Vol.1190 2023年10月21日 週刊あんばい一本勝負 No.1182

クマ騒動と戦争のなかで

10月14日 秋は一番好きな季節。仕事場の窓から医学部の建物の最上階に掲げられた「秋田大学医学部付属病院」の文字がすぐまじかにくっきり見える。過ぎ去れば夏もまたなつかしい。涼しくなって体調も普通に戻り気持ちも前向きに。仕事の方はイマイチ流れの悪さが続いたままだが、これはまあ時代には逆らえない。しばらく静観するしかない。原稿書きの方も2歩進んで3歩後退だが、これもいつものこと。ネチャクチャしながら最後に完成しさえすればこっちの勝ちだ。とまあこんな近況です。ボチボチ行きましょう。

10月15日 イスラエルとパレスチナの戦争が始まった。この戦争を理解するには悲運のダヤ人の歴史をおさらいしないとわからない。第2次世界大戦を理解しないとこんがらがった糸はほぐれない。宗教と言語、地勢と民族まで視野を広げないとよくわからないことが多いのだ。パラグライダーで越境して攻撃を仕掛けたとされるフェイクニュースが流れていた。イスラエルの建物にアラビア文字が書いてあった。イスラエルの言語はヘブライ語だ。外国に行くとユダヤ人は「顔を見ただけでわかる」と外国の友人たちは言うが、私には無理だ。せいぜい空港で黒い服を着て髭を生やし、頭にちょこんと小さな帽子をかぶっている人、というぐらいの認識しかない。イスラエル建国のバックグラウンドは『アラビアのロレンス』を観ればわかるし、ウクライナとロシアの関係は『屋根の上のヴァイオリン弾き』がしっかり描いているから、映画を観るのが一番かも。

10月16日 まったく唐突に中高生時代の「転校生」の名字を思い出した。田舎の學校なので転校生は珍しかったから印象に残っているのだろうが、まずは「名字がヘン」なことに強いインパクトを受けた。高橋、佐々木、佐藤に鈴木がほとんどの學校に突然、和合谷、成田、戸嶋に木元といった、それまでまったく「聞いたこともない」名字が飛び込んできた。へんな名字だなあ、とひたすら違和感を覚えた記憶がある。和合谷なんて、ほぼ外国人だ……。先日、カミさんの朗読教室に来ていた女子高生の名字は「哘(さそう)」さん。ワープロに登録されている漢字だから、私だけが驚いただけかもしれないが。

10月17日 「芋の子汁」が食べたくなった。昼に食材を買いに行き事務所で鍋を作ってしまった。県南部の生まれなので「きりたんぽ」に心は動かない。秋にイモノコを鍋にして食べるのは日本国中にある風習だ。昔から救荒作物であるイモノコを、米がとれたとこの時期に放出し、米の豊作を祝う。子供の頃、秋の遠足と言えば芋の子汁。カミさんは秋田市生まれなのできりたんぽ派だが、すこしずつ芋の子派に洗脳しつつある。今回はちょっと贅沢に、山形・芋煮会風に牛肉とネギとこんにゃくとマイタケだけのシンプルなもの。皮をむき、あく抜きした芋の子がちゃんとスーパーで売られているので大助かりだ。

10月18日 寝床で読みだした本がとまらないほど面白くて、睡眠時間が消えてしまった。本はカズオ・イシグロ著『日の名残り』(早川書房)。ノーベル賞作家だが、この本は読んでいない。イギリス貴族に仕える執事の本なので何となく敷居が高い。読んでみると、私の好きなロードムービーと同じ、「ロード・ノベル」(私の造語?)ではないか。主人公の執事は雇主から5泊6日の休みをもらい短い旅にでる。その日その日の旅先で、さまざまな思い出を回想しながら自己省察を深めていく。長年仕えたダーリントン卿への敬慕、亡父の思い出、女中頭への淡い恋心、二つの世界大戦の間に邸内で催された重要な外交会議の数々……。貴族の館で日々、政治家や世の中を動かす実力者たちが「私的な外交拠点」として利用していたことに驚いた。

10月19日 3日間ほど根詰めて原稿書きしたが、もう続かない。こんな時は気分転換。散歩を兼ねて大学食堂まで歩いて行ってきた。カレーライスを食べて帰るだけだが、「100円定食」というコーナーがありビックリ。要するに小鉢の副菜のことで、これだけで済まそうというダイエット志向の人向けのメニューのようだ。食堂入口に新聞各紙(6種類)が積み重ねられ、無料でどうぞ、と言われた。「新聞週間」なので、そのイベントの一環のようだ。

10月20日 豪雨に猛暑、クマ騒動、外は戦争の嵐だ。世間を騒がす事件は田舎の小さな本屋の売れ行きや出版依頼と無縁ではない。昔は世のなかの動きと本の売れ行きは別、あまり関係がないと言われていたが、東日本大震災以降、わが舎の拙いデータから推察しても、状況はすっかり変わった。世のなかの動きと本の売れ行きがきっちりリンクしている。大正時代というのは明るくて風通しよく、モダンな時代だったが、ある時から一気に軍事色が濃くなり、戦争への道を歩みはじめる。そのきっかけは関東大震災だった、という識者がいた。なるほど外圧や自然災害が一気に世の中を変える導火線になる、というのは今の世の中を見ていると説得力がある
(あ)

No.1182

ロマネ・コンティ1935年
(文春文庫)
開高健
 5年ほど前、フランス・デジョン市から国道74号線上にあるコート・ドールにある、ロマネ・コンティの超特級畑を見学したことがあった。本当に小さな1ヘクタールあるかないかの畑でビックリしたが、年間600本ほどのワインしかとれず、1本平均100万円以上はするときいて恐れ入るしかなかった。本書は再読だが、もしかすれば初読時にこの欄に書評をすでに書いているかもしれない。全6篇の短編集だ。表題作はこのワインを飲んだ体験をこってりとうんちくを傾けて語り下ろしたグルメ小説のように思われている方もいるが、そうではない。サントリーの社長らしき人物と、この逸品である1935年物ロマネを飲むことになったのだが、何と中身は、すっかりくたびれ果て、年老いて、オリだらけの老婆、とても飲める代物ではなかった。そこから作家は、まったく別のイメージを膨らませ、パリの街角で娼婦(?)と過ごした一夜へと物語を強引に飛翔させる。ちなみに書名の「1935年」は「いちきゅうさんごねん」と読むのが正しいようだ。他の5編の物語もすべて外国を舞台にした精緻玲瓏な物語である。時代を超えてなお輝きを失わない物語はある。

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