Vol.1142 22年11月19日 週刊あんばい一本勝負 No.1134

井上ひさしの本に夢中!

11月12日 沢木耕太郎の新刊『天路の旅人』(新潮社)を読了。う〜ん、この本は評価が分かれるだろうなあ。いつもの沢木の本が持っている「意外さ」や「驚き」「新鮮さ」や「ダイナミズム」が薄い。第二次大戦末期に中国大陸の奥深くまで「密偵」として潜入した日本人の「旅の記録」だが、背後の戦争や時代背景には(意識的に)ほとんど触れず、ひたすら旅だけを丁寧に記録し続ける。プロローグとエピローグに当たる2章だけ取材余話で、沢木自身はこの部分にしか登場しない。この本を書くために25年の歳月を費やしたというが、この年月が良くも悪くも物語のダイナミズムをそいでいるのかもしれない。

11月13日 外は青空、週末なのに山行はなし。パッとしない鬱屈を抱えた日々だ。気分転換に医学部後ろ側に広がる太平川に沿った柳田集落を散歩。そこに小さな神社があり、巨大なけやきがそびえたっていた。幹廻り7・6メートル、樹高25メートル。神社の名前は「火産霊神社」で「ほむすび」と読む。推定樹齢800年というのだから驚いてしまう。

11月14日 2週間から「朝ごはん」を抜いている。朝はぎりぎりまで寝ていたいタイプなので起きていきなり朝ご飯を食べる。こんな状態がずっと習慣になっていた。これが逆流食道炎の原因ではないのかと思いやめてみたのだ。早起きすれば済む問題なのだが、どうにもこれが難しい。2週間たち朝抜きにだいぶ慣れた。昼まで空腹感はあまりない。副産物は体重が落ち始めたこと。

11月15日 近頃テレビのニュース番組をとんと観なくなった。朝一番でBSやEテレの硬派なノンフィクションや自然派ドキュメンタリーなどをチェックし、毎日録画する。録画がテレビの主なお役目だ。民放はめったに観ることがないが、月曜日夜10時からの「月曜から夜ふかし」はよく観る。これは本当にくだらなくて面白い。

11月16日 「井上ひさし」に夢中だ。トイレの置き本も寝床用も外出用持出本もすべて彼の本だ。「藪原検校」の関するエッセイがあり、興味を惹かれた。はるか昔から盲人に与えられた官位(検校)のことや、盲人と東北地方は深いつながりがあったことを知らなかった。さらに奇遇だが、デスク横に半年前に買ったまま読む気力がわかずツンドクのままだった川内有緒著『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社)が、「私にも興味を抱いてよ」と流し目を送ってきた。「一直線で正解にたどり着いてしまう解説(コミュニケーション)はつまらない」という全盲で現代美術の好きな白鳥さんと、美術館巡りをするノンフィクション作家の対話本だ。井上ひさしが導いてくれた「未知の世界」への大きな始まりかもしれない。

11月17日 10月下旬、突然「悪心」に悩まされた。むかつきに立ちくらみに吐き気、意識が横流れしてふらつく……。これは脱水症状なのか、過労によるストレスか、それとも脳に腫瘍でもできたのだろうか。らちはあかない。近所のお医者さんで事情を話すと、「逆流性食道炎の薬の量を増やしてみたら」とアドヴァイスされた。そこで10ミリグラムの薬を20ミリグラムに替えたら、あら不思議、吐き気や立ちくらみはスッとおさまった。でも逆流性食道炎という病気は、考えていたほど甘くない病気のようだ。

11月18日 本を読んでいて気になった言葉を手帳にちょこちょことメモしている。手帳はここ10年、「ほぼ日手帳」を愛用している。この手帳に10年分溜まった「言葉」を、大判の専用ノートに書き写すことにした。使い終わった手帳はよほどのことがない限り、見返すことはない。だからメモした言葉は年毎に色あせていく。なんだかもったいないなあ、と思ったからだ。書き写しながら感じた。メモされた言葉の数々は時間の壁を軽々と超え、いまも色あせず、手帳の中でひっそりと息づいていた。
(あ)

No.1134

裏切りの雪
(徳間文庫)
花家圭太郎

 県立近代美術館で「秋田蘭画の世界」を観てきた。秋田蘭画の実物を見るのは初めてだ。平賀源内によって持ち込まれ小田野直武と秋田藩主である佐竹義敦(曙山)によって花咲いた絵画だ。この時代を背景に書かれた時代小説が本書である。『竹光半兵衛うらうら日誌』シリーズ3分冊の最後の巻だ。羽州佐竹藩剣術指南役・小寺半兵衛が藩の事情から自分の許嫁の父を斬り殺し、江戸に出奔。浅草寺境内で香具師として糊口をしのぎながら許嫁の仇討が来るのを待つ。この「藩の事情」とは財政難による藩を二分する抗争のことで、この藩の分断を招いた遠因は藩主の秋田蘭画狂いにある、と著者は言う。老職重臣たちから見れば義敦は、「平賀源内という稀代のペテン師の口車に乗り」「文化交流に多大な浪費」「道楽こうじて直武に過度に肩入れ」したダメ殿様、ということになる。わずか11歳で秋田藩主となった義敦の在位期間は27年(38歳で没)。絵に夢中で藩財政には無頓着、藩情に暗く、自由気ままな人物だった。城下は毎年のごとく大火に見舞われ、久保田城も二度にわたり火事被害にあっている。そのため財政は火の車、参勤交代の費用に差し支えるまで困窮している。そんななか角館北家の給人にすぎぬ直武を取り立て、江戸遊学をさせ、さらに秋田定府(じょうふ)を申し付け、直臣にまで取り立てている。義敦が「文雅殿様」と言われるゆえんだが、こうした時代背景や舞台裏をうまく取り入れて上質の時代小説に仕上げている。

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