Vol.1167 2023年5月13日 週刊あんばい一本勝負 No.1159

GWはけっこう有意義に過ごせた

5月6日 雨だ。能登の地震とこの雨で前向きな気分がしぼんでしまった。雨はときどきこうして熱くなりすぎる人間のエネルギーに冷や水を浴びせかける。そうすることで暴走しそうな心身のバランスを取ってくれているのかもしれない。頭を冷やす、というのは言いえて妙だ。今日は散歩もできそうにない。読む本も尽きた。録画している映画も残りわずか。原稿書きもうんざり。さあ雨よもっと降れ。

5月7日 原稿書きに専念。時間を忘れてのめり込むなんて珍しい。クールダウンのつもりで録画していたNHKTV「ザ・ヒューマン」を観た。「龍と、獅子と、茶の香り」という変わったタイトルで内モンゴル生まれの女性写真家で画家の陳漫(チェンマン)という若い女性作家の創作活動をドキュメンタリーしたもの。番組は本人のモノローグで進行する。彼女の才能にすっかり打ちのめされてしまった。陳漫は芸術的な才能だけでなく、容姿も女優並みの美しさ。天は不公平にも二物を与える。

5月8日 NHKテレビの「にっぽん百低山」という番組に「シハイスミレ」という聴き慣れない花が出てきた。京都の大文字山が舞台だ。よく見ると先日、庄内の荒倉山で身たあの「マキノスミレ」ではないか。三角錐のユニークな形の葉っぱが特長で、正式名称が「シハイスミレ」というのだそうだ。葉の裏が紫色なので「紫背」だ。これは牧野富太郎自身の命名で、個人的にも牧野が最も好きな種のひとつだったという。主に西日本を中心に見られる花で、宮城県あたりが北限と書いている資料もあった。庄内で見かけたのは、けっこう自慢してもいい発見だったのかも。今度は秋田で「シハイスミレ」を見つけてレポートしたい。

5月9日 GWが明けてはりきって出舎した途端、カタカタと震度3クラスの揺れ。地震ではない。解体工事の振動だ。まだ終わってなかったのか。あきらめて御所野イオンまで遠出してブラブラショッピング。午後3時ころ事務所に戻ったがカタカタ、グラグラはまだ続いていた。基礎のコンクリを地中から引きはがす作業のようで、GW前よりも揺れはひどい。こちらの家屋の老朽化のほうが問題なのかな。

5月10日 知人が検査入院。自分のことのように落ち込んでしまう。GWも終わった。どこにも出かけず、ダラダラもせず、きちんと机に向かって自分の原稿書きに励んだ。これをを書き上げなければ死ぬに死ねない。自分の最後の仕事になるのだろうが「これまでの40年間はムダではなかった」ことを証明するためにも書かずには死ねない「宿題」だ。書き終わってしまった後の反動や虚脱感も怖いが、いまはそんな悠長なことをほざいている余裕も時間もない。下世話な言い方だが費やした膨大な時間と費用を回収しなければ悔やんでも悔やみきれない。

5月11日 ノースアジア大学横の道路で、カラスが電線からクルミを落として割ろうとしている姿を目撃した。けっこう車の往来のある場所で、車の来るタイミングでクルミを落としているようにも見えた。車が横切る直前までクルミの位置を調整して、車に轢かせようとしている行動だと直感、じっと観察していたのだ。う〜ん、もうちょっと続きを見たかった。帰ってからカラス研究で有名な松原始の『旅するカラス屋』(ハルキ文庫)をひも解くと、クルミを「落として割る」と「車に轢かせる」の間には大きな溝があり、詳細な研究はまだなされていない、と書いてあった。カラスがクルミを車で轢かせることを学習していれば、もっと高頻度で目撃されているはずで、実際の目撃例はごく少ないのだそうだ。いやあ、その数少ない例を目撃できたかもしれなかったのに。

5月12日 久し振りに入った書店で内館牧子の『今度生まれたら』が文庫本になって平積みされていた。彼女の高齢者小説は4冊あり、その全部を単行本で読んでいると思ったが、この文庫のストーリーが思い出せない。ビニール閉じなので中身が確認できないので、思い切って買って読んだ。確かに昔、単行本で読んだ痕跡は確認できたが、本筋の流れをほとんど覚えていなかったので、最後まで楽しみながら読了できた。彼女の物語に共通しているのは「人間はすべてを手に入れることはできない。手に入れているように見える人は、必ずどこかにシワ寄せがきている」というテーマに貫かれていること。
(あ)

No.1159

真珠とダイヤモンド・上下
(毎日新聞出版)
桐野夏生
 80年代、バブル真っただ中の証券会社で働く女たちを主人公に据えた「虚飾の果ての狂騒と絶頂」の物語だ。バブル期の狂った日本人の金をめぐる物語は「大好き」だ。自分自身がこの時代の狂騒とは無縁だったのが原因なのかもしれない。いや、狂乱の果ての地獄というのは、誰もがのぞいてみたいドラマだ。それにしても物語の核心である肝心のマネーゲームに、こちらは何の接点もリアリティもない。証券会社が舞台なのだから、生れて一度も株や証券と無縁の自分に付いて行けるだろうか不安だった。でも杞憂だった。読みだすとやめられなくなった。さすがは桐野である。ステロタイプになりがちな男たちでなく、女たちが主役を演じる舞台なのも、興味深かったのかもしれない。書名の種明かしをすると、真珠は真珠でも「汚れ切った真珠」のことで、ダイヤモンドも実は「輝かないダイヤモンド」という意味である。短いプロローグとエピローグで、バブル後の長い時間経過と主人公たちの顛末がわかるが、物語そのものはNTT株のフィーバーでブレイクした前後の、あの数年の時間を濃密に描いている。この濃密な時代背景が、物語を間延びさせることなく生き生きと躍動させている。

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