Vol.1128 22年8月13日 週刊あんばい一本勝負 No.1120

お盆・大雨・難聴騒ぎ

8月6日 事務所からアリがいなくなった。アースの「アリの巣コロリ」の威力はすさまじい。先日、今度はとつぜんに羽アリが数十匹、仕事場に飛び込んできた。窓を開けていたので風に乗って入ってきたようだ。その日以降は見当たらないから「たまたま」だったのだろう。朝早く県道を走っていると、以前のように小動物の轢死体を見かけなくなったような気がする。路上にたむろしているカラスたちは、こうした車にはねられた小動物の掃除人でもある。高速道には最近「鹿出没注意」の表示がめっきり多くなった。でもその絵柄はどうみてもカモシカだ。シカとカモシカはまるで違う動物だ。

8月7日 ワインディングマシーンを買った。時計の「自動巻き上げ機」だ。時計は4本持っている。うち2つは動きを止めるとゼンマイがまかれない機械式時計だ。これを夜中にセットしておけば勝手にゼンマイを巻き上げてくれる。3千円ぐらいだが、ゼンマイの巻かれ具合を気にしなくてもいいのだから、まあ安いものだ。不安もある。十分に巻き上げられているのかどうか確かめようがないのだ。一晩中セットしたのに翌日は昼頃にはもう動かなくなったこともある。このへんの仕組みがいまいち、よくわからない。

8月8日 散歩のときカメラを持って出るようになった。西の空に沈む太陽が描き出す空や雲の美しさを撮っておこうと思ったからだ。夕焼けのグラデーションの空と、町の信号やネオンの組み合わせが狙い目だ。新品のカメラはレンズが明るく空の色を鮮やかに切り取ってくれる。でもちょっとコントラストが強すぎて、空がきれいに撮れれば今度は建物が真っ黒になる。美しい空と雲を探しながらの散歩も退屈はしない。

8月9日 夜のDVD鑑賞で突然耳が聞こえなくなった。音量をいくら上げてもセリフが聞き取れない。ここ数日の映画(邦画)の時だけ難聴になる。いずれの邦画も文学作品を原作とする、暗くて静かな、小声で会話が進行する心理劇だ。具体的には「愚行録」「オーバー・フェンス」「恋人たち」(これは原作が監督)といった映画雑誌などで高評価を得た作品だ。暗く静かな作風の映画はダメのようだ。早いセリフも聴き取れなくなっている。

8月10日 訃報が相次いだ。服飾デザイナーの三宅一生が84歳。彼の服は大好きだ。40代のころ、はじめて買った高級服が三宅一生だった。ユニセックスなダブダブの作業着みたいなブレザーがお気に入りだ。作家の青木新門は85歳。「納棺夫日記」の著者だが、二度ほど面識があり、映画「おくりびと」の原作映画権をOKしなかったことを少し自慢げに話していたのを覚えている。精神科医の中井久夫は88歳。中井さんは神戸の震災後の発言や社会参加で一躍有名になったが3・11でも彼の経験を踏まえた重みのある提言は大きな示唆に富んでいた。私の友人が神戸で経営していたレストランを、「神戸の医師会で(そのレストランを)貸し切りにして食事をするのが夢だった」と書いてくれた。私自身に影響を与えてくれた人たちだ。ご冥福を祈りたい。

8月11日 マスメディアの報道もあり何人かの遠方の友人から大雨被害を心配するご連絡をいただいた。今のところ県北部に集中、県央部には目立った被害はないようです。秋田も東北も広い。報道はもう少し細かいものにしてほしいものだ。お隣の岩手県では年間2万頭のニホンジカが駆除されている。秋田県の猟友会員が「岩手に行くと思いっきりシカが撃てる」と喜んでいたが、秋田県民で「シカを見たことがある」という人はごくごく少数だ。毎週のように山に行く私にしてからがシカを一度も見たことはない。2万頭とゼロの世界だ。奥羽山脈越えの「豪雪」という壁がシカの越境にブレーキをかけているのだ。同じ東北でも太平洋側と日本海側では、これほど自然環境が違う。一括りにするのは無理がある。
(あ)

No.1120

アッコちゃんの時代
(新潮文庫)
林真理子

 歴史回顧のテレビ番組などで「バブル」がテーマになると、ほぼ録画する。80年代後半から90年代初めのこの時期、秋田には実感としてのバブルはなかった。ディスコもヤクザも証券会社も不動産屋も身近になったからだ。だから社会現象としてノバブルはよく知ってはいるが、実態としてのバブルはまるで外の世界の出来事といってよかったのである。同世代で、定年後に秋田に帰ってきた人たちから「電話で1億の仕事なんか忙しくてダメって断っていた」などと聞くと、そのリアリティに感動してしまう。あこがれていたスターの貴重な裏話を聴いているような気分になってしまうのである。そのバブルの時代を象徴する伝説の魔性の女の半生を描いたのが本書だ。この主人公のアッコちゃんは何度かテレビのインタビューで見たことがある。大柄で目鼻立ちのくっきりしたバタ臭い美人だった。この女性が世界を驚かせた狂乱の日本のバブルの主役だったわけだ。彼女がバブル女王として扱われるのは、若くして一緒に住んだ「地上げの帝王」といわれた早川太吉の存在があったからだ。山形弁の、どうにも風采の上がらない、スケベで強欲な地上げ屋の「女」だった過去がなければ、表舞台の主役になることもなかったのは間違いない。

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