落ちれば何でもいい。

3月11日 国分拓『ガリンペイロ』(新潮社)を読みつづけ3日目で読了。アマゾン最深部の闇の金鉱山で黄金を掘る男たちの物語だ。非合法の金鉱山は、その「掟」にさえ従えば過去を一切問わない職場でもある。著者はNHKディレクターで、あの「大アマゾンー最後の秘境」」シリーズの制作者だ。カバー写真のガリンペイロの迫力に度肝を抜かれる。本文で「縮れ毛」という名前で登場する殺人2件の前科者の男だ。眼光の鋭さ、腹筋がどくろをまいてねじれているのは複数の刺し傷で、左腕は肘から骨が奇妙な形で飛び出し曲がっている。人生の最底辺から一発逆転を夢見る男たちのエネルギーに圧倒される。

3月12日 昨夜は山仲間の6人の「みなみ」宴会。A長老の80歳を祝う会という名目だ。今日は能代の檜山城跡と男鹿の脇本城跡を見てくる予定。山歩きでもハイキングでもないので、どんな服装で行くのか、直前まで迷ってしまう。今回の安東氏ツアーがうまくいけば次は湊土崎、唐松城をみて、県南に移動して戸沢(角館)、稲庭、湯沢、横手と足を延ばす予定。ブームからはずいぶん遅れているが「マイ城ブーム」の始まりだ。 
(あ)

No.1046

兜町の風雲児
(新潮新書)
比嘉満広

 サブタイトルは「中江滋樹 最後の告白」。去年2月、木造アパートで焼死体で発見された中江は生活保護を受けていたという。その死亡報道以来、興味があったのだが、晩年の落ちぶれた伝説の相場師を、死の直前まで地道に取材していたジャーナリストがいたことに驚いた。
 80年代、彼の名前はマスコミをにぎわした。清純派アイドルと浮名を流したのが多くの人に名前を記録される端緒だったが、意外なことに彼は「バブル紳士」ではなかったこと。80年代後半のバブル、その10年後のITバブル、08年のリーマンショック、16年から始まるトランプ相場、そしてコロナ相場……こうした株価大変動に中江はほとんど関わっていない。こうした大きな動きのある時期、彼は獄中だったり、逃亡中だったり、海外で過ごしているのだ。獄中から出てからはアングラマネーにも手を出すが、独特の薄汚れた風貌(身なりに無頓着)から想像がつかないほど「ナイーブで臆病な」人物だったようだ。政治家は無論、裏の世界の超大物も多数登場するが、当時の右翼の児玉や笹川、政治家の角栄、中曽根といった「巨悪」の裏を仕切った、テレビ朝日専務の「小悪」三浦甲子二が中江の背後にいて影響力を持っていたのは意外だった。

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