Vol.1208 2024年2月24日 週刊あんばい一本勝負 No.1200

枕を低くして寝る

2月17日 「大人の休日倶楽部」の会員だが、コロナ禍以降ほとんどカードを使っていない。久しぶりにカミさんに頼まれて、青森までの往復切符を買いに駅販売所に並んだ。チケットは3割引き。確かに「安さ」を実感できる値引き率だ。といいながらも旅行らしきものを私個人はこの4年間していない。そのことに不便や不満を感じていない自分が不思議だ。

2月18日 ちょっとしたかすり傷でも気になって一日中不快な思いをすることがある。指の「ささくれ」が代表例だが、「のどの小骨」も不快だ。昨夜、秋刀魚の小骨がのどに刺さった。つばを飲み込むたびに違和感があり、それがイライラに変わり、気持ちをざわつかせる。幸いにも一晩たって違和感は消えた。「のどの小骨」は必ず不意にやってくる。もう魚を食べるのはやめよう、と思ってしまうほど、のどの小骨は不快だ。

2月19日 「枕を高くして寝る」と言う。枕は低い方だ。というのもここ数年のことで、以前は殿様枕でなければ寝付けないほど高かった。食道炎の疑いが指摘され、その薬を飲むようになってから、枕は低い方が楽になった。今日の新聞に「枕が高いほど脳卒中リスクも高い」ことが医学的に分かったという記事。「殿様枕症候群」という新しい病気の概念で、英語名が「ショーグン・ピロー・シンドローム」だそうだ。枕が高いと首の屈曲が大きくなり、寝返りで首が回る時に血管を傷つけやすくなる。殿様枕というのは江戸時代に本当にあったもので、「髪型の維持」のために性別を問わず使われていた。なんだか食道炎のおかげで命拾いしたような気分だ。

2月20日 好きだった街歩きの番組『ブラタモリ』が終了するという。この番組には称賛ばかりではなく批判も出ているのだそうだ。「高齢男性が若い女性にうんちくを垂れる」という、「マンスプレイニング」という、要するにハラスメントの一種だ。無知な若い女性だと思って必要以上に「しつこく」「ねっとり」「幼児に教えるように」「えらそうに」諭してしまう。それは差別なんですよ、と言われると、グーの音も出ない。観光名所などで「うんちく」を垂れる人物も「野良タモリ」といわれ、笑いの対象なのだそうだ。でも、この言葉さえ使えば何でも「やっつけてしまえる」というのも水戸黄門の紋所のようで、ちょっと寒いゾ。

2月21日 「人は年をとらないと時の速さに気がつかない」というのは映画『アイリッシュマン』のなかのデ・ニーロのセリフ。この映画のデ・ニーロは、共演のアル・パチーノに比べ精彩が今ひとつだった。スコセッシ監督の3時間半の実話をもとにした大長編映画だが、途中でちょっと居眠り。全米トラック協会、組合とマフィア、ケネディ暗殺とヒットマン……と、いろんなものを一緒に詰め込みすぎたのかもしれない。

2月22日 HP写真は、お正月に先祖の墓まいりをする大家族。どこにでもありそうな風景だが写っている人たちは全員がブラジル人だ。サンパウロからやってきたOさん家族だ。Oさんの父親はこの町出身の移民1世。もう他界しているが、その2世3世4世たちが観光を兼ね、郷里の墓参りとなった。元旦から2日間、私がアテンドしたのだが、日本語を話せる人がひとりしかいないので大変だった。私が来泊するたび、このOさん一家にいつも助けてもらっている。こんなときでなければ恩返しはできない。でも外国人の日本の墓まいり、というのもなんだかジーンとくる風景だ。

2月23日 カミさんが青森市まで「奈良美智展」を観に行くというので駅まで送り。朝8時半の電車なので、広面からだと10分もあれば着いてしまう。でもちょうど通勤ラッシュの時間帯、最低でも30分は見たほうがいい。不安になり、近所の人にラッシュ時の混み具合を尋ねてみた。私は生まれてこのかた「通勤」とか「ラッシュ」「渋滞」といったことと無縁に生きてきたノーテンキ野郎だ。「8時前後が一番混みます。ここは避けてください」とアドバイスを得て、ギリギリ7時40分に家を出た。案の定、ラッシュはまだ始まっておらず、20分弱で無事駅へ。 
(あ)

No.1200

土に聴け
(秋田魁新報社)
秋田県埋蔵文化財センター編
 秋田県埋蔵文化財センター設立40周年を記念、秋田魁新報紙上に前50回にわたって連載されたコラムだ。センター職員17名が、それぞれの仕事現場の舞台裏をリレーエッセイ風に綴る。この施設は道路やダム建設など公共工事によって現地保存することが困難になった遺跡の発掘調査を主な業務とする公的機関だ。81年に設立され、発掘調査の件数は500件に上る。3〜4万年前、後期旧石器時代は年間平均気温が今より7度低く、日本列島にはゾウやバイソンなどが生息。秋田でも湯沢などでナウマンゾウの臼歯化石が発見されている。体重4トンのゾウから2400キロの肉が得られ、50人を1カ月間養えたという研究もある。この後期旧石器の秋田の「人」から物語は始まる。2千3百年前には弥生土器や稲作など信頼の文化が九州から日本海沿いに秋田にも入ってくるが、弥生時代の確実な水田遺跡がいまだに見つかっていない。733年には出羽柵(後に秋田城に改称)が国の出先機関として置かれ、759年には雄勝城(遺跡未発見)が、平安時代にはいった9世紀初頭に払田柵が造営される。県内には平鹿・雄勝・山本・秋田・河辺・由理郡が建てられ官道の整備と駅家の配置がなされる。これらの機関を中心に開拓が進み、9世紀以降、遺跡は増加するのだそうだ。遺跡発掘のガイドではなく現場職員の舞台裏が描かれている。

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