Vol.1056 21年3月27日 週刊あんばい一本勝負 No.1048

2013年がターニングポイントだった

3月20日 駅前アルヴェ3Fで「お洒落なノンアルコールの楽しみ方」という講演を聴きに行ってきた。講師が現役の小売酒屋の経営者で、お酒を売る立場の人がすすめる「ノンアルドリンク講座」だ。コロナ禍で楽しみにしていた試飲は中止になってしまったが、何本か気になったものを注文した。酔っ払い酒文化にどっぷりつかって育った旧世代(私のこと)には信じられないかもしれないが、ノンアルはこれから飲食文化で重要なポジションを占める「文化」になる可能性も高い。

3月21日 無性に時計を替えたくなる。持っている時計は4本で、もう30年近く前に買ったものばかり。高価なものはないが、それぞれ愛着がある。でも半年間も同じものを腕に巻いていると飽きる。落ち込んだ時など験をかついで時計を替えていたが、この4本のローテーションではもうマンネリ。そこで思い切ってベルトを替えてみた。4本とも皮ベルトからチープで色鮮やかなナイロン製に総チェンジ。これがドンピシャリ。古臭くて代わり映えのしなかった時計が20歳は若返った。今日は何色のベルトにしようか毎日、ちょっぴり心が浮き立つようになった。

3月22日 今月は新刊の点数(4点)も新聞広告の数(5回)も例年にない多さで半年ぶりのDM通信も重なった。昔なら4人で目いっぱいの仕事が今は2人で十分だ。忙しくとも残業なしでことはすむ。「残業」という言葉はもう死語かも。そういえば「紙の約束手形」も電子化され、消えていく運命らしい。会社のあり方も日々変わっていく。

3月23日 ベネズエラは南米の国で日本の国土の2・5倍の面積と人口2800万人。豊富な石油資源と野球が盛んな国で「南米で最も豊かな国」だとばかり思っていた。最近出た北澤豊雄『混迷の国ベネズエラ潜入記』を読むと、まるで違っていた。その極端な社会主義的政策でアメリカの経済制裁を受け、19年以降はインフレ率160万%(!)で最低給料は200円(!)、400万人の国民が国外流出している「最悪の破綻国家」に成り下がっているという。入国も難しく、殺される可能性が極めて高い地域にあえて乗り込んだ日本人ジャーナリストの旅行記だが、著者の正直な吐露がいたるところにあり面白い。

3月24日 来年が創業50周年なので、記念小冊子のための年表(無明舎の歴史)をつくっている。この20年間で(その前の30年は舎史としてまとまっている)会社のターニングポイントになったのが7年前の2013年だ。1年遅れでこの年に40周年記念イベントを開催。ダイエットに成功し体重を10キロ落とし、取引先の9割を整理し簡素化のインフラを整えた。ひとまかせだった経理や受注事務を特訓で覚え、ひとり出版社としてやっていく覚悟を決めた。山には年間40座も登っている。デザイナーや印刷所も刷新、母親もこの年に亡くなった。まるで火山の噴火が起きたような一年だった。

3月25日 ブックデザイナーの平野甲賀さんが亡くなった。享年82、肺炎が死因だ。何度かお仕事をご一緒した古い知り合いだが、最近会ったのは3年前、東京に大雪が降った18年1月22日のこと。銀座で「平野甲賀と晶文社」展があり、そこでお会いしたのが最後になった。私の半自叙伝『力いっぱい地方出版』(晶文社)も平野さんの装丁だし、成田三樹夫遺稿句集『鯨の目』も平野さんに装丁していただいた。それにしても朝日の死亡記事は小さくてびっくり。そのことに憤慨していたら地元の魁新報社から追悼文の依頼あがった。私ごときが書いていいものだろうか、という逡巡もあったが、何度かお仕事でご一緒したのも事実。その顛末を書くことにした。

3月26日 何かとバタバタした今週も今日で終わり。少しホッとしている。明後日、朝日全国版に5段12割の広告が残っているが、これもあまり期待はしないほうがよさそうだ。とにかく目の前の仕事を必死でこなし、クリアーすると次の仕事と、非力は承知で全力で向かっている。次の仕事に向かうまでは小休止が必要だ。山を歩いたり、旅に出たりして気分を替えたい。
(あ)

No.1048

鬼才――伝説の編集者齋藤十一
(幻冬舎)
森功

 天才や鬼才と振りかぶられると「ホンマかいな」と半畳を入れたくなる。ましてや編集者に花森安治のような人がまだいたのかと半信半疑のまま読みだした。この著者の本は書名も取り上げる人物やテーマは面白い。でも読み始めるとなんだか尻すぼみの感は否めない。いきなり主人公は「昭和の滝田樗陰」「出版界の巨人」「伝説の編集者」といわれた人物と騒がれても、それは一部の関係者の間でのみの評価かもしれない。齋藤は新潮社の創業者である佐藤義亮と「ひとのみち教団(現PL教団)」を通じて知り合った。この出会いがすべてだ。以後、斎藤は新潮社の「影の天皇」のような存在として君臨していくことになる。齋藤の功績の最大のものは週刊誌ブームの中で「新潮ジャーナリズム」の原型を作ったことだ。彼の企画はことごとく当たり、社内では容易に誰もが近づきがたい存在だったという。そうした事実関係が斎藤の下や周りにいた関係者たちへの取材で明らかにされていく。のだが今ひとつ、仲間ボメのそしりを免れない。有名作家たちの評価も伝聞が多いのも気になる。もう少し時間と念入りな近親者への取材があればコクのある人物像が浮かび上がったのではないだろうか。

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