Vol.1220 2024年5月18日 週刊あんばい一本勝負 No.1212

ヒメシャガ・山ヒル・山菜採り

5月11日 今日はまた前岳。金山滝コースで山頂までゆっくり2時間。週末なのに登山者はそれほど多くない。下界は25度近くになるとの予想だが、山はずっと気持ちのいい風が吹いていた。すごかったのは山がヒメシャガ・ロードになっていたこと。日本原産のアヤメの種類だが、白と青紫のコントラストが鮮やかな大ぶりのアヤメだ。たまたま、いいタイミングで登ったわけだ。

5月12日 山に登ると登山者とはほとんど会わないのに、登山口の駐車場はいつもいっぱいだ。半分以上がこれは山菜採りのひとたちだ。なぜ山菜がそんなに好きなのか。興味ないこちらとしては、ずっと疑問だったが、答えは簡単。「そこに山菜がある」からだ。マロリーの有名な「そこに山があるから」とまったく同じ理屈である。そばにただで手に入る食料があれば採らなければ損、という理屈だ。タケノコのように換金性の高いものはまた別の欲の理屈があるのだろうが、こと山菜に関しては「近くになければ採らない」のが現実だ。近くにあるから採る。クマなんかどうってことはない。食べものがただで手に入るなんて他にある? というわけだ。

5月13日 山で登山者同士が深刻に話し合っている光景をよく見かける。話の中身は「ヒル」に関しだ。6月から9月あたりまで、太平山系はヒルが最盛期になり被害者も多い。炭酸ガスや振動、温かさを察知して、地面から人間の身体に這いあがってくる吸血虫だ。木から落ちてくるというのは迷信だ。私も昔、足に取りつかれ、それを知らないまま温泉に入り、温泉を血に染めてしまった苦い経験がある。痛くないのが厄介だが乾燥には弱いようだ。昨日、書評を書かせてもらっている日本農業新聞社から小林照幸著『死の貝――日本住血吸虫症との闘い』(新潮文庫)という本の書評依頼。グッドタイミングだ。

5月14日 1970年、20歳の時、大学祭のイベントに関わった。唐十郎率いる紅テント「状況劇場」公演を秋田大学構内で行うことになった。唐夫妻は生まれたばかりの長男を連れての秋田入りだった。その赤ちゃんがひきつけを起こし市内の病院に連れていくハプニングまであった。あの赤ちゃんが大鶴義丹だ。唐が亡くなった後、多くの追悼の記事が出た。出色だったのは意外にも朝日新聞編集委員・吉田純子の書いた「日曜に想う」だ。唐は聞き分けのない子供のようで、他者に用意された場所で踊りたくない。一枚の幕で世界のどこでも人々と芝居を出合わせることができ、社会のあぶれ者や弱者のささやかな心の幸福を守ることに演劇の本質を見出した、と吉田は書く。唐にとって演劇は魂の自由を賭けた遊びであり、世の中の常識を疑う思考実験のための仮想空間だった、という吉田の指摘は素直に共感できた。

5月15日 風呂に入って寝室に入ると寝るだけだ。ここで30分ほどかけて「明日の予定メモ」をつくる。昔は仕事のことだけでメモはいっぱいになったが、いまはほとんど「買い物」や昼に作る料理、午前中のルーチン作業の確認や約束事、備忘録といったものがメインだ。「やることを可視化する」作業は、昔から身についた職業病で、散歩のときもICレコーダーを肌身離さない。行動を文字化しないと落ち着かない性格なのだ。

5月16日 美濃加茂市の市議会副議長が姉妹都市オーストラリア・ダボ市の市長の娘さんにセクハラした事件で、いやなことを思い出してしまった。もう20年近く前、ブラジル・リオから友人(日本人)が金髪のブラジル人夫人と来秋、大学時代の同級生だという助教授も同席し、飲み会になった。この助教授、かなり酒癖が悪く、酔いだすと「金髪の外国人」がよほど珍しかったのか、酔いに任せて彼女の体を触わりだし、卑猥な秋田弁を連発、はては路上で立小便までして見せたのだ。旦那のほうはあきれ顔で苦笑まじりにその行為を許していたが、日本語の話せない奥さんはずっと泣きそうな顔をしていた。この助教授なる人物も当時の秋田では、どこにでもいる田舎の酒好きオヤジのひとりで、その行為が犯罪だと思うものは、私を含めて誰もいなかった時代だ。いまでも顔が赤らむほど恥ずかしかった、あの一夜のことを思い出してしまったのだ。あの助教授はまだ生きているのだろうか。

5月17日 秋田県は少子高齢化のトップランナーだ。この少子高齢化と日本の経済や政治がどのようにリンクするのか、一番知りたいところだ。AIの進化による職業の短命化、優秀な若者は海外に流出する。頼みの内需依存で経済が成り立つのは2040年代まで。内需依存が成り立つのは1億人の人口が必要だからだ。いま日本のGDPの7割は内需に依存している。内需が細れば企業は海外に市場を求める。深刻なのは0歳から15歳の人口減少のスピードで、人口密集地でさえ25パーセント減。青森、秋田に至っては41パーセントも減少するといわれている。学校の統廃合が進み、通学に不便をきたす地域では、孟母三遷じゃないが教育のために都市部に移住する親が出てくる。特殊出生率は「2・07」人でようやく今の人口が維持できる。なのに日本は「1・2」。中国は「1・1」で韓国に至っては「0・7」と、こちらの国も絶望的な数字だ。もしかするとこの隣国の数字のひどさが、日本の「油断」を生んでいるのかもしれない。

(あ)

No.1212

口髭と虱
(文藝春秋)
加藤富夫
 高校1年生の時、担任は英語教師の「とみおっこ」と生徒たちにからあだ名で呼ばれていたネズミのような小柄な人だった。秋田弁まじりの英語を話すのも哄笑の種になっていて、家に帰れば趣味で小説を書いているという噂だった。大学に入ってから、彼が芥川賞の候補に何度もあがっている「土俗と戦争」をテーマにした、暗くて重い田舎の物語を書いている作家であることを知った。無明舎を起ち上げ、その処女出版を刊行した後、お祝いのハガキを先生から頂いた。その加藤富夫氏が生前残したただ一冊の本が本書だ。昭和48年に出た本だから、無明舎を起ち上げた翌年である。刊行されてから半世紀近く経つわけだが、この本を読んでいなかったことが、のどに刺さった小骨のように、ずっと気になっていた。読んでみて驚いた。とんでもなく面白い小説集だった。終戦直後、秋田の山村で20歳前の若者3人が、進駐軍のアメリカ兵殺害のためにテロの訓練をはじめた。決行の日は近づくが……(「玩具の兵隊」)。日露戦争時に海軍下士官だった父親が自分の学校に戦意高揚のための講演に来た。緊張のあまり、ほとんど講談のような語りで同級生たちの失笑を買う父の姿に……(「口髭と虱」)。村の陰湿な風土や人間関係といった暗く重いテーマを描きながら、突き抜けた青空のようなユーモアが背景にたゆたっている。

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