Vol.1144 22年12月3日 週刊あんばい一本勝負 No.1136

動物園は収穫だった

11月26日 戦争や人種差別、宗教問題や障がい者をテーマにした映画は避けがちだ。最近は映画のセレクトを他者の評価でなかば自動的に選んでいる(でしか選べない)ので、けっこうこの手の重いテーマの映画を「観てしまう」。アメリカ映画『ドリーム』は原作の副題が「NASAを支えた名もなき計算手たち」。1960年代初頭のNASAでの黒人女性たちの活躍を描いた物語だ。ソ連との有人宇宙飛行を競う中で果たした超優秀な黒人女性たちが差別と闘いながら未来を勝ち取っていくのだが、後半はIBMという高速計算機コンピューターとの戦いに主眼が移っていく。黒人差別という重いテーマをエンターテイメントとして扱うのは壁が高いのに、難なくそこをクリアーしているのがすごい。

11月27日 すさまじい雷だった。ソファーに寝転んで本を読んで休日を過ごした。椎名誠の新刊『失踪願望。』(集英社)が届いていたので3時間で読了。井上ひさしの文庫本を2度読みする。嵐は夜までおさまったので散歩。最近は月夜の明るい晩でも傘を持っていくようになった。小銭をもつのは不意のことあった時にタクシーに乗るためだが、町中でタクシーを捕まえるのはもうほとんど不可能に近い。

11月28日 大森山動物園に行ってきた。何十年ぶりだろうか。友人が東京から訪ねてきて「動物園に行きたい」というので付き合ったのだ。あまり期待していなかったのだが、意外な発見や思いがけない動物との出あいもあり、実に楽しいひと時を過ごした。友人は元新聞記者で、昔の秋田勤務時代に知り合い、いまも親交が続いている。退職後は上野動物園のボランティア・ガイドや世界各地の動物園探訪を趣味にしている人物だ。「いい動物園というのは?」と訊くと、間髪入れず「飼育員が外に出て観客と一緒に動物を見ている園」だそうだ。入場料を払うときに窓口の係員と話すだけで、園のレヴェルがわかるケースも少ないないという。

11月29日 いまはちょうど忙しさが終わり、次に来る第二波のバタバタを前に静かに心の準備をしている……という状況だ。夏の終わりごろから急に仕事が立て込み始め、うち半分がこの冬の寸前(現在)までに仕上げた。あとの半分がこれからだ。これらはいわゆる一過性というやつなので素直に忙しさを喜べないが、ヒマよりはましだ。

11月30日 房住山の山頂にあった石柱の「大山祇神」は「おおやまつみしん」が正解だった。古来からの鎮守の神様で全国各地にあるものだが、その「くにつかみ」という意味から派生した読み方だ。さらに八丁堀の役人が持っている「十手」は「じって」で、「じゅって」はダメ。十階は「じゅっかい」ではなく「じっかい」、十進法は「じゅっしんほう」ではなく「じっしんほう」、十種競技は「じゅっしゅ」ではなく「じっしゅ」だ。十のつく言葉では「じっ」という促音が「じゅっ」と拗音化したうえでつまる傾向がいちじるしいのだそうだ。

12月1日 12月がはじまった。8月の終わりごろから忙しくなって、仕事はまだ半分も片付いていない。その半分が来年度に繰り越し。この「繰り越し」という言葉が現実味を帯びるのが12月だ。仕事以外にも12月だけはグンと酒席が増えるのも特徴で、体調を崩す危険性と隣り合わせだ。現時点で判明している酒席は12月だけで5つ。せっかくここ1ヵ月で減らした体重も元の木阿弥だ。1月はいつも憂鬱な月になるのは、この体重増が関係している。

12月2日 昨夜はSシェフと和食みなみ。Sシェフからは、春に「梅干し」、夏に「ナスガッコ」、秋になると「キノコの瓶詰」に「イブリガッコ」、冬は「干し柿」「ダイコンビール漬」「タケノコの水煮」「ワラビのしょうゆ漬」……と毎週のように手製のおいしい差し入れがある。昨夜はそのお礼の宴席だ。Sシェフは何と「みなみ」の店主にまで「キノコの瓶詰」をプレゼント。プレゼント好きというよりも、自分のつくったものを一人でも多くの人に食べてもらいたい人なのだ。なのにこちらは天邪鬼、「あれは美味しくないからもう持ってこないで」などと好き勝手をほざいてしまう。
(あ)

No.1136

ただ生きる
(夕陽書房)
勢古浩爾

 「ただ生きる」とは人生の主題を「生きる」ことに見定めること、だそうだ。それを彩るために趣味嗜好を愉しみ、まっとうな人間関係をきづくために「人間元素」の涵養をする。人間元素とは配慮や気遣い、思いやりや寛容、人間を人間たらしめる「善」のこと。著者の日常はこうだ。目が覚めた時、起きる。降圧剤を飲む。リュックを背負い自転車で外へ。歩数計で時々1〜2万歩、歩く。2,3時ころ、店で昼食。喫茶店で本を読み、書きし、公園で休息。夕陽の写真を撮り、夕方帰宅。夕食後は12時までテレビ。引き続いて明け方までDVDで映画を観て、本を読んで、寝る――こんな生活を10年以上続けている。「起・食・糞・寝」の日々だが、ちょっと前向きの意思と生きがいがあれば、それでいい。余計なことは考えない。余計なことはしない。無意味な観念に振り回されない。観念は「自由」ひとつがあればいい。「普通で、つまらない毎日を幸せに過ごす」が極意だという。けっして理想的ではない社会の中で、そして無意味な価値が蔓延している世界で、自分だけは、あるいは自分の周辺だけでは、できるだけ理想的に生きようとする、それが「ただ生きる」ことだ。

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