Vol.1134 22年9月24日 週刊あんばい一本勝負 No.1126

潮目がちょっと変わってきたかな

9月17日 9月は毎日仕事に追われて、仕事以外のことはすべて後回し、という状態だ。こんな時に限って家の改修工事や個人的付き合い、カミさんのクレームから町内の寄り合い……といったやっかいな問題が押しよせてくるのも不思議だ。でも夜9時以降の寝室での過ごし方は映画鑑賞と読書。いまのところ1日で忘我の境に入り込むこの4時間が最も大切な時間。

9月18日 先日、朝日新聞県版コラムにカルロス・ゴーン被告のレバノン逃亡に触れた。あのニュースは衝撃だったが、「あれっ秋田にも似たような事件が……」とひっかかるものがあったからだ。もう150年以上前の幕末動乱の時代、出羽国花岡村(現・秋田県大館市)に生まれた軽業師・鳥潟小三吉がその主役だ。小三吉は慶応2年(1866)、外国人興行師に誘われヨーロッパに渡り、以後ヨーロッパ各地で軽業芸が絶賛を博し、故郷に錦を飾った人物である。彼は横浜から出航したが、安岡章太郎の『大世紀末サーカス』(朝日新聞社・84年刊)には「小三吉たちは一般の船客として横浜を出港したのではなく、荷物のように箱詰めにされて送り出されたのだという奇怪な話が、(略)古老の間に伝えられている」と書かれている。この安岡の本をゴーン事件で思い出したのだ。世間に大事件が起きると、すぐに秋田の先行事例を連想する。これはもう職業病だ。

9月19日 3連休も「無難に」仕事。台風は西日本に大きな被害をもたらしそうだが、こちらは静かなもの。とはいっても明日予定していた秋田駒・笊森山行はさすがに中止に。仕事が立て込んでいるので少しホッとした。それにしても今年の夏は「ナスガッコ」と「ジャマ悪梅」と「土川そば」(乾麺)の世話になりっぱなし。3つともSシェフからの頂きもので、なくなるころに新しいものが届くのだからありがたい。ちょっと塩分過多が心配だ。

9月20日 ベトナム戦争での米軍のレイプ問題をあつかった映画『カジュリテーズ』で、軍隊は5人を最小単位として活動することを初めて知った。5人の内訳は上から軍曹、伍長、上等兵、二等兵という階級構成だ。軍隊の階級などを気にすることはなかったから、中尉と連隊長はどちらが偉いのか、連隊と旅団はどう違うのか、知らないままここまで生きてきた。軍隊で一番偉いのは大将。以下、大佐、大尉の順で、師団が一番大きな集団で旅団、連隊、大隊とつづく。師団は1万人で、歩兵連隊(大隊)は650人、少尉以上が士官、伍長までが下士、上等兵以下は兵卒だ。中隊長というのは大尉で、大隊長は少佐、連隊長は大佐か中佐がなる。なるほど、そうだったのか。

9月21日 今日から一気に気温が下がる。昨夜は長袖の寝巻に着替えたのが大正解。雪国はこの「一気に」が本当に「一気に」くるから大変だ。昨日までは汗をかきかき歩いていた散歩も今日からはパーカーを着て防寒対策だ。山も外飲みも取材も遠出も、このところ御無沙汰。逼塞感も出てきたせいか酸欠気味だ。

9月22日 中学生のころスポーツの対抗戦になると、近隣の羽後町からは「古四王中学」、横手からは「鳳中学」といった、勇壮でカッコいい名前の中学校の選手たちがやってきた。私の中学名は「湯沢東中学校」だから、「かっこいい名前の学校があるもんだなあ」と子供心にも感心し、憧れた。「こしおう」なんて、まるで王様のようだし、「おおとり」にいたってはほとんど芸能人だ。それから50余年、わかったことがある。「こしおう」とは「越の王」のことで越後国のこと。古四王とは「越王の神社のあった場所」のことで、鳳は平泉藤原氏のルーツである清原氏の遺跡が発見された「大鳥井遺跡」がその命名由来だった。

9月23日 あれっ、ちょっと潮目が変わってきたかな。本の出版や注文はコロナ禍以降すっかり影をひそめていたのだが、この夏の終わりごろから雰囲気がちょっと変わりはじめた。この変化はコロナと関係があるのだろうか。この半年間、海に風はなく、船を出したはいいが、帆船はピクリとも動かなかった。その船がいい風と出合って、ゆらゆらと沖に向かって滑り出した……ような気もする。が、まだ早計な判断はするべきではない。この3年間の疲労と経済的なツケは、思っている以上に重くて深いはず。油断大敵だ。
(あ)

No.1126

インディオの聖像
(文藝春秋)
立花隆

 私自身、何度も南米に出かけているので、現地とカソリックの濃密な関係は肌で理解できる。本書は南米のジャングルに建設された伝道村やインディオの宗教美術に関するエッセイを集めたものである。もう30年前に書かれた立花隆のキリスト教観をしめす「幻の原稿」という触れ込みで死後この時期に出版されたものだ。読んですぐに分かったのは、なぜ立花は30年以上、この原稿を本にしなかったのか、という理由だ。立花自身に何度も単行本化の話はあったのだろうが、この原稿のレヴェルでは識者たちに笑われてしまう。という思いが立花にあったのは確実だ。とにかくイエズス会への歴史的考察が表層的で甘いこと。インディオとキリスト教の関りへの言及がほとんど教科書レヴェルで中途半端なこと。イエズス会の歴史的考察に関しては、この30年、日本人研究者がラテン語を自由にあやつれるようになったことも含めて、バチカンに収蔵されている当時の世界中の宣教師たちの手紙やレポートの日本訳解読が進み、様々な新事実が分かりつつあるのが現状だ。その研究成果をみる必要がある、と立花は考えていたのだろう。この本は同行した写真家の佐々木氏が立花氏の死後、文春に持ち込んで個人的に本にした、という事情も隠れ見えてしまう。

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