Vol.1132 22年9月10日 週刊あんばい一本勝負 No.1124

4回目ワクチンのその後

9月3日 ずっと雨模様で久々の「晴れ」。勢い込んで布団を干した。布団は、この夏、たぶんものすごい汗を吸いこんでいて、なのに雨が多く、なかなか干せなかった。それが灼熱のトタン屋根の上に突然転がされ奇声を上げ、喜んでいる……ような気がした。最近は枕カバーも頻繁に替えるようになった。年とともに「睡眠」という日常が、暮らしの中で大きな意味を占めるようになってきた。夜、ぐっすりと熟睡できた時の喜びは何事にも代えがたい。ダニ用シートも夏の布団には欠かせないが、アースレッド(ダニ燻煙剤)も思い切って発煙してみた。これって本当に健康に害はないのかなあ。

9月4日 4回目のワクチン接種。一夜明けて腕が少し痛む。夜に喉が渇いた。ちょっと怠い。接種を待つ間、広い西武デパート3階には老人たちがひしめいていたが、本を読んでいる人が皆無だったことにショック。待ち時間に本を読まなくなった。「本を読んで時間をつぶす」という、よき慣習や作法が消えてしまった。この会場はワンフロア―すべてが紳士服売り場だった。よくお世話になった売り場だが、いまは店舗なく、ただの空き空間だ。じり貧の秋田の経済を示している象徴的な場所でもある。そこがコロナと闘う最前線というのも、なんと皮肉に感じてしまう。

9月5日 熱っぽさが続き、まるまる24時間、ソファやベッドの上で寝て過ごした。食欲はあるのだが身体が思うように動かない。本も映画にもまるで食指が動かない。西日の当たる部屋で冷房を効かせて、アイマスクをつけてジッとしているだけだ。考えようによってはそれだけワクチンは強烈な薬効なのだろうと、自分を慰めるしかない。朝目覚めると熱っぽさは消えていた。注射をうったのが土曜日だったで日曜日をまるまる寝て過ごせたのは幸運だった。

9月6日 仕事が忙しくなると、こんなことが日常になる。朝からバタバタ、余裕がない。新聞広告に大きな問題が生じた。昨夜からデザイナーを交えて修正を突貫工事で進行中、今日も朝から打ち合わせだ。広告代理店は東京だし印刷製本所も東京だ。東京は遠い、と思うのはこんなときだ。暇なときには何も起きない。のんびりしていて素敵な時間だ。でも食べていくためには「何かが起きる」状態が「常態」にならないといけないのだ。生きていくのは厄介だ。

9月7日 朝食が終わった後、寝室に戻って30分以上、「沈思黙考」する。調子がいいとそのまま寝落ちする危険性とも隣り合わせだが、仕事のメモを取ったり、やるべきことのおさらいもする。開け放たれた窓から気持ちいい風が、固まった頭も柔らかくしてくれる。昼食のこと、来月の予定、将来のあるべき姿……夢想は広がっていく。散歩と朝の黙考は「私の偉大な友」だ。ケータイ電話を持っていないのもいい。これがどれだけノン・ストレスなことか、若いころ1本の電話で一挙に状況が激変する現場に何度も立ち会ったものとして、よくわかる。音のない世界で一人っきり、頭の中の自分と対話する。これが楽しい。

9月8日 ワクチン摂取6日目。夕方になると身体が熱っぽくなるような症状が続いている。喉が渇いているような気もするし、食欲もあまりない。食欲が何よりも健康のバロメーターだ。この5日間、素うどんと果物のナシでつないできた印象だが、体重はほとんど変わらない。けっこう間食をしてるせいだ。食欲もワクチンの後遺症なのだろうか。よくわからない。

9月9日 週末、天気が良さそうなので山行(鳥海山・七高山)が楽しみだったが中止に。前日にリーダーが4回目ワクチンの予約が入ったためだ。それにしてもこの時期、七高山登頂とは「すごい」と言われそうだが、いやいや名目は鳥海山山頂だが「疲れたところで下山する」というのが暗黙のルール。山頂まで行けるとは実はつゆほども思っていないのだ。「ナンチャッテ鳥海山」というわけである。どこまで頑張ってみるかは、の日の体調次第。こうした精神的にプレッシャーのない山歩きが、この年になると一番身の丈に合っている。もうピークハンターなんて言う言葉は過去のもの。 
(あ)

No.1124

もう一人の力道山
(小学館文庫)
李淳イル

 NHKの「アナザーストーリー」は好きな番組だ。先日、その番組で「戦後最大のヒーロー力道山 知られざる真実」が放映された。力動山の伝説や物語はイヤになるほど見てきたが、さすがにこの番組は一味違った濃い内容だった。伝説の死闘といわれた「木村政彦」との試合も、この番組で初めて全部観ることができた。もう一つのテーマが「朝鮮国籍」の物語だ。どちらもいわばマスコミがタブー視していた問題だ。この2つを真正面から取り上げているのだ。だから、この番組にはテキスト(文献資料)があると確信した。とくに朝鮮籍に関しては、96年に小学館から刊行された本書が底本になっているのは間違いない。実は私自身も、この本に先立つ10年前(86年)、農業ジャーナリストの一員として北朝鮮を訪れている。その際、希望として「力道山の娘さんと会って取材したい」と旅行主催者に伝えていた。その当時、力道山が北朝鮮生まれであることをすでに知っていたからだ。本書には力道山の「もうひとつの素顔」が実によく描かれている。もしかすると永遠に封印されていたかもしれない「戦後史の謎」を、力道山と同じ朝鮮籍を持つ在日コリアン3世が、剛腕でこじ開けてくれたわけである。

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