Vol.1180 2023年8月5日 週刊あんばい一本勝負 No.1172

37度の夏、なんて初めての体験だ!

8月5日 HP写真はサンパウロの公園の公衆便所。ブラジル人の色彩センスや美的感覚は、これを見ても一頭地を抜いている。ウォーキングの途中、これが便所なの! と驚いてシャッターを切った。秋田市は竿灯の真っ最中。昨日は遠くから来た縁類を案内、街に出かけたが、腰が痛くて駅ナカのコーヒー店で、ひとり待っているという体たらく。でも腰が痛くても、広面から駅前までは往復歩き通した……というあたりが訳分からない。

8月6日 この猛暑の中、クーラーが壊れ、挫骨の痛みに耐え、パソコンの前に座っている。いっこうに明るい未来は見えてこない。来週は来客や用事が重なっている。お盆前はいつもこうだ。挫骨の痛みは「脊柱管狭窄症の初期症状」と診断済み。

8月7日 珍しく今週のスケジュールは埋まっている。30年以上ぶりに訪ねてくる友人たちもいる。これで私の体調が良ければいうことはないのだが、人生はそううまくいかない。右足付け根の痛みは一向に去ってくれない。痛み止めが効かないというのが何とも理不尽だ。でも普通に仕事をしたり、ベッドに横になることは何の支障もない。歩いていると痛くなるのだ。それでも無理やり歩き続けると、不思議なことに痛みは消える。何ともやっかいな症状だ。まあ一病息災というあたりの言葉でお茶を濁すことにしているのだが、ひとつの病があると人間は謙虚になる。

8月8日 今日も秋田は36度越え。こんな暑さは経験したことがない。クーラーの故障は想定外だったが、外に逃げようにも歩くと挫骨が痛くなる、というのだから最悪だ。「泥棒に追い銭」って、ちょっと違うか。でもおかげで水分をよくとるようになった。冷やした麦茶に塩をパラリと加えて専用ボトルで1日何回も飲む。おかげで朝の便通がテキメンによくなった。汗拭き用のタオルを毎日のように洗濯しているのも初めての経験だし、朝着た服を午後には再度着替えるのも生まれて初めての体験だ。70歳を超えてから、変な訳の分からないウイルスや避難を考えたほどの豪雨、アマゾンよりも暑い夏を経験するなんて、なんて人生だ。

8月9日 以前のように昼食のメニューをリンゴと寒天に戻した。この夏の仕事場ランチはずっとめん類で、自分で作って食べていた。とろろ蕎麦や冷やし中華、ジャージャー麺にソーメン……といった具合のローテーションで、逆流性食道炎の薬を服んでいるので食がガンガン進んだ。いくら食べても胃もたれしないのだから、太るのは当然だ。薬は恐ろしい。これではまずいと食べる量を減らすほうに舵を切ったわけだ。体重管理がうまくできていると精神的にも安定感がある。やはり食べすぎというのは害あって益なしを実感している。

8月10日 何年ぶりかで川反へ行った。人通りはなく、ほとんどゴーストタウンだ。こちらの予想よりずっと街は荒廃している印象だ。タクシーが捕まえるのが一苦労だった。やむなく大通りまで出たが、そこでもタクシーはほとんど走っていない。ようやく捕まえたタクシーの運転手は「飲食店ビルの半分は空き家だよ」とのっけからぼやく。タクシーよりも代行車を多く見かけたが、豪雨による浸水で動かない車も多いのだそうだ。こうした現象はしばらく続くのかもしれない。なんだか難しい世の中になってきたなあ。

8月11日 クーラーの不調はよく考えると、あの豪雨の直後だ。故障と大雨は関係があるのかもしれない。ということは保険の対象になるのではないか。そんなことを考えていたら、今度は家屋の雨どいがどさりと落下している個所が見つかった。これは間違いなく豪雨の影響だ。豪雨の後の町内の安否確認では「被災証明を受けるような事案はありません」と答えていたのだが、1週間以上たってから、目に見えなかったものが、可視化されてあれこれと浮上してきた。災害の怖さはこんなところにもある。時間が経ってから不具合が見つかることの方が多いのだ。こんな時ぐらい保険会社には頑張ってほしいものだ。
(あ)

No.1172

極楽征夷大将軍
(文藝春秋)
垣根涼介
 日本史の中では「室町時代」というのが、よくわからない。歴史好きな人たちは「室町こそ、歴史の醍醐味」という人が多く、ずっとそのあたりのことを知りたいと思っていた。室町の不可解さの要因を作っているのは足利尊氏という人物だ。この時の権力者が今ひとつ私の中でうまく像を結ばないのだ。本書は2段組550ページの足利尊氏の数奇な運命を描いた長編歴史小説だ。書名に反して(?)、あるいはこの著者の過去の作品から想像もできなかった、「まじめな歴史小説」だ。だから悪戦苦闘しながら読了まで1週間を要した。尊氏は後醍醐天皇の命で鎌倉幕府・北条氏を滅ぼし、その後醍醐天皇とも戦い、南北朝の動乱をもたらす。その室町幕府の祖である足利尊氏は実はまったくの傀儡で、「やる気なし・使命感なし・執着なし」のトンデモ人物であったことが描かれている。ほとんどの「まつりごと」は弟の直義と、足利家執事の高師直の2人に任せっきり、本人は表に出ることがなかった、というのだから驚く。とにかく尊氏は政治に関して、あきれるほど怠惰で無関心、存在感もなく武門の盟主になったこと自体が「日本史上の奇跡」だったというのだ。その対極にあったのが、天皇だったのに塩みたっぷり、下世話で権力欲の塊、戦術家でもあった後醍醐で、この2人の対比が物語の骨格をなしている。

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