Vol.1218 2024年5月4日 週刊あんばい一本勝負 No.1210

長く生きて手に入れたもの

4月27日 中岳に登った。ひとりで登ったのは初めてだ。山頂小屋付近にはまだ雪があった。オーパス・リフト口から登り出したので、2時間ちょっとで山頂まで着いたが、登りですべての力を使い果たしたので帰りはヨレヨレ。下山時、大きな蛇を見た。2時ころだったから登山客はもうほとんどいない。それをわかって蛇は道に出てきたのかもしれない。この山は「午前中専用」の山なのだ。

4月28日 「小さな目標」だった太平山中岳に登って一夜明けた。筋肉痛はないが、反省点はいっぱい。登ることばかりに全力投球、帰りの足がボロボロだったのは恥ずかしい限り。さらに、山中はものすごい虫で、防虫網や薬を忘れた。暑さと水の問題はギリギリクリアーできた。ひとり登山の問題は「休憩をとらないこと」。一歩でも高さを稼ぎたくて、そのあせる気持ちが、休みなく歩き続けるという行為に結びついてしまう。中岳まで1度しか休憩をとることなく駆け登ってしまったのが、下山の時に使う足に跳ね返った。次回はこのあたりを改善、笑顔でゴールしたいものだ。

4月29日 料理の世界にも技術革新がある。つい先日まで「高級料理」の代表選手だった天ぷらが、いまはファストフードのような手ごろな値段で、誰もが食べられるメニューに変わった、という。都市部では「お手軽な高級天ぷら屋」は当たり前だという。どうやら天ぷらを揚げるフライアーに秘密があり、素人でもプロのように「中がしっとり、外カリカリ」の天ぷらが可能になったためだそうだ。天ぷらは高級料理という固定観念に凝り固まった当方としては、交通費を使ってもいいから、一度はその「手軽な高級料理」を食してみたい。

4月30日 初めて海外旅行したのは1977年、ブラジル各地を回る2カ月の取材旅行だった。この時の為替レートは240円。このレートは85年のプラザ合意までほぼ変わらなかった。アメリカのドル高是正のためのプラザ合意以降、円は一挙に150円まで上がり、海外でお金を使うことにほぼ抵抗がなくなった。この150円時代から、民主党が政権を取った00年代後半、ドルは120円台を経て80円台という、ちょっと信じがたい高い値をつけた。沖縄に国内旅行に行くより地球の反対にある国に旅する方が安く済む、といわれた時代だ。いまは160円で大騒ぎしているが、240円時代を知っているものとしては、複雑な心境だ。

5月1日 友人の舟橋武志さんが亡くなった。舟橋さんは昭和18年生まれ。名古屋駅前で小さな一人出版社と古書店を営んでいた。初めて会ったのは40代の頃で、彼は独身でキャバクラ通いを面白おかしくブログに書きなぐっていた。60代になるとマラソンに狂い100キロマラソンを完走するほどに。しかし膝を痛め、そのリハビリのため自転車に乗るようになった。65歳の時に30歳以上年下の嫁さんをもらい出版不況をものともせず、しぶとくこの世界で生き残ってきた。70代になると全国を「ママチャリ」で走破するという冒険に乗り出し、1カ月間、店を臨時休業し、黄色のヘルメットにサンダル履き(!)、ママチャリでひたすら日本全国を走り続けるのが「趣味」だった。そのさなか80歳でがんが見つかり余命2年を宣告された。それでも懲りず「がんジジイのママチャリ九州1周旅行」を企画中だったのだが、そのレポートを読むことはかなわなかった。合掌。

5月2日 無明舎の休みは基本的にカレンダー通り。大きな休みは申告すれば自由にとれる。その態勢でいまのところ何の問題もない。私の場合、事務所にいるのが大好きで、週末も祭日も山や旅以外はほとんどだから事務所にいる。といっても仕事をしているわけではない。本を読んだり、映画を観たり、料理をしたり、大音響で音楽を聴いたりする。ときどきは書きものや調べものに没頭する。誰の干渉も受けない自分だけの空間がある、というのは贅沢なことだ。誰とも会話がなくても、このなじんだ空間なら何日間でも「孤独」でいることができる。長く生きてきて自分の手に入れた、これが唯一の「収穫物」かもしれない。

5月3日 サングラス(眼鏡の上からかけられる)のバネがバカになった。重宝していたものなので使い捨ては忍びないので、何軒かのメガネ屋チェーン店に修理を頼んだが、案の定、けんもほろろ、取り付く島もない。そこで駅前に皮のハンドクラフトやアンティーク時計、ジッポーなどの専門店があることを思い出し、藁にもすがるつもりででかけたら、すぐに修理してくれた。こんなお店がどんどんなくなっていく。時代の流れと言えばそれまでだが、老兵は消え去るのみなのか。そうじゃないだろう。 

(あ)

No.1210

白い夏の墓標
(新潮文庫)
帚木蓬生
 久しぶりに書店に入って、本書を衝動買いした。郊外にあるショッピングセンター内の書店なのだが、驚いたことにレジがセルフになっていた。書店内には喫茶室もある。喫茶室横には「ミシマ社コーナー」があり、ミシマ社の本が大量に展示してあった。書店も日々進化している。本書は細菌学者の謎の死を追った医学ミステリーだ。もう40年前に出た本で、当時かなり話題になったことを覚えているが、昨今のコロナ・ウイルス騒動もあり、最近また売れ出したもののようだ。文庫で27刷というのだからすごい。物語自体はそう新奇なものはない。アメリカの陸軍微生物研究所が背後にうごめき、アメリカ留学中に事故死したという医学部の友人が、実はフランスで自殺したこと知る。大学のある仙台から舞台はパリへ、そして残雪のピレネーへと移り、事件究明へ佐伯教授の旅は続く。たぶん40年前であれば、大掛かりな死の背景を巡って、心躍るミステリーワールドにワクワクしたのだろうが、正直なところ、仕掛けの中途半端さが目に付いて、なかなか物語に入っていけなかった。これは現実にコロナ・ウイルスの脅威を経験したからだろう。事件の展開になんとなく歯がゆさしか感じないのだ。やはりあのコロナ経験というのは、私たちの世界観にもとてつもないインパクトを与えたことがよくわかった。

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