Vol.1182 2023年8月26日 週刊あんばい一本勝負 No.1174

なんとなく鬱屈した日々だ

8月19日 飲み会があった日、少し早めに家を出て歩いて駅まで出た。この夏の異常な暑さを計算に入れなかったので、暑さで全身汗まみれ、着ていた服がびしょぬれに。駅ナカにある無印良品で3000円ほどのシャツを買い着替えて宴席へ。昔なら大慌てでタクシーで家に戻って、着替えてまたタクシーで宴会場まで駆け付けたに違いない。でも今のタクシー代は高い。新しいシャツはこれからもずっと着ることができるから、こっちの方が得、と判断したのだろう。

8月20日 寝床で本を読んでいたら、本の白い版面に小さな豆粒の虫が飛び込んできた。小さいけど丸々太っていたから、あれはノミのようだ。先日から右腕肘関節の裏あたりがかゆくてしょうがない。これはノミが原因だったのか。自分の身の回りにノミが出現するというのは想定外なのでショックが大きい。ペットを飼っている人の家では常態だというが、私の周辺に生き物はいない。考えられるのは、草むしりなどで外から持ち込んでしまった、というぐらいか。でもノミにしてはちょっと大きすぎる気もするのだが、蚊に食われたよりは明らかに吸い口の腫れが大きい。

8月21日 倉庫に缶やビン、ペットボトルの類が山積みになっている。先日の洪水で市のごみ回収機能がパンク、もう1ヵ月以上、燃えないゴミの回収がストップしたままなのだ。毎週のように届く町内会の回覧板は「被害相談会」への参加を呼びかけるものだし、もうすっかり空き家になってしまった店舗も散歩の度に増えている。この時期、決まってやってくる台風被害に見舞われる西日本の方々には、ただただ敬意を表するしかない。水の恐ろしさに比べれば「雪害」というのはまだかわいい、といっていい。自然災害と真剣に向き合わなければならない時代がやってきた。

8月22日 現金なものでクーラーが新しくなったら、また「ひきこもり」がはじまった。しかし外は「37℃」だ。まともに太陽を浴びると干上がってしまう温度だから、慎重に温度の下がる時間帯(夕方)狙って外に出るしかない。今日の午後から洪水被害の屋根工事で業者の方が来る予定だ。こんな暑さの中でも大丈夫なのだろうか。週末には月山登山のために酒田に遊びに来る大阪の友人たちに同行、(月山にはいかないが)鳥海山麓あたりをトレッキングする予定もある。まだ腰横の痛みは完全に去ってはいないが、座して腐っていくよりも、自然の緑と風の中で、健やかに朽ちていきたい、という気分だ。

8月23日 行きつけの和食屋さんがちょうどお盆休みで、月一の家族食事会は駅前の焼肉屋さんへ。そういえば先日、TVで「世界の人が好きな食べ物ランキング」というのをやっていて、日本のカレーが世界で一番だった。第2位はブラジルのピッカーニャ(牛のイチボ)だ。ブラジルのシュラスコという肉料理の中でもピッカーニャはダントツに美味い部位で、私もシュラスコではこの肉ばかり食べている。なるほど、世界の人はやはりピッカーニャのうまさを知っていたのか。誰でも一度、このピッカーニャを食べると(シュラスコは食べ放題が基本)、もう他の肉は食べる気がしなくなること請け合いだ。そのことをTV番組(私の好きな「月曜から夜ふかし」)が、はからずも証明してくれた。日本のカレーの次がピッカーニャですよ、御同輩。

8月24日 HP写真はパリの街角の古本屋。秋田は相変わらずの記録的猛暑が続いています。70年以上生きてきて初めての「苦しい夏」ですが、クーラーのおかげで快適に過ごしています。寝るときもクーラーを28度に設定し、寝苦しくて目をさますなんてこともありません。寝ている間中クーラーをつけているというのも生まれて初めてです。唯一の懸念は「初期の脊柱菅狭窄症」と診断された尻のあたりの痛みです。普通の暮らしには何の支障もないのですが、歩き出すと痛くなり、しびれがきます。それでもかまわず歩き続けると30分ほどで痛みは消え、しびれだけが残ります。もう歩くのをやめなさい、と言われたら、即、手術を受ける心づもりだ。

8月25日 庄内平野北部の遊佐町にいる。大阪から来た友人たちと合流して、鳥海山のふもとの滝巡りだ。腰痛が心配だったが、自分自身が拍子抜けするほど調子がよかった。逆にがっかりしたのは夜の酒田市。ほとんどの店のネオンがともっておらず、タクシーをつかまえるのが至難の業。定宿の自慢の朝飯も心なしか貧弱で、満足感とは程遠い。コロナが何かを大きく変え、少子高齢化が現実味を帯び、気候変動の荒波が小都市に強く影を落とし、サービス業から若い女性の姿が目に見えるように消えている。秋田市あたりだとまだ、ぼんやりとしか見えない衰退が、酒田クラスの小都市だと目視で確認できるほど露骨にその姿をあらわにする。
(あ)

No.1174

しらふで生きる
(幻冬舎文庫)
町田康
 40年近く前、タバコをやめた。簡単にやめることができたのは、「最初の1本目を喫わない」という「真理」に目覚めたせいだ。この「へ理屈」のおかげで何の問題もなく、するりと禁煙に成功したのだ。本書は、30年間、毎日大酒を飲み続けた著者が、突如、酒をやめた苦悩と葛藤の記録だ。町田の小説やエッセイはまったく読んだことがない。65歳のあたりから、当方もめっきり酒が弱くなった。若いころは「酒なくて何の人生かな」とうそぶいていたのがウソのようだ。著者は酒をやめるための要諦を、「酒を飲んでも飲まなくても人生は寂しい」、「自分は普通以下のアホである」という二つの認識に基づいて「自己認識改造」を繰り返すこと、と説いている。自分が偉く、たいした人物だと思っている人ほど、そういう扱いをされないだけで不満を噴出させ、酒におぼれていく。私たちは、自分の存在を、人の価値を、勝手に高く見積もりすぎている、というのが著者の結論だ。酒徒にとっては酒をやめるという判断が「狂気」で、酒を飲み続けるという判断が「正気」だ。ここを押さえなければ著者の理屈はわからない。……ということは、私の禁煙の「最初の1本目」と、よくにてるといるような……。

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