Vol.1138 22年10月22日 週刊あんばい一本勝負 No.1130

あるべき姿は……

10月15日 常宿のリッチ&ガーデンホテルは朝飯がうまい。コロナ禍でバイキングはなくなったが、定食型式のお膳も他では味わえない朝飯だ。いわゆる旅館の定番的な朝ごはんではない。地元産の野菜主体の、食べると身体がきれいになっていく錯覚すら覚える、シンプルで滋味深い、朝ごはんだ。ちなみにお値段は1400円。面白いのは朝カレーがあることだ。特別な食材ではないのに満足感があるのは、作る人の腕がいいからだろう。

10月16日 買う本は「書」についてのものばかり。映画もやたらと戦争や差別、裁判関連の社会派作品を見る機会が多い。仕事も現在編集している原稿のうち半分が「山形県」もの。類は友を呼ぶ、ように似たジャンルの本がつながってしまう。これは説明不可能な現象だ。こちら側の意志とはまるで無関係で、なんだか「見えざる手」によって動かされているような不気味さも感じる。

10月17日 「忙しさ」を隠れ蓑にして食生活が乱れ切っている。その結果、体重は春から4キロ増。今日からまたまたダイエット宣言。年をとったら無理に体重を落とすべきではない、と言われるが、こっちのデブは事情がはっきりしている。要するに誘惑に負けてしまったのだ。お酒の量はめっきり減っているが、その替わり間食で甘いものをよく食べるようになった。犯人は確実にこの甘ものだ。今日からその甘もの断ちも決めた。

10月18日 この時期は紅葉の山を歩くのが最大の楽しみなのだが、バタバタしていて気持ちにゆとりがない。毎日なにがしかの予定が入り、木を見て森を見ずの状態が続いている。毎月2本の本を仕上げるだけなのに精神的な余裕がなくなっているのが情けない。紅葉の海でおぼれるようにリフレッシュしたい、と思う、今日は小春日和だ。

10月19日 今日は決算報告書を税理士事務所の所長自らが来て、説明してくれる日。今年の決算は悲惨で、この1年間はほとんど何の動きもなかった特殊な年になってしまった。これがコロナ禍の現実と割り切るしかないが、この税理士事務所とは40年以上のお付き合いになる。税務に関しては完全にお任せで、不安もなにもないのだが、所長はもう75歳。そろそろ引退で後継者も決まり、事務所名も変わります、という。長い間本当にご苦労様でした。いい税理士と仕事ができて幸運だった。

10月20日 散歩の途中にあるラーメン屋と「おたくバー」が倒産していた。気を付けて歩くと、店を閉じ、いつの間にか経営者が代わったような店はまだたくさんあるようだ。一回の食事で3万円もとるような高級店はずっと予約がいっぱいで、長く続いていた老舗系の小さな店が幕を閉じていく。底辺部にランクされる秋田の経済はどうなっていくのだろうか。手掛けている7本余りの新刊も、内4本は山形や宮城といった県外の著者で、県内在住者は3人しかいない。150円台の円安時代がはじまると、その影響は暗い影をもたらしそうだ。

10月21日 本をつくっていると、いろんな問題が発生する。著者、印刷所、書店、取次や取材関係者など、必ずどこかで「ひっかかり」ができるのだ。逆に仕事がパタリと止まり、ヒマになると、こうしたトラブルやストレスとは無縁になる。すこぶる快適な毎日なのだが、仕事がないのだから将来が不安になる。はてさて、どちらがいいのだろうか。やっぱり忙しさのストレスのほうが耐えられるし、「あるべき姿」なのだろうな。 
(あ)

No.1130

田中小実昌エッセイ・コレクション
ひと

(ちくま文庫)
田中小実昌

 大きな病院で定期診断に出かけた。退屈なので待合室で本書を読んでいた。前にも読んだ記憶があるので中古で買った古本だ。もう昔のことは忘れているので新刊も同然だ。これが面白くてやめられない。医師の呼び出しがなければいいなあ、と真剣に思ってしまったほどで、なかでも短編「ゆいごん」は、あまりのおかしさに声を出して笑ってしまい、隣に座っていたご婦人は、へんな顔をして席を替てしまった。本を読んで声を出して笑うことはめったにない。「家族オペレッタ」という短編も良かった。小実昌氏の妻の兄である画家・野見山暁治のことが描かれているものだ。しかし、読みながら不思議な感覚にとらわれた。日常の断片や旅のあれこれ、酒場での出来事を淡々と日常に沿って書いているだけの物語なのに、どうしてこんなに面白いのだろう。大きな事件も起きなければ、劇的なシーンが描かれるわけでもない。特別な思想や哲学や生き方が描かれているわけでもない。でも、とにかく先へ先へと読みたくなり、ひとつの物語が終わると、切実なほど「もっと読みたい」と思ってしまう。俳優でいえば脇だが、それよりももっと地味で渋い、いわば脇役の手下のようなポジションからつぶやいている言葉の魔法だ。この人の個人全集が出れば、たぶん高価でも買ってしまいそうな気がする。

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