Vol.1135 22年10月1日 週刊あんばい一本勝負 No.1127

よりによってこんな時期に……

9月24日 週末は料理。誰にも邪魔されない週末の事務所で、音楽を聴きながら料理を作っていると余計なことは考えない。酒のアテを作ったり、常備菜を用意したり、保存のきくソース類を作るのが定番だ。ゆで卵から始まってヨーグルトやポテトサラダ、焼きソーセージにカンテン(ママレード味)、豚肉の炒め物からローストビーフまで、なくなると困るものを作るのだが、家ではダメだ。細かいところまでカミさんがうるさいので、楽しみではなく苦行になってしまう。

9月25日 けっきょく連休は仕事らしい仕事をすることもなく過ぎてしまった。3日間、ずっと事務所にいて外に出ることもなくボーっとしていただけだが罪悪感がある。シャチョー室のリフォームをしてから「住み心地」はより快適になった。一歩も出なくても、何の不自由も感じなくなってしまった。要するに「引きこもり」である。

9月26日 事務所の冷蔵庫を整理していたら「かんずり」がでてきた。トウガラシの発酵香辛料だ。昔は好奇心からよくこうした珍味を食べた。「うばい」「このこ」「うるか」「ばくらい」……。「うばい」というのは熟した梅を煤をまぶして燻して天日で干したもの。「このこ」はなまこの真子(卵巣)と白子(精巣)を乾燥させたもの。「うるか」は鮎の内臓を塩漬けにする。「ばくらい」はナマコの腸の塩辛だし、「いぬごろし」なんて物騒なものもあった。これはマグロの尾ひれのこと。「かつおのこ」は塩漬けにしたカツオの卵を焼いたものだ。サメの心臓を「もうかの星」といって、三陸の人はよく食べていたのを思い出した。馬のたてがみの部分の肉の刺し身を「たてがみさしみ」というのもあったなあ。

9月27日 東成瀬行き。ある本のための写真撮影だが、村でいつも世話になる佐々木友信さんの案内でスムースに午前中で取材終了。友信さんの家で天然のマイタケのイモノコ汁をご馳走になった。昼は十文字で三角ラーメン。その後、横手市のふるさと村の秋田県立近代美術館で「秋田蘭画の世界」。夕方、事務所に戻ると何やかや、連絡、印刷所とのやり取りが待っていた。さして疲れるような労働はしていないが、1日中、移動しているだけで、年寄りには十分こたえる。

9月28日 毎朝10分ほどのミーティングをするようになった。バタバタと仕事が立て込んでしまったので、混乱やミスを防ぐためだ。今日は年一回、植木屋さんが家と事務所のせん定作業に入る日だ。家のカーテンの改装作業も偶然だが同じ日に。さらに驚いたのはこの植木屋さんとカーテン屋さんは同じ年ごろで仕事仲間でもあることが判明、世の中は狭い。若い職人さんたちの黙々と立ち働く姿は、旧態依然としたカビの生えそうなわが舎と建物に活気を注ぎ込んでくれる。

9月29日 ノンフィクション作家の佐野眞一さんが亡くなった。享年75。彼の死に対しては毀誉褒貶がまぬかれない。すでにネットではかなりネガティブな批判も出ているようだ。東日本大震災の本や週刊朝日の橋下徹関連記事で、その差別性が問題となり、彼の作家としての権威は一気に失墜してしまった。「書くものが粗っぽすぎる」「取材態度が傍若無人」といった批判は以前からあったのだが、勢いのある時期に書いたバブル紳士たちや権力者への強烈な批判精神は、いまも輝きを失っていない。全盛期の頃、何度か酒席や取材を共にした。2012年あたりから関係が遠くなってしまった。彼は『旅する巨人』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。その受賞パーティでの花束を贈呈したのは私である。75歳というのは、いまや早すぎる逝去と言えるだろう。ご冥福を祈りたい。

9月30日 奥田英朗の新刊が出た。『リバー』(集英社)だ。656ページ、厚さが4センチ以上ある犯罪小説だ。奥田フリークとしては徹夜覚悟で一気に読み通したい。でも仕事優先……と心は揺れ、初日、早めに寝床に入って3分の一まで読み進んだ。翌日の仕事を考えて泣く泣くここでストップ。殺人事件やミステリー、刑事ものは苦手なのだが、奥田の本は唯一例外だ。渡良瀬川の河川敷で相次いで女性の死体が発見される。十年前の未解決連続殺人事件と酷似した手口が街を凍らせていく。かつて容疑をかけられた男。取り調べを担当した元刑事。娘を殺され執念深く犯人捜しを続ける父親。若手新聞記者、一風変わった犯罪心理学者……人間の業と情を抉る無上の群像劇、というのが版元の帯コピーだ。今日の夜も早めに寝床に入るしかない。
(あ)

No.1127

舌の上の散歩道
(小学館文庫)
團伊久磨

 名著「パイプのけむり」シリーズで知られる作曲家にしてエッセイストである著者の「食文化論」のようなものである。世界中を旅して味わってきた体験がベースになっているだけに、確かにその考察は奥深く、心にしみてくるリアリティがある。とはいうものの実は私はこの著者の本を読むのが初めて。恐る恐る手に取ったというのが本当のところだ。ところがのっけからその過激でユーモラスなパンチがガンガンと繰り出される。「海藻なんてぬるぬるして小汚い半腐れのゴミ」だし「日本の酸っぱい果物は、考えるだけで鳥肌が立つ」。特に蕎麦は大嫌いで恐怖まで覚えている。「消化してしまうまで胃の中を傷つける鋭利な角があるのが嫌」というのだから、こちらは笑うしかない。ほとんど駄々っ子のような感想に終始するのだ。でもその見識は感嘆する。イカのことをどうして「するめ」というのか。昔、漁師たちはイカのことを「墨群」と言ったことがあったそうで、これがなまったもの。これは広辞苑にも載っていることなのだそうだ。タルタルステーキも、てっきりドイツあたりの発明かと思っていたら、モンゴルのタルタル人が遠征時に生馬肉を兵糧として鞍の下に入れ戦っていたら、ちょうどうまくなり、というのが真相だった。納豆の発祥伝説とよく似ている。勉強になった本だ。

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