Vol.1136 22年10月8日 週刊あんばい一本勝負 No.1128

創業50年を祝ってもらう

10月1日 ようやく9月が終わった。充実した1カ月間だった。夏の終わりのコロナの衰退とともに堰切ったように出版依頼が飛び込みはじめた。まあ10年に一度あるかないかの「異変」である。9月に実を付け出した果実を10月は収穫する段取りにはいる。忙しさとミスは実に相性がいい。大きなミスが出ないように神経をとがらせる日々が続く。

10月2日 おびただしい血が流れる猟奇的な殺人もの映画はほとんど観ない。昨日は間違ってその世にも恐ろしい映画を観た。18年にアカデミー賞を受賞したドキュメンタリー『フリーソロ』だ。ナショナル・ジオグラフィック社が撮影・監督を担当している。フリーソロは安全装置を使わず手と足だけで岩壁をよじ登るスタイルのクライミング。アレックス・オノルドという青年がヨセミテのエル・キャピタン(975m)という垂直な岸壁を4時間弱で完登する様子を撮影したもの。どう考えても次の瞬間に滑落する危険と隣り合わせのクライミングで、登っている本人よりも撮影スタッフが、そのあまりの緊張感に「もう2度とこんな撮影はイヤだ」とファインダーをのぞくのをやめてしまうほどだ。アレックスと恋人のサンニの関係もレヴェルの高い恋愛映画を見せられているようで感動する。アレックスは脳の扁挑体が強い刺激だけにしか反応しない特異体質だ。最高に怖い、でも感動的な、一級の映画だった。

10月3日 昔からメモ魔だ。散歩や外出の時はICレコーダーが必需品だ。年をとるにつれて物覚えが悪くなり、記憶力も衰えているのはいかんともしがたいが、だから逆にメモはますます重要度を増している。でも明日やることをメモしても、そのうちの一つか二つしか当日に実行できない。昔一日で出来た仕事が、今はゆうに三日を擁してしまうからだ。

10月4日 週日だが、能代・房住山縦走の予定だったが雨で中止。朝早起きして現場付近まで行ってから中止を決めたのだが、途中、カーラジオから「北朝鮮がミサイル発射、すぐに地下か家の中に避難」の緊急ニュース。青森付近の住民に向けて呼びかけているようなのだが、東京都の大島などの島名も連呼された。位置的にどうなっているのか、さっぱりわからない。山はやめて大潟村を探索うることに。生態系公園や野鳥観察ステーション、南部排水機場や経緯度交会点など、普段はなかなか行けない施設を見てきた。

10月5日 昨夜はモモヒキーズの仲間が創業50年を「和食みなみ」で祝ってくれた。今朝は朝一番で歯医者。歯ぐきから血が出るので診てもらう。70を超えても現役と同じように仕事をしていられるのは、この歯科医療のイノベーションも関係がある。歯には少年時代からコンプレックスを抱いていたのだが毎月のように歯医者に通い、対処してもらうと、歯こそ健康の源のような気もしてくる。

10月6日 やはり北朝鮮ミサイル発射のJアラートは「誤発信(東京の島しょ部)」だったようだ。同じくネット通販・アマゾンでも、我々の書籍販売に関して不具合が生じていて、いまだその不具合は解消されていない。数か月前から書籍販売に関する内部システムが変更になったのだが、それがうまく機能していないようなのだ。これまではあり得なかった事態だが、こちらとしては指をくわえて見守るしかない。購読者や著者には多大なご迷惑をおかけてしているのだが、いましばらくお待ちください。

10月7日 昔なら3人の編集者で1か月かかった仕事が、いまは1人で同じ分量をこなすことが可能だ。これはひとえにワープロとメールといったデジタル通信のおかげだ。特にメールの効力は絶大で、著者との連絡や印刷所とのやり取り、書店や読者とのコミュニケーションが短期間で効率的にできるようになった。メールのなかった時代、これを電話や手紙やファックスでやっていたわけだが、なかでも「手紙書き」は時間だけでなく心身とも疲れる大仕事だった。それがメールで瞬時に解決してしまえるようになった。まさに魔法のツールである。
(あ)

No.1128

古代史上の秋田
(さきがけ新書)
新野直吉

 秋田の石器時代から始まって清原氏の栄光と滅亡までが、新野史観にそってグイグイと読者を引き込んでいく。「東北」という地域概念は、律令制形成期に朝廷が「太平洋側陸奥国を東、日本海側越後国を北と位置付けた」(「日本書紀」)ことから生まれた。秋田県南部によく見かける「古四王神社」の源流は「越の王」から出た言葉だ。越の国の阿倍比羅夫が恩荷らと接触したのは、彼がいわばお隣の新潟の人だったから簡単にできたことだ。和銅元年(708)越後国は9月28日に出羽郡を建てたいと申し出、認められている。初めて出羽という地域名が史上に登場した。古くからこの地方の「羽」を産出して朝廷に献上していたのが「出羽」の由来というのは根拠なく、出端(いでは)という解釈が正しいという。建郡5年にして越後国は、和銅5年(712)9月に独立、出羽置国が決まる。さらに本書には「山岳」に関する記述も多い。鳥海山と大物忌神社、太平山の名前の由来を鎌倉時代の大江氏の入部からとする語源説、式内社と修験道など、山を登りながら疑問に思っていたことの、新野流の答えが書いている。「払田の柵」という大発見をほっぽり投げて、すぐに「秋田城」にこぞってなびいてしまう秋田県人への苦言もあり、この本は実に奥深い面白さを秘めている。

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