Vol.1173 2023年6月24日 週刊あんばい一本勝負 No.1165

梅雨空を見上げて

6月17日 Gメール問題はどうにか解決、大きな問題にならなかった。メインのパソコンのほかにもう一台、同期させているタブレットを持っている。メインに不具合が生じた時のために、こちらもちゃんと使えるようにトレーニングをすることにした。ここ数日、ソファや寝床にまで持ち運び、カチャカチャやっているのだが、文章を書く時のコピペや辞書機能など仕事上の基本的なことが、まだうまくできない。

6月18日 日本史の中の室町時代というか、足利尊氏という時の権力者が今ひとつ私の中でうまく像を結ばない。先日、垣根涼介著『極楽征夷大将軍』(文藝春秋)という長編歴史小説を読んだ。尊氏は後醍醐天皇の命で鎌倉幕府・北条氏を滅ぼし、その後醍醐天皇とも戦うはめになり南北朝の動乱をもたらす。足利尊氏は実はまったくの傀儡で、「やる気なし・使命感なし・執着なし」のトンデモ人物で、ほとんどの「まつりごと」は弟の直義と、足利家執事の高師直の2人に任せっきり、本人は表に出ることがなかった、というのだから驚く。政治に関して、あきれるほど怠惰で無関心、存在感もなく武門の盟主になったこと自体が「日本史上の奇跡」だったというのだ。その対極にあったのが後醍醐で、塩みたっぷり、下世話で権力欲の塊、戦術家でもあった。この2人の対比が物語の骨格をなしている。昨日の新聞では、この本が直木賞候補に挙がっていた。

6月19日 「広面近隣公園」について友人から驚愕する情報をいただいた。住宅地に近接していない(利用者が少ない)。公園のなかに草の生えない謎の円形のペリポートのようなものがある。公園名がいかにもおざなりで、その場しのぎ、地域住民の愛着が感じられない……。と不思議な公園だが、実はこの場所は、そばにプロ野球の試合のできる巨大なスタジアムを建設する予定で、その資材置き場やヘリの発着、工事関係者の建物のために確保された空地だった、というのだ。この計画を立案したのが当時の県議会議員Yで、Yの家はこの公園のすぐそばにあったという。しかしYの計画はとん挫、スタジアムは幻に終わった。確保した土地は、「やむなく」公園として再利用された、というのが真実だったのだ。少し詳しく調べてみようかなあ。

6月20日 今年も人並みに夏休みはとれそうだ。でも肝心の「行きたいっ」と恋焦がれるような場所がない。近場でいいから山歩きをしたい、というのが本音なので、そうなるとちょっと目先を変えただけだが、庄内地方の小さな山々を歩いてみよう、といったあたりに落ち着く。旅に出かけても「アウトドアで汗をかく」という「ひと手間」がなければ旅は楽しくない。温泉に入って美味いものを食って酒を飲んで寝る、というだけでは身体が満足できないのだ。

6月21日 40年近く前、タバコをやめた。簡単にやめることができたのは「最初の1本を喫わない」という「真理」に気が付いたせいだ。町田康著『しらふで生きる――大酒飲みの決断』(幻冬舎文庫)は、30年間毎日大酒を飲み続けた著者が、突如、酒をやめた苦悩と葛藤が「饒舌な文体」で克明に記録されている。「酒を飲んでも飲まなくても人生は寂しい」「自分は普通以下のアホである」。自分をたいした人物だと思っている人ほど、そういう扱いをされないだけで不満を噴出させて酒におぼれていく。自分の存在や価値を私たちは高く見積もりすぎている、というのがこの本の結論だ。

6月22日 20年以上通い続けた理髪店だが、このところずんずんと値段が高くなった。普通の床屋さんの二倍以上の料金だ。奥田英朗に『向田理髪店』(光文社文庫)という本があった。北海道の過疎の進む炭鉱町を舞台に、そこに住む人々の人間模様を描いた連作集だ。16年に単行本が出た本だが、つい最近、映画化されたようだ。主演を調べたら「高橋克実」で主人公の向田役だ。重要な役割を果たす新旧のスナックのママの配役は、古いほうが根岸季衣、新しいほうは筧美和子だ。この本は私にとって名作で今回読むのは3回目だが、前に読んだ記憶を忘れているので、いつも新鮮だ。

6月23日 今日も雨。朝起きると肌寒さを感じる。仕事の山も越えたし、自分の原稿書きは「見てみぬふり」状態。昨日は遠方から来客があり、病気治療中の友人が退院し、奥様連れで報告に来てくれた。ヒマなので、どこか静かな場所で日がな一日ボーっとしていたいが、夜は自分の家の寝床に戻って安らかに眠りたい。遠出はイヤだ。いまが一番いいか、と考え直して梅雨空を見上げている。
(あ)

No.1165

土偶を読むを読む
(文学通信)
縄文jINE
 吉野ヶ里の石棺墓発掘は、これまで集落が巨大化した弥生後期の墓が見つからないことが謎とされていただけに、いやがうえにも期待は高まる。しかし今、「発掘」と言えば「ついに土偶の正体を解明」とうたった竹倉史人著『土偶を読む』(晶文社)という本の話題だろう。土偶とは縄文人たちが主食にしていた食物をかたどったもの、というのが結論の本だが、目からウロコを落としながら3分の1ぐらい読んだところで、「こりゃトンデモ本かも」と気が付き読むのをやめた。「似ている」という認知だけから始まって科学的実証はほとんどない。サントリー学芸賞は受賞するし、NHKの番組や養老孟司、松岡正剛といった知識人たちまでがベタ褒めだが、そうは簡単に問屋が卸さない。本書の登場である。編者は「縄文ZINE」という雑誌編集長の望月昭秀。その批判的考証は科学的で論理的、ユーモアたっぷりに著者を徹底的にやっつけている。公平で客観的な視点で特徴を羅列したかのように見せて、結局のところすべて最初の印象の植物へと結論にもっていくレトリックや、土偶の編年(歴史のようなもの)や類例を無視して、自説に合うように考古学的事実を改変する手口を、かなり悪質と手厳しく論破している。こっちの本のほうがずっと目からウロコだった。

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