Vol.1174 2023年7月1日 週刊あんばい一本勝負 No.1166

ウシガエルの鳴き声

6月24日 土曜日の楽しみはNHKFM「世界の快適音楽セレクション」。ゴンチチがデスクジョッキーを務める音楽番組だ。ゴンチチの関西弁は心地いいだけでなく、この番組で関西弁への偏見はすっかり消えたほど。面白い歌い手や曲をこの番組で知りCDを買い求めたことは枚挙にいとまがない。いや私の音楽の知識はほぼこのラジオが源泉といっていいほどだ。この番組だけは何気なく聴き続け、いまだに飽きることがない。

6月25日 久しぶりに発行したDM通信の返信が入り始めたので、少しは忙しくなりそうだ。本の注文はずっと「送料無料」で何十年もやせ我慢をしてきたが、たぶんそれも今回が最後だ。トラック運転手の残業規制強化で物流業界の人手不足が予想される「2024年問題」があり、もう「送料無料」を謳うのは無理があるからだ。人手不足は深刻で、運送業界では年々輸送能力が目に見える速度で落ちている。その元凶が「送料無料」というわけだ。今回のDMもすでに先週の初めには発送しているのだが、今週はレスポンスがほとんどない。まだ配達されていない場所が多いのだろうか。注文したものが無料で翌日届くという「夢のような現実」は早晩消えていく、と思ったほうがいい。

6月26日 現役で仕事を続けていると、落ち込んだり、未来に不安を覚えたり、プレッシャーに押しつぶされそうになる。もう70を超え、年々、体力だけでなく「耐える精神力」も劣化を感じることが多くなった。朝起きる時、「今日もしんどいなあ」と思うが、「働きたくても働けない人もいる」と思い直し、寝床を離れる。もちろん仕事の楽しさはあるが、どちらかというと苦しさのほうが勝る。仕事よりも楽しいことがいっぱい待っている「老後」があるのなら、そこに飛び込みたい。でもその確証はどこにもないから難しい。

6月27日 録画していた英映画『イミテーション・ゲーム』を観てしまった……やっぱり映画は面白い。第2次世界大戦でドイツの暗号を解読するため、いまでいう初期のコンピュータを開発した、「同性愛者」の英国の数学者を描いた物語だ。わざわざ同性愛者にカギカッコを付けたのは、あの時代、まだヨーロッパではホモセクシャルはとんでもない重い犯罪だったからだ。結果的に、主人公は暗号解読に成功し、戦争を2年早く終わらせ、1400万人の命を救った。にもかかわらず彼は社会の差別的重圧に自死を選んでしまう。彼がイギリスのヒーローとして復権するのは約70年後、2013年、エリザベス女王の謝罪発言によってだ。コンピュータもやはり、「戦争」によってもたらされた利器のひとつだった、というあたりが切なくてやるせない。

6月28日 散歩の途中、コンビニに入ってアイスコーヒーを飲む。ここのイートインはタバコ売り場の横。たばこを買いに来る客の多さに驚いてしまった。が、よくよく考えたらコンビニの隣は大きなパチンコ屋。タバコを買いに来るのは近所の人ではなく、パチンコ屋の客たちだった。だから接客の方も慣れたもので、彼らへの扱いが普通の客とは違う。ぞんざいなのだ。私もそのパチンコ客のひとりとみられているようで注文前に「はいはい、アイスコーヒーね」と軽くいなされる。いい歳をして昼間からパチンコなんかして、という、明らかに小ばかにした差別的な態度がありありだ。そうかパチンコの常連客だったのか俺は。

6月29日 曇り空なので傘を持って散歩。帰りにはコンビニでカフェオレとチーズパン(ポンデケージョ)を買い、いつもの公園へ。公園独り占めだが、下の池から工事用の重機の音がすさまじい。爆音と言っていいほどのうるささだ。伐採作業か池の拡張工事でもやっているのだろうか。池に降りてみると音はピタリと止んだ。なんだか怖くなってすぐその場を離れたのだが、重低音はウシガエルの鳴き声だった。近所の人に訊くと、「毎年駆除してるがダメ。このうるささは公害級だよ」とのこと。外来種で、カボチャほどの大きさ(小ささ)のカエルが、これだけの大きな声を出せることに心底驚いてしまった。

6月30日 大きな挫折を経験して、そこから這い上がってくる人の顔は、みんないい表情をしている。最近、テレビのドキュメンタリーで観た「天才ピアニスト・ブーニン」はその典型だった。ショパン・コンクールで優勝し、日本でブームが起きた時、ソ連のチンピラのような顔をしていて、まったく好きになれなかった。その後、名前を聞かなくなったと思ったら、西ドイツに亡命、日本人女性と結婚する。さらに左手マヒでピアノが弾けなくなり、悲劇は続いて、転んで足を切断する危機まで経験した。なかなかここまで不幸がバーゲンセールされることはない。でも、ここから彼の復活劇がはじまる。いまは知的で穏やかで、実に魅力的な顔をしていた。もう一人、スキー・ジャンプの高梨沙羅もいい顔だ。オリンピックのスーツ規定違反以降、見かけなかったが、なんと生活の拠点をスロベニアに移し、一人で黙々とトレーニングしながら異国での静かな暮らしを楽しんでいた。この自立的な姿勢がスポーツ選手らしくなく、これまた実にかっこいい。一人でもまったく孤独ではない、と言い切る姿からは「日本の新しい女性像」を見た思いすらした。挫折がないと人間は成長しない、のかもしれない。
(あ)

No.1166

サーカスの子
(講談社)
稲泉連
 「サーカスの子」というのは著者自身のこと。だから聞き書きひとつひとつにリアリティがあるのは当然だ。小学4年生の頃に母と一緒に働いたサーカス時代の思い出を聞き書きで再構成した。登場人物たちはもちろん過去のサーカスのスターたちが多いのだが、その出身地がちょっと気になった。著者は気にしていないが、やけに東北出身者が多い印象である。かなり東北に偏っているといってもいい。「キグレサーカス」そのものが北海道で生まれたものであることを考えれば、納得も行くから、たまたま東北ということではないのだろう。そういえば母親の、同じく大宅賞受賞作家である久田恵にも『サーカス村裏通り』という本があった。この本も昔読んでいた。その子供の本を今読んで、やっぱり面白い、と思っているのも時代がなせる業か。この本で初めて知ったのだが、母がサーカスのまかない人として働き始めたのは、当時、写真集『サーカスの時代』を出したカメラマン・本橋成一の本がきっかけだったそうだ。この本橋さんの写真集も、昔読んだ(観た)記憶がある。いやそれだけでない。本橋さんの拠点である東京の「ポレポレ」で、ご一緒にお酒を呑んだこともあった。この本を読んだことで、いろんなことがつながっていく。ちなみにのだが、お母さん久田の久々の刊行物『ここが終の住処かもね』(潮出版)もなんだかほのぼのとしていい本だった。

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