Vol.1153 2023年2月4日 週刊あんばい一本勝負 No.1145

お湯が出るだけで世界は明るい

1月28日 今度は鈴木邦男さんか。享年79だ。鈴木さんには竹中労さんのお別れの会で初めてお会いした。湯沢市での小学校時代、恩師が私と同じ女の先生だったことで盛り上がった。彼の父は転勤族で、生まれは福島だが秋田で小学時代を過ごしているのだ。彼が起ち上げた新右翼団体「一水会」の相棒だった阿部勉さんは角館の出身で、阿部さんの葬儀の際も角館でご一緒した。30年近く昔、秋田市で小さなタウン誌を作っていたKさんと鈴木さんは「子供時代から宗教活動(生長の家)の仲間」だった大の仲良しで、彼の子ども時代や三島由紀夫との思い出など、いろんな話を聞かせてもらったこともある。

1月29日 温水器が凍結して風呂に入れない4日目。大量の衣類をコインランドリーへ。その合間にカミさんのアッシー(死語?)、昼は友人の病気快癒祝いのランチ会(まだ酒が飲めないため)。さらに午後からは地元紙に依頼された「本の雑誌」目黒さんの追悼文を書く……とやることが目白押し。ところが突然、先日の床リフォームをしてくれたT君が来舎し、ボイラーの凍結部分をチェックしてくれ、その場で解凍してくれた。これですべての予定を変更、「料理」をする余裕までできた。カンテン、ローストビーフ、卵焼き、ポテトサラダといったいつもの常備菜を作り、しばし浮世の憂さを晴らした。お湯が出るだけで世界はこんなにも明るい。

1月30日 サイフをよく紛失する。たいていは勘違いで、すぐそばに置いて忘れていたり、車の中だったり、買い物袋の中に入っていたりするのだが、あの「失くしたッ!」と気づいた瞬間の精神的ダメージの大きさはかなりのものだ。サイフの中にはマイナンバーも健保もクレジットカード、免許証まで入っている。だから散歩にはカード類の入ったサイフではなく小銭入れだけを持って出る。友人たちに訊くと、「サイフには現金以外いれない」派と「現金と免許証のみ」派の二手に分かれた。今日から免許証派に鞍替えだ。

1月31日 新聞の死亡欄を見ると毎日のように知っている方の訃報が目にはいってくる。その一方で、過去にうちから本を出した「あの人」は健在だろうか、と思い出し、連絡を取ろうと思うが、生死がわからない。亡くなっているのか、健在なのか確かめる術がないのだ。ある程度有名人なら新聞記事になるし、口にものぼるから問題はない。県内の無名な人たちの生死(というか死亡リストのようなもの))が、わかるような仕組みが作れないものだろうか。

2月1日 ちょっと遠出をして駅前まで散歩。NHK前で話題の「NHK党」が街宣車を停めてアジテーション。歌付きでその歌詞もよく聴くとなかなか面白い。いつもはコンビニのコーヒーなので、フンパツして駅前のスタバに入ったら満席。半分が受験生の図書室状態で、三分の一が外国人。残りが旅行客。ある場所で「アエラ」のバックナンバーを読んで衝撃。1年前に読んだときに比べ明らかに紙面が劣化、表紙に至ってはジャニーズ系の顔だらけではないか。中身も興味の持てる記事はほとんどない。たった1年でこれほど雑誌は豹変できるものなのか。

2月2日 高校まで自転車通学だった。寒いし坂道はあるし眠い。でも今は自分には自家用車がある。そうか今日は車に乗って学校に行けばいいのだ。免許もあるし車もあるこの幸せ。朝のかったるい気分が一挙に解消する。なのに帰校時には車に乗ってきたことをすっかり忘れ、大慌てで車を取りに高校に戻る……という夢を最近よく見る。なぜ高校生なのか、どうして車が出てくるのか、夢のどこのパーツにもリアリティがない。高校に行くのがなんとなくいや、という気分だけは間違いないが半世紀以上たった今、その夢の正体を考えても何もわからない。

2月3日 このコーナーはできるだけ当日の朝に書くことに決めている。前もって「書き溜め」していたこともあったが、なんだかしっくりこない。前日に何度も推敲された文章なので、お行儀がよく、破綻がない分、切迫感やダイナミズムのようなものがなくなってしまうのだ。ヘタでも支離滅裂でも、このコーナーは、まずは朝の気分をダイレクトに反映したライブ感を大切にしたい。昨年末からのバタバタもすっかり影を潜め、いつもの静かでヒマな日常が戻りつつある。そろそろペンディングしていた「50年史」の仕事に立ち戻る時期が来たのかもしれない。
(あ)

No.1145

高瀬庄左衛門御留書
(講談社)
砂原浩太朗

 年末に「今年のベストテン」系の雑誌を参考に20冊ほど本をまとめ買いする。恒例行事のようなものだが、年も明けるとそのストックもほぼつきかける。まとめ買いの最後となる一冊、本書を読了し、深く満足するとともに、「明日から読む本がない」といういたたまれない焦燥も襲ってきた。良い本と確実に出会える機会はそう簡単ではない。砂原の本は下級武士を主人公にした、斬った張ったのない地味な時代小説である。地味なというのは、もう時代小説は司馬や池波のエンターテイメント路線から、穏やかで、静かで、美しい物語のほうへ流れが移っている。藤沢周平の時代小説の「流れ」といってもいいかもしれない。先日読んだ『尚、赫赫たれ』もその系譜の時代小説だった。本書の主人公・高瀬庄左衛門は神山藩郡方で、五十を前にして妻を亡くし、息子も事故で亡くし、倹しく老いていくだけの身だ。絵を描くことが趣味で、ただ寂寥と悔恨の中に生きている。そこに息子の嫁と藩の政争が静かに波風をたてはじめる……こうした主人公のパターンが最近の時代小説には少なくない。混迷の世を生きる道標となるのは、こうした過去の物語の主人公の生き方なのかもしれない。

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