Vol.1217 2024年4月27日 | 週刊あんばい一本勝負 No.1209 |
加藤富夫の作品に浸りきって | |
4月20日 今日の写真は先日の前岳(ザブーン口)の登山道で会ったカモシカ。オスの成獣のようで、とにかく大きかった。山の中でばったり会うと、彼らは威厳に満ちている。今日も懲りずに前岳に登ってきた。オーパススキー場リフトの終点から登り始め中岳まで行く予定だったのだが、雨が止まず、前岳で帰ってきた。とにかく寒いし、風は強いし、小雨まじりの曇天に悩まされつづけた。このルートからだと女人堂までは1時間弱。2カ所ほど急峻な坂があるが、ここはちゃんとトラバースできるようにゆるやかな道が作られている。中岳まで行くにはこのコースがいいようだ。
4月21日 湯沢へドライブ。両親の墓参りも兼ねてだが、この際だからと訪ねたい場所や人をリストアップしていたらメモ帳がいっぱいに。絞りに絞って4カ所を廻ってくる予定。それでは行ってきます。 4月22日 いろんな方向から鳥海山を見てきたが十文字から見る鳥海山が一番きれいだ。庄内や由利本荘からでは近すぎて、逆に粗も同時に見えてしまう。県南部から見える鳥海山は何もかもがちょうどいい距離感で、全体の美しさが「過不足なく露呈」している。昨日の鳥海山は青空に映え、真っ白に輝いて、さらに湯沢市のわが生家裏からも、ちゃんとその雄姿が見えた。住んでいたころ「鳥海山が見える」などという記憶はまったくない。湯沢では両親と、高校時代の恩師・加藤富夫先生の墓参り。調べ物のあった湯沢市立図書館は、なんと日曜に関わらず休館日。そのかわりと言ってはヘンだが、高校時代の図書館だった「旧雄勝郡会議事堂」をガイド付きで見学。 4月23日 疲れからか寝坊をすることが多くなった。いつもの目覚まし時計で起きるのだが「もう20分」などと思っているうちに1時間ぐらい熟睡。年をとると早起きになるというが当方は全く逆。最新の医学的知見では、高齢者の「寝すぎ」は問題があるという。昼寝も数えると1日8時間以上は寝ているから、ちょっとまずいのかなあ。 4月24日 戦時下(太平洋戦争)の秋田の若者たちのことを調べていたら興味深い記録に出会った。昭和18年、県下の旧制中学校では7月に「全県中等学校合同演習」というイベントを開催していた。県南、県北に分かれ県下の中学生が行軍し、能代の東雲で遭遇戦を展開するというものだ。例えば横手中学生ならば、木銃を担いで炎天下、神宮寺、和田、金足と北上、徹夜で能代まで歩き通す。夕食は民家でとり、帰りの宿舎は国民学校だ。能代の東雲原が演習場で、ここで県北と県南の中学生が空砲と木銃で対決する。これが当時の少年たちの「まつり」であり「遠足」でもあったわけだ。昭和16年にはすでに中学生の学帽は戦闘帽に代わっていて、制服も国防色といわれるカーキ色、登下校時はゲートルをまき、下駄や地下足袋だ。戦況が厳しくなる昭和19年には3年生終了と共に軍の人事部の割り当てを受け、予科練や幹部候補生に半強制的に志願させられるものが急増した。 4月25日 4月に入って「憑かれたように」高校時代の担任だった加藤富夫先生の遺した小説を読み漁っている。若くして事故死した先生には生前1冊の著作しかない。死後、秋田書房から2巻本の「作品集」が刊行されているが、これらを合わせても9本の作品が今も読むことが可能だ。10年間という短い創作期間に発表された先生の作品は18本。そのほとんどが「文學界」と「早稲田文学」に掲載されているが、新人賞受賞作や4回の芥川賞候補作は、単行本になった本にすべて入っている。予科練の生き残りであり、戦後の瓦礫の風景のなかで、現代の不安と恐怖を、土俗的視座から描き続け、将来を嘱望された作家は、もっと評価されてもいいと思うのだが、これは私の単なる身びいきだろうか。戦争や血族、鎮魂といったテーマの重苦しさを嫌う向きもあるだろうが、加藤文学の底に流れている「喜劇性」は、実は秋田大学時代に所属していた演劇サークルの活動の中ではぐくまれたもののようだ。 4月26日 夜になると目がグリグリする。瞼のあたりが腫れぼったくなり、重くなって異物がたまっているような感じなのだ。眠気をじっと我慢し続けているような、ビミョーな違和感だ。これは「黄砂」と関係があるのではないのだろうか。今年に入って急に瞼の周辺だけに異変が生じた。もう年なのだから、体のいろんなとことに異常があるのは特別なことではない。でもその異変が少ないことを「自画自賛」してきた身としては、なんだか納まりが悪い。犯人は黄砂なのだろうか。 (あ)
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