Vol.1164 2023年4月22日 週刊あんばい一本勝負 No.1156

地球の反対側からお客さん

4月15日 高度な人工知能といわれるチャットGPTが気になる。自分の仕事に即して考えただけでも、校正は100パーセントAI任せ、企画・編集・営業管理まで、人間の介在が不要で成立してしまう。10年ほど前、パソコンに小説を書かせる試みが話題になったことがあるが、このチャットGPTはそんな幼稚なレヴェルの話ではなさそうだ。とりあえず黒船はやってきた。それとどう対応するか、うろたえず真剣に考えてみる必要がありそうだ。

4月16日 生れてから3歳まで足が悪くうまく歩けなかった。股関節脱臼と診断されるまで時間がかかり、その病名がわかって手術してからは、ずっとギブスで母親に負ぶわれて過ごした。歩けるようになっても小中学校では女子より足が遅かったし、大学に入ってからも歩き方がヘン、と笑われたこともあった。なぜもっと早く脱臼を見つけて治療してくれなかったのか、愚痴で母親を困らせたこともあったが、最近、朝日新聞デジタルの記事でショッキングな事実を知った。70年代以前、日本は100人に1人が脱臼する「脱臼多発国」だったのだそうだ。特に脱臼は赤ちゃんに多く、痛みもなく、歩けなくなることもないため、発見や診断が遅れる傾向にあったのだという。さらに驚いたのは赤ちゃん脱臼の原因が「布オムツ」だったことだ。これによって股関節やひざ関節が無理に延ばされ、脱臼しやすくなったのだそうだ。布オムツの使用率が低下した現在、幼児の脱臼はグンと減っている(最近はまた増える傾向にあるらしいが)。痛みもなく、原因もわからなかった当時は、「なんだかこの子は歩き方がヘン」で片づけられてしまい、医師も病因がよくわからなかったのだろうが、布オムツが原因とは意外だった。

4月17日 同じ腕時計をずっとこの1年巻いている。20年ほど前、オメガなのに7万円ぐらいの値段だったので、ウソだろう、と思いながら買った。なぜ安いのか理由はすぐわかった。巻き上げが手動で、すぐ針が止まってしまうのだ。しばらく放っていたのだが1年前、ワインディングマシン(自動巻き上げ機)を買った。夜はこの機械に放り込んでおけば勝手にゼンマイを巻き上げてくれる。この機械がよかったのだろう、もうずっとこの同じ時計で通している。

4月18日 地球の反対側からお客さんが見えた。ブラジル・パラ州のトメアスーという日本人入植地から、僧侶で84歳のSさんが来日、弘前城の桜を見た帰り事務所に寄ってくださった。私がトメアスーに行くといつもアテンドしてくださる方だ。日本へは40日間ほどの滞在だが、そのスケジュールを聞いてビックリ。数日単位で移動を繰り返し、北海道から九州まで、ほぼくまなく全域を駆けめぐる。観光旅行ではない。村(トメアスー)を代表して世話になった人たちを訪ね、近況報告や故人の墓参りをする。京都では僧侶として本寺で研修に参加し、熱帯農業の研究者らと会合を持ち、村からの出稼ぎ者たちも訪ねる。個人的には親戚へも寄るのだが、関係者へのあいさつ回りも重要な仕事だそうだ。いやはやものすごい体力だ。小柄で痩身、学究肌で農作物の造詣が深く、村でも人格者として一目置かれている人だ。。

4月19日 仕事が一段落、昼は秋田大学の生協食堂へ。もう何年も通っている場所だがコロナ前と後では劇的に環境が変わってしまった。めん類、おかず、カレー類、その他のメニューと、なんと入り口が3カ所に分けられていて、さらに混みあわないように動線がロープで区切られている。ほとんど刑務所の食事風景だ。衛生安全を配慮したうえでの「ルール」なのだろう。素うどんとカレー小盛と肉じゃがのランチを食べようともくろんでいたのが、面倒くさそうなのでカレーだけにした。そこから散歩がてら秋田駅に移動、駅ナカの喫茶店で、昨日アマゾンから来日したSさんのインタビューのテープ起こし。それを終え、同じ駅ナカにある市議選の不在者投票。投票所のブースに入って、ある候補の名前を書いたのだが、帰り道、自分がだれに投票したのか、その名前が思い出せない。やれやれ。

4月20日 近所に見慣れない車が止めてあった。アパートの前なのだが愛媛ナンバーだ。そうか医学部の新入生か入ったか。3年間、新聞コラムを担当してくれた新聞記者Sさんが転勤のあいさつに来た。市議選が終わると長野に移動だそうだ。大学のグラウンドでは「横手城南」と書かれたジャージでテニスに興じている若者がいた。これも新入生なのだろう。取次の地方小社長から大きなタケノコが送られてきた。これもこの時期の恒例で、さっそくSシェフにビン詰加工してもらう段取りをする。四月はなんだかやっぱり、いつもと違う空気が自分の周りにも外にも流れている。場所や時間、風やファッション、街の匂いや空の色にそれらは表われる。今日から小坂洋右『アイヌの時空を旅する』(藤原書店)を読みだした。これは面白そうだ。

4月21日 鶴岡市の荒倉山〈307メートル〉へ。酒田市のカメラマンSさんと一緒だ。1時間ちょっとで山頂に立てるのだが、収穫はマキノスミレを初めて観たこと。普通のスミレと全く違う葉がついていて、あの牧野富太郎の発見になるスミレなのだそうだ。山を降り今度は酒田市美術館に「熊谷守一 いのちを描く」展を観に行く。なんで山形で熊谷守一なの? というのが正直な印象だったが、これは天童市美術館収蔵品で、天童出身の熊谷のパトロンが個人的に集めたコレクション。点数が少なく、作品のヴァラエティも貧弱で、少しがっかり。  
(あ)

No.1156

邂逅の森
(文春文庫)
熊谷達也
 阿仁マタギの物語だが舞台は山形の山奥だ。直木賞をとって話題になった本だが、秋田ではそれほどスポットライトが当たらなかったのは、ひとえに舞台が山形で、秋田に関わる記述が少なかったからなのかもしれない。阿仁の貧しい小作農に生まれた富治はマタギを生業とし、狩に喜びを感じる青年だったが、地主のひとり娘と恋に落ち、村を追われ、同じ県内の鉱山で働くことになる。マタギと鉱山で話が終われば、「秋田の小説」として問題はなかったのだが、どうしてもマタギとして生きたかった富治は渡り鉱山として山形へ移り、ここで本格的なマタギとして生きはじめる。そこで起きる様々な事件が本書の主要舞台だ。会話の中に「少っこ」(べっこ)という言葉が何度か出てくるが、これは秋田県北部では遣わない方言だ。マタギの発祥については諸説ある。明治政府によって交付された地租改正条例によって農民は土地の所有権と土地売買の自由を手に入れたが、耕作地そのものが少ない山間の阿仁では、それが一層の貧困と格差をもたらした。しかしマタギにとればひと冬に一頭のクマを仕留めれば、それだけで数家族が冬を越すことができる収入になった。クマの肝一匁がコメ2俵になり、敷物の毛皮も人気商品だった。現金輸入は山にすむ獣たちだったのである。

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