Vol.1162 2023年4月8日 週刊あんばい一本勝負 No.1154

ずっと天気のいい1週間だった

4月1日 いい天気が続いている。デスクワークをしていると「ものすごく損をしている気分」になるのは、雪国の人間の悲しいサガなのかもしれない。明日の日曜日は山行がある。週に1回、山行があると少なくともその前後も含めて3日間は、張り詰めた、達成感のある、充実した精神状態が約束される。ということは、逆にいえば山行がない週は「甘みの薄い羊羹」を食べているような味気ない1週間になる。すぐそばにある、身近な森の中に分け入って、汗をかいて、新鮮な空気を吸って、バカ話をしながら動植物の世界にお邪魔してくるだけの数時間なのだが、もうこの時間がないと1カ月がとてつもなく長く感じられるようになってしまった。

4月2日 近場の男鹿なので山行の出発も8時半。山歩きは楽しみだが早起きは苦手。朝方に生活を切り変えようとトライしたことも何度かあったが、やっぱりいつも失敗する。なんとなく頭がさえ、いろんなことがクリアーになるのは午後遅くからなのだ。昔から編集者は午後から出社して夜遅くまで仕事をするのが相場だ。これも単なる「悪しき慣習」ではなく、なんとなくやっぱり午後から夜にかけて頭がクリアーになり、仕事が動きさすからだ。

4月3日 昨日今日と2日連続布団干し。浮かれて仕事でミスをしないよう、気を引き締めている月曜日だ。最近、読書の方はさっぱりご無沙汰。映画は時間を食うのでしばらく意識的に遠ざけているのだが、本は「ごはん」のようなもの。読みたい本が寝床に積まれているのに、なんだか食指が動かない。本は浮世の憂さを忘れさせてくれる。だからこちらも集中して、その世界に入り込みたい。でも今はちょっとそうした気分になれない状態だ。まあこんなこともある。本は逃げないしね。

4月4日 テレビ番組を観ながら「メモを取る」というのは珍しいが、NHKの「映像の世紀 バタフライ・エフェクト」を観るときだけは、いつもメモを用意してテレビの前に座る。昨日のテーマは「戦争と芸術」。ナチとの関りで登場するフルトベングラーやショスタコービッチ、バレンボイムの苦悩が生々しくフィルムに記録されていた。日本のファシズム関連では作家・日野葦平が取り上げられていた。それにしてもバレンボイムがユダヤ人たちの前でワグナーを演奏するときの、あの決死の演奏場面には涙が出そうになった。

4月5日 いつもの床屋で散髪。散髪代が前回より1000円高くなっていた。いまはファスト・フードと同じような「早くて安い」店ができていて、この店の3分の一くらいのお代でやってくれるそうだ。髪も残り少ないし、もうそっちで十分かな、と思った。この店は腕のいいオヤジと弟子とでは散髪代がガクンと違う。カミさんにも「美容院より高いわよ」と小言を言われてしまった。3カ月に一回の散髪代をどうするか、そこを深刻に考える時代が来るとは、思わなかったなあ。

4月6日 散歩の途中で会う人に「陽気な人」たちが多くなったような気がする。大声で歌を歌いながら自転車で疾走する若者(といっても30代後半か)、フードをすっぽりかぶってラップ口調で道路の真ん中を闊歩する奴、ずっとこちらの顔を見て笑い続ける老人、まるで携帯電話で友人としゃべっているように独り言を言い続ける若い女性。背後からいきなりべたな関西弁が聞こえてきて驚いたら、近所の甲子園常連校の野球留学の高校生たちだった。人間観察には春の散歩が最も適している。

4月7日 「注文した本が届かない」という怒りの声を最近多く聞くようになった。これは最近多くなったトラブルで、言い訳させてもらえば、こちらのミスではない。郵便事情が昔と変わったのだ。以前は市内の即日配達など当たり前だったが、いまは同じ秋田市内でも3日も4日もかかるケースがある。人手不足や労働環境の問題で、アマゾンのように注文即翌日配達とはいかないのが現状だ。もう「安くて速い」という時代ではなくなりつつあるのも確かだ。何十年も続けてきたうちの「送料無料」もそろそろ見直しの時期に来ているのは間違いないようだ。
(あ)

No.1154

ペガサスの記憶
(小学館)
桐島洋子
 著者の名前はテレビによって「未婚の母」や「飛んでいる女」といったスキャンダラスな存在として知っていた。でもこの本を読んで、その先入観を恥じているところだ。佐野眞一の『唐牛伝』には著者の名前がたびたび出てくる。彼女は60年安保のヒーロー、唐牛健太郎や青木昌彦とも関係があり、その意外さから本書に興味を持った。彼女の祖父は郷士で、郷土の出世頭である三菱・岩崎家の書生になり、帝大に進み、岩崎一族の子弟の家庭教師を務めるのが仕事で、最終的には三菱の番頭として財を成した人物だ。父はその財産で上海に渡り、大陸新報という新聞の社主である。母は秋田の医師の娘だ。本書は彼女の80余年に及ぶ人生を振り返る自伝だが、本人の筆になる記述は半分ほどで途切れ、後半は、かれん、ノエル、ローランドの3人が自分たちの記憶をつないで「完成」させている。著者がアルツハイマー型認知症になったためだ。子どもたちの父親はダクというイギリス人で、彼とは電車の中でナンパされ、共通の趣味であるダイビングを通じて中を深め、結婚。何ものにもひるむことなく堂々と前を向いて、世間の目と闘いながら3人の子どもを育てた。お金や物や権力に興味はなく、敷かれたレールに乗らず、崇拝していたのは彼女なりの自由だけだ。その母がバブルのころ骨董商を営む、虚言癖のある臆病で小心者と恋をする。勝見洋一のことだが、子供たちはこの男を毛嫌いしている。そういえば前半部で著者本人が右翼の大物と言われる田中清玄を「文章がヘタで、センスの悪い男」とこき下ろしているのも面白い。

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