Vol.1212 2024年3月23日 週刊あんばい一本勝負 No.1204

知らないことばかり

3月16日 大阪万博は中止してしまえば、というのが政府与党から出ている。実は50年前の万博も事情はほとんど同じだった。1970年の大阪万博関連の資料を読んでいたら、やっぱり世間は、いまと同じように「うさん臭く、敵意のある目」を万博に向けていたのだ。1ドル360円の時代だ。大坂という地元への地域誘導のためにだけ始めた事業なので、何の相談も受けていなかった中央官庁は徹底的に「非協力」の態度を崩さなかった。万博会長職すら辞退が相次ぎ、なりたい人がいなかった。仲間外れにされた滋賀県は「琵琶湖の水は一滴も使わせない」という子供じみたフレーズを公式文書(通達)で使って抗議。土地の買収も進まず、政治家は無関心……という背景の中での船出だった。

3月17日 今週のHP写真は小生の書斎。整然と本が並んでいるが、無明舎がこれまで出した本で、他社の本は1冊もない。コロナ禍、念のため自分の家にも「自舎本」を保管しておこうと集めだしたものだ。アバウトな計算では1300冊ぐらい自舎本があるはずだが、ここにあるのは1000冊ちょっと。古書店やネット、印刷所や友人たちに声をかけて収集したのだが、やはり完ぺきとはほど遠い。それにしても自分の書斎に「自分の造った本しかない」というのも異常。

3月18日 すさまじいい風の咆哮で目が覚めてしまった。冬から春にかけて「穏やかでほのぼのとした時間」は雪国に暮らす人間にとって癒しの時間帯。それを台無しにするような吹雪混じりの暴風だった。午後はずっと楡周平『限界国家』(双葉社)。未来予測小説で、少子高齢化がもたらす未来の姿が具体的にわかりやすく書いている。AIの進化による職業短命化、地方過疎化に歯止めかからず、優秀な若者は海外流出……明るい材料はなにひとつもない。こちらはただただ深くうなだれるしかない。

3月19日 久しぶりに書店に入った。郊外にあるショッピングセンター内の書店だ。驚いたことにレジがセルフになっていた。書店内に喫茶室もあり買った本を読む。喫茶室の横には「ミシマ社コーナー」があった。よほど本好きの店員の方がいらっしゃるのだろう。買った本は箒木蓬生『白い夏の墓標』(新潮文庫)。細菌学者の謎の死を追う医学ミステリーだ。コロナ・ウイルスもあり、最近また売れ出したもののようだ。文庫で27刷りというのだからすごい。

3月20日 駅前「サイゼリア」でFさんと会食。Fさんはサイゼリアは初めて。Fさんには、この店の100円ハウスワインや、リトアニア産だというエスカルゴやラム肉の焼き鳥、自社製だというモッツアレラチーズを食べてほしくて誘った。個人的なお気に入りメニューを食べて、お会計は3000円。店内は女子高生を中心に若者でいっぱい。彼女らはパスタとピザの専門店だと思っているから、それ以外のサイドメニューの凄さに気がついていない。

3月21日 テレビのドラマは見ない。お金と時間をかけた映画と、比べてしまうからだろう。NHKで放映されている連続ドラマ『舟を編む』は、毎回楽しく観ている。昔、原作を読んだときは、それほど感心しなかった。TVドラマになって、主演が若い女性編集者(池田エライザ)に変更、その設定がよかったのか面白くなっていた。「くつした」は靴の内にはくのになぜ「下」というのか、という子供の疑問に答える場面があった。そういえば最近まで「上意下達」を「じょういげだつ」と読んでいた。「勿来」は「夷人は来るな」という「STOP」を意味する言葉だったことまでは知らなかった。よく使う「立ち上げる」はコンピューター用語で、広辞苑に載ったのは2008年、まだ20年もたっていない新語だった。

3月22日 カルロス・ゴーン、バンクシー、スノーデンといった外国人の事件や犯罪は、日本のメディアの報道を見ているだけではわからないことが多い。もっと詳しく知りたくて、海外発のドキュメンタリー映画を見ると、なるほど、得心が行く。ゴーンがブラジル国籍なのは父親がレバノンの殺人犯で、その逃亡先がブラジルだったためだ。バンクシーの、ザザビーズでシュレッターにかけられた絵は1億7千万で落札されたもの。しかしシュレッター後の「残骸の絵」は付加価値がつき、10倍以上の値がついている。スノーデンは国家機密を持ち出しモスクワに亡命したわけではなかった。もともとNSA(国家安全保障局)が個人の通信データを秘密裏に収集していることを告発したことで香港からモスクワに亡命した。恋人と一緒だった。 
(あ)

No.1204

罪と罰
(新潮文庫)
ドストエフスキー・工藤精一郎訳
 3カ月かかってようやく読了した。寝床に入って毎晩コツコツと読み続けた。はじめは読むのが苦痛で、早くギブアップして今話題のエンターテイメント小説に乗り移りたかったが我慢。いつもこうやって古典と言われる長大で退屈な小説から逃げてきた。そんな過去と決別したい。だから今回からは逃げない。読み進めていくと推理小説のような物語の構成に驚いた。犯人ラスコーリニコリと予審判事ポリフィーリイの知的対決という、これはほとんどもう『刑事コロンボ』の世界ではないか。物語の構成も似ていなくもない。後半は娼婦ソーニャとの「聖なる愛」が静かに音楽のように物語の底に流れはじめる。工藤精一郎訳だが、文中の改行が少なく、登場人物の一覧がない。これが実に辛かった。ロシアの名前は長くて複雑でチンプンカンプン(同じ名前に複数の通り名がある)、最初は読み進むのに難渋した。主人公の主張は「人類は凡人と非凡人に大別され、選ばれた非凡人は人類の進歩のため、現行秩序を侵す権利を持っている」というもの。これが本書を支配するイデオロギーだ。本が書かれたのは1860年代半ば。これは日本の明治維新の最中だ。死ぬまでにドストエフスキーを1冊は読んでおかなければ、と思っていたので、小さな夢がひとつかなえられた気分だ。

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