Vol.1213 2024年3月30日 週刊あんばい一本勝負 No.1205

読書傾向がすっかり変わってしまった

3月23日 母親の遺伝だと思うのだが、小心で臆病者だ。母は家にいるのが好きで、家の中で一生を過ごした人だ。私の方も仕事が途切れると「ああ自分はダメだ、来は真っ暗だ」と悲嘆にくれ、夜も眠れなくなったりする。まだ何も起こっていない未来を憂いてもしょうがない。人生のかなりの時間をこの「杞憂」のために使ってしまった。杞憂は「心配しないでいいことを心配すること」、要するにとり越し苦労だ。

3月24日 青空が美しい。太平山前岳に登ってきた。久しぶりのひとり山行だったが、行きはドロドロ、8合目あたりからは雪が深く、軽アイゼンをもっていかなかったことを猛省。それでも2時間で女人堂へ。後はアイゼンがないと無理。帰りは1時間30分で降りてきた。スパイク長靴が正解だった。ストックも夏仕様で難渋した。登山口付近で女性の釣り師2名、カワガラスの営巣を撮りに来た野鳥の会らしきカメラ集団にあった。山懐には確実に春が来ているようだ。

3月25日 昨日の前岳登山の疲労が筋肉の節々にのこっている。山の「爽快さの余韻」のようなものだから気分はいい。前日の準備から始まって、この翌日の疲労感まで、山は3日間楽しめるレジャーなのだ。でも山に登るためには、普段から節制が必要だ。1カ月前から散歩中にストレッチ、筋トレをはじめて、今回はこれが役に立った。今日のHP写真は、散歩コースの途中にある太平川にかかった木橋。この木橋が好きだったのだが、去年の大雨で大破してしまい、いまは通行止め。

3月26日 辞書はカシオの「EXword」という電子辞書。わからない言葉や難しい漢字の読みなどを確認する程度だから、これで充分。ところが最近、テレビドラマ「舟を編む」の影響を受け、紙の中型辞書に変えてみた。岩波国語辞典第5版だ。教科書サイズ(A5判)のこの中型が一番手にしっくりくる。電子辞書がダメなのは語釈や用例が少なく、簡略に編集されていること。机に紙の辞書がデンと居座っている姿は頼もしい。やっぱり紙の辞書はいい。

3月27日 「紅麹」問題は一過性の事件ではすまない。秋田も「麹文化の国」を標榜しているから、なにかあるかもしれない。秋田県出身のノーベル賞候補といわれる遠藤章氏が開発したコレステロールを抑える薬「スタチン」は、最初は青カビから発見した物質だが、紅麹からも似た(同じ)物ができることがわかり、コレステロール抑制の薬(機能性表示食品)の誕生となったもの。それにしてもこの製薬会社の派手で、奇抜で、面妖なTVCMの数々を見ていると、この事件も出るべくして出た印象は否めない。91年に機能性食品「トクホ」の制度が始まった時、うちの本の著者であった故・島田彰夫先生(秋田大医学部)は「医薬品の定義が崩れる」と猛反対していたことを思い出した。

3月28日 「好事魔多し」という言葉をよく聞くようになった。うまくいくことには邪魔が入る、という意味だが「好事門をいでず」というのもある。意味は「よい行いはなかなか世間の人に知られにくい」。ちなみに「好事家」は「こうずか」だが、「好事」は「こうじ」だ。個人的には大谷事件で頭に浮かんだ言葉は、ちょっと的外れかもしれないが「犬も歩けば棒に当たる」。2つの意味があって、出歩くと災いに会う。転じて「出歩くと思わぬ幸せに会う」というもの。犬は昔、集落単位で飼われていたので(個人で飼う習慣はない)、いい気になって他集落までで出張ると、よそ犬なので棒でたたかれた。毎日、辞書を引くのが楽しくなってきた。

3月29日 この1年ぐらいで読書傾向が変わった。新刊や現代作家のものを多く読んできたが、古典や長編もの、翻訳や戯曲、名作と言われるものを意識的に読むようになった。読書が苦痛になるというのは本末転倒だが、死ぬまでにドストエフスキーや夏目漱石やシャークスピアの代表作ぐらいはちゃんと読んでおきたい、と考えたからだ。去年の春、カズオ・イシグロ『日の名残り』を読んで感動し、これまでの読書傾向から離なれてみようと決めた。昨日は立花隆『宇宙からの帰還』読了。次は『源氏物語』に挑戦する予定だ。  
(あ)

No.1205

日本蒙昧前史
(文藝春秋)
磯ア憲一郎
 無明舎を起ち上げたのは1972年9月。この2カ月ほど前、県北部で豪雨のため米代川の堤防が決壊した。その現場に取材に駆けつけながら決壊の映像を取り損なうという失態を演じたNHK秋田支局の記者がいた。東大を出てNHKに入局、まだ2年目の山下頼充という若い記者だ。『中島のてっちゃ』という本を書いて無明舎は出版専業社として再スタートを切ったのが、76年秋だった。この年の1月、「五つ子」が生まれ、大ニュースとなって列島を駆け巡った。その親はあの秋田局にいた山下記者そのひとだった。彼は秋田局の後、京都局に移動し、そこで鹿児島時代の同級生と結婚。私とほぼ同年代のはずだが、すでに他界しているようだ。生まれた五つ子は、皆が優秀で、それぞれいまも社会で活躍しているという。もはや忘れ去られてしまった「虚構ではない人生」をいくつも交錯させながら、70年代という時代を切りとった本書は、小説なのか、エッセイなのか、論考なのか、よくわからないがめっぽう面白い語り口に間違いはない。グリコ事件から始まって、大阪万博、三島由紀夫自決、ロッキード事件に五つ子誕生、グアムで発見された日本兵へと、「有名な事件の舞台裏」を開示してくれる。「あの頃こそが、全てが過ぎ去った後でなければわからない、人生で最も果報に恵まれていた日々だった」と著者は言う。

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