Vol.1200 2023年12月30日 週刊あんばい一本勝負 No.1192

今年も1年間お世話になりました

12月23日 一夜にして数十センチの積雪。外に出るのは控えたほうがよさそうだ。わずか数カ月前の悪夢のような猛暑と、この豪雪の落差に茫然かつ愕然。朝起きて大仕事が「雪よせ」というのはこの年になるとしんどい。でもジジイとはいえ毎日5キロの散歩は欠かさない。さらに雪山ハイクのためにしつらえた防寒具や装備類が役に立つ。雪かきでひと汗かいて飲む仕事場のコーヒーも美味しい。

12月24日 出久根達郎『古本夜話』(ちくま文庫)の中に「金次郎の愛読書」というエッセイがある。二宮金次郎の像はいつごろ誰が考案し小学校に普及したのだろうか、ということを考察したものだ。金次郎がマキを背負って読んでいる本は「大学」で、四書のひとつ、儒教の経書だ。「普及の音頭」をとった人物は「講談社の創立者の野間清治ではないか」と出久根は推測する。道徳家で、忠臣孝子、英雄偉人、勇将烈士の伝記ものを得意とした『少年倶楽部』の流れからみても、彼以外に考えられない。読んでいる本がなんで「大学」なのか。中国にはこれまた儒学書で小学生用の道徳教科書「小学」という書もある。なぜそちらにしなかったか、それは謎だという。

12月25日 10大ニュースを考える時期だが手を付けられないでいる。この年になると10大ニュースなんて意味があるのかなあ、と思ってしまうからだ。予想通りのことしか身体髪膚には起きない。特別なことはなにもない。厭世的な気分が支配的になってしまった。この1年をふりかえって思いつくことと言えば、あの猛暑と大雨、オープンAIくらいか。この2つの衝撃が強すぎて他はカスミがかかったまま、というのが正直なところだ。

12月26日 今年は時計と眼鏡をずっと「同じもの」で通した。これはかなり自分的には珍しい。どちらも数カ月に一度は替える。主に気分転換を図るためだが、それがなかったのだ。時計は自動巻きではない。だから夜中にずっとバネを勝手に巻き上げてくれる器械を買った。眼鏡はアルコール入りのメガネふきを毎日惜しみなく使うように決めた。これでイラついたり飽きたりすることが少なくなった。

12月27日 「二宮金次郎」の話の続き。金次郎の銅像はいつ頃から全国に普及し始めたのだろうか。出久根はそれを「昭和10年前後」、日本が泥沼の戦争へ突き進んいく入り口のあたり、と見当をつけている。このころ上海事変で戦死した「肉弾三勇士」像も建っている。さらにわが秋田犬ハチ公像も同じ時期に渋谷駅に建っている。なんとハチ公像は寿像(生きているうちにつくる像)だ。時代が民衆に偶像を欲せしめた、というわけだ。しかしハチ公の場合は「シェパードに対抗して秋田犬を売り出そうとした商魂から建てられたもの」と出久根は言う。この説は深作光貞という大学の先生が中央公論に書いた昭和60年代(?)のコラムによる。基本的には「肉弾三勇士」も「二宮金次郎」も「忠犬ハチ公」もほぼ同じような意図でつくられたものなのだ。

12月28日 高校時代、英語教師がバレーボールを「ボレボール」
と発音。それがおかしくて噴き出したことがあった。サッカーのボレー・シュートの「ボレー」と同じ「空中」という意味だと知ったのは最近のことだ。統一教会を追求し続けて安倍政権の闇を暴いた鈴木エイトというジャーナリストは、今年すい星のごとく登場した。その名前の特異さやユニークな髪型でお茶の間でもおなじみだ。フリーランスとして「統一教会」1本の取材でよく食べいるなぁ、と業界的興味で見ていたのだが、彼の本職はリフォーム専門の不動屋さん。そこで生活を支えながら統一教会追及の取材を続けていたのだそうだ。なるほど、それで納得。

12月29日 「差引けば 仕合はせ残る 年の暮」――作者は無名の方だが、あの沢木耕太郎の父親。沢木さんの本の中で知った句なのだが、いいものはいい。例年通り何も特別なことのない年の暮れだ。郵便や宅配便の「遅さ」が気になる。同じ県内で「今日原稿送りました」と連絡をいただいてから、届いたのは5日後。これはどう考えても異常だが常態化しつつあるのも事実だ。もうひとつ。大好きな沢庵を九州の製造元から送ってもらったのだが、値段は2400円なのに送料が1500円だ。商品本体よりも送料が高くなる時代が、もうそこまで来ている。
(あ)

No.1192

たそがれ清兵衛
(新潮文庫)
藤沢周平
 録画しておいた邦画『かもめ食堂』を見た。2度目だが新鮮な感動を受けた。やっぱりいい映画だなあ。群ようこの原作が無性に読みたくなった。本書はその逆で、表題作の映画は観ているが、原作は読んでいなかった。映画の後に原作を見るというのはめったにない。それを読もうと思ったのは、表題作は8本の連作短編集の1本、ということを知ったからだ。これほど面白い映画と同レベルの作品が他に7遍もあるという事実に驚いたからだ。本書は「たそがれ」のはかにも「ごますり」「ど忘れ」「日和見」「だんまり」「祝い人(ほいと)」「うらなり」「かが泣き」といった、人名の前に「あだ名」が付けられた「さえない侍たち」の、意外な活躍を描いた短編のシリーズだったのだ。映画は「たそがれ」をメインに他の短編のストーリーも随所に取り入れて、1本の映画に編んだものだったのである。なるほど映画と原作の関係は興味深い。原作がどれだけ映画監督に「いじられて、改変させられているか」を見るのも楽しみのひとつなのだ。藤沢作品はかなり読んでいるが、彼の作品には珍しく、主人公たちがけっこう明るく、意外性やユーモラスにあふれていて、藤沢作品では好きな本のトップ3に入るかもしれない。ちなみにこの新潮文庫は平成3年に初版発行されているのだが、平成18年現在60刷。恐ろしい。

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