Vol.1130 22年8月27日 週刊あんばい一本勝負 No.1122

期待通りにはならない

8月20日 朝夕の風にはもう秋の気配が忍び込んでいる。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもの。でも「寒さ」って何? これは正岡子規の「毎年よ彼岸の入りにさむいのは」の句から生まれた言葉だそうだ。今日は駒ケ岳笊森に登る予定だったが中止。明後日には田代岳に行く予定だ。なんだか山歩きに追われているようで落ち着かない。が、本と映画と山歩きがあれば、ほとんどの時間は「足りないほどに」埋まる。でも仕事だけは「ほどほど」をこえるとストレスになる。やっぱり「ほどほど」がいいね。そういえば新潟(か石川)の銘酒に「程々」というネーミングの酒があったなあ。

8月21日 コロナ禍になってからではないが、ここ数年のライフスタイルはほとんど何も変わっていない。朝は7時に起床。出社は8時半から9時半のあいだ。午前中はパソコンに向かって仕事。昼めしは自分で作り事務所で食べる。午後からは散歩や料理をすることも多い。図書館に調べものに出たり、市町村へ取材に出かけることもある。夕食は家で5時。私もカミさんも夕食後の時間が大事なので、どうしてもこの時間になる。夕食後は事務所に戻り本を読んだり、翌日の仕事の準備をしたり、映画鑑賞をする。酒を呑みすぎたり満腹になると集中力が落ちボーっとしてしまう。9時には帰宅し風呂に入り就眠は12時。こんなライフスタイルがもう10年以上続いている。

8月22日 今日は大館市・田代岳(1177m)。秋田市の最高温度が36度という日の山行だったが、山中はなんと風があり、立ち止まると冷たい風が火照った身体をさましてくれる。山にはもう秋の風が吹いている。それでも持っていた水3リットルはすべて飲み干した。田代岳は50代のころから大好きな山で、ひとりでもよく登った。10年前は2時間半弱で頂上に立っていたが、今回は3時間20分。勝手に山は高くなっているのだ。「山は2時間以内で登れるところ」といった70代ルールを考える時期に来ているのかもしれないなあ。

8月23日 大雨被害は私の周辺の秋田市に限ってはほとんど何もなかったが昨日、田代岳に行く途中、県北部の被害はただならぬものであったことを知る。早朝の高速道に小動物の轢死体を数多く見かけた。たぶん大雨による自然環境変化の影響だろう。登山道までのアプローチで「土砂崩れ」している斜面も数カ所。うち一つで危うく通行不能になるような巨石が路上に転がっていた。あと1メートル中央に寄っていれば山行は中止になっていた。川の水量も多く、沢筋によっては、濁流だったり、とてつもなく透明度の高い流れだったり様々。山道の土砂表面は雨で流され「小石だらけの道」になり、車はしばしば腹が閊える状態だった。こんな山奥の道路にも応急の修理改修の手が、さっそく入っていた。命や暮らしに直結することだから当然と言えば当然なのだが、この迅速さはなんともありがたい。

8月24日 仕事場の窓から手形山方面までが見渡せる。今日はすっきりと晴れ上がったさわやかな青空だ。透明度が高いので遠方の黒い山の木々もはっきり見える。唐突だが昔の人は「アオ」という言葉を灰色か白っぽい色の意味で使っていたようだ。例えばカモシカのことを「アオ」という。英語でグレーヘロンという鳥は日本では「アオ」サギのことだ。宮城県の友人が古老たちはカモシカのことを「アオイノシシ」と呼んでいた、と教えてくれた。なるほど「イノシシ」の黒っぽい色と比較して「白っぽい(灰色)」カモシカは「アオ」なわけだ。今の青色の青とは違う。色は他のものと区別するために用いられる記号だ。もう少し調べてみるか。

8月25日 広面はラーメン屋がやたらと多い。うちの2,3店が人気で行列ができる。みんな若い人だが、たまに年寄りだけの行列を見かける。自然食品店や空き店舗で開催されるセミナーというか「いかがわしい健康食品系」の説明会などだ。TVでも霊媒師や占い師なるものが我が物顔で登場するようになった。オウムも統一教会も新興宗教は現世利益が入り口だ。昔、出版業界の韓国視察の際、まったく見知らぬ人からものすごい歓待を受けた。「東京に印刷所をつくりたい」という理由で近づいてきたのだが、そのソウルにあった印刷所に案内されると社長室に巨大な文鮮明の肖像写真が掲げられていた。もう接待を受けた後だったが、以後、一切かかわりを持たないようにした。カルトはこういった勧誘をするから、怖い。

8月26日 ある映画のワンシーン。高校の歴史の教師が「現代史」の授業で「次の3名から選挙で選ぶとすれば誰?」という問いを生徒に投げかける。一人目は「肥満でうつ病、3回落選していて、大酒のみで睡眠薬も。鼻持ちならない、いやみな男」。二人目は「ポリオの障害があり他にも障害を持つ。高血圧と貧血で深刻な病気もち。政治を占星術師に頼み、愛人がいる。愛煙家でマティーニをこよなく愛する。目的のためにはうそをつく」。三人目は「国の英雄として表彰を受ける。たばこ、酒はやらず、女性に敬意をもち、動物好き」。指名された女生徒はもちろん三人目を選ぶ。教師は「君が落とした二名の名前は」と、一人目、チャーチルの写真を見せる。二人目は「ルーズベルト」だ。そして生徒が選んだ三人目は「ヒットラー」だった。教室内からどよめきと哄笑が起きる。そこで一言、教師はこう言う。「世の中は期待通りにはならない」。
(あ)

No.1122

虚空の人
(文藝春秋)
鈴木忠平

 後半戦のナイターが始まったが、巨人があまりに弱くてTV画面に集中できない。で、届いたばかりの本書を読み始めた。あまりの面白さにナイターどころではなくなった。そのまま寝床まで持ち込み、巻を措く能わず、夜中1時過ぎに読了。あまり興味のない清原和博という人間の光と闇に追ったドキュメンタリーだが、かなり長時間にわたって取材を続けた執念が、柔らかい文体からにじみ出ている。単なるスポーツ・ノンフィクションや人物論の域を超えて「作品」になっている、著者の内省的な謙虚さに拠る。派手さやこけおどし、自己主張や自慢話を極力排した、抑制的なノンフィクションの組み立てが見事というほかない。本書5章には「怪物」という目次見出しがある。読む前に目次構成を見るのが癖になっているのだが、いかに話題の作家で、清原がテーマとはいえ、あまりに「ベタすぎる陳腐な見出し」ではないか。と、ちょっとがっかりした。のだが読んでみると、「怪物」とは「桑田真澄」のことだった。PLのスターであり天才とは桑田のことであり清原ではなかった、というのが、実はこの本の「ミソ」であり、清原を語る際のキーワードだったのだ。清原はあくまで桑田の添え物、劣等感の塊として描かれる。面白くないはずがない。

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