Vol.1224 2024年6月15日 週刊あんばい一本勝負 No.1216

書を捨てて街に出る

6月8日 リフト口から中岳まで行こうと思ったが身体が重く、前岳で断念した。山頂の温度は27度、虫はいないし、水の消費もそれほどでもなかった。山での大敵は「暑さ」だ、デブなので大量の汗をかくから3リットル近くの水を持っていく。それが最近、あまり汗をかかないようになりつつある。山頂で一人、20分ほどボーっと過ごした。ひとりだけのいい時間だったが、中岳に行こうという気は最後まで起こらなかった。家に帰ってシャワーを浴び、昼めしを自分で作り(冷やし中華)、野球中継を見ながらソファーに横たわった途端、熟睡。野球の結果はわからずじまいのまま。

6月9日 入院した友人のお見舞いに秋大病院へ。面会は午後3時以降とは聞いていたが、受付で「親族ですか?」と入院患者の住所と生年月日を訊かれた。なんとか病棟までたどり着いたのだがナース・ステーションでさらに厳しく問い詰められ、結局は病室には入れなかった。コロナ禍以降、これが日本の病院のデフォルトで、それを知らなかった私のミスだ。

6月10日 ランチに欠かせないのが「みそ汁」だ。具は豆腐かジャガイモ。出し汁は1リットルの水に昆布と干しシイタケをいれ、冷蔵庫で一晩保管し、それにミソを溶き入れるだけ。秋田産の甘い麹ミソを使っていたが、最近は辛い信州ミソを使っている。秋田産の甘ったるい麹ミソに口が慣れているので戸惑いもあるが、少し我慢するとうまくなってくるから不思議だ。信州も仙台も名古屋も九州も、とにかく口に入れることが大事だ。食わず嫌いや偏見がダメ、みそ汁はそのことを教えてくれる。

6月11日 今週は珍しく外に出る予定が入っている。でも基本、「仕事場が一番好き」は変わらない。ここ(仕事場)にいれば世界が見渡せるし、めったなことで判断も過たない。本は読めるし料理もつくれる。映画は観られるし、山もすぐそばにある。この万能感が半端ない。まるで世界を支配する王様になった気分なのだ。ここでは誰の干渉も受けないし、忖度も必要ない。いやな仕事は断るし、嫌いな人間には合わなければいい。仕事場こそ我が王国なのだ。

6月12日 「祖谷」という地名をずっと勝手に「そや」と読んでいたが、「いや」だった。「返戻」も読めなかった。昨日のTVで、あの大越キャスターが堂々と「東京都知事選は多士さいさい……」としゃべっていた。「多士済々」のことだろうが「せいせい」と読むのでは。地元紙に「秋田出身のここんのさん」という人を紹介していた。「ここんの」という漢字がワープロでは出てこないので平仮名だが、「受」の又の部分を父にした難読漢字だ。「ここんの」というのは宮崎県の戦国大名の固有の名前で、そこにしかない。だから秋田の女性はそこの人と結婚したのだろう。アフリカなどで電話はいきなりケータイからはじまる。そういった社会現象を「リープフロッグ」(かえる跳び)というのだそうだ。まだまだ知らないことばかり。

6月13日 友人のFさんに誘われて大潟村へ。35年ぶりに昔の友人に会ってきた。「一枚が2町歩」という、日本では最大級の田んぼも見た。帰りには太平山自然公園エリアにある「秋田市植物園」と自然学習センター「まんたらめ」を見学。どちらも「気になっていた場所」で、ようやく行くことができた。こんな刺激的な日が、ひと月に一度あれば、人生は楽しいだろうなあ。

6月14日 75歳になると受けなければならない運転免許の高齢者講習および認知機能検査を受けてきた。いきなり16枚のイラストを見せられ、いくつ記憶しているかをテストするもので、13個しか思い出せず、あせった。後から聞くと、6,7個ぐらいでも合格なのだそうだが、他人はともかく自分的にはショック。事前の勉強はせず、行き当たりばったりだったが、テストの手順だけでも知っていればもう少し余裕で受講できたのかもしれない。帰りの車を運転しながら、今度この教習所に来るのは「免許返納」の時かも、と少し落ち込みながら自宅へ戻ってきた。
(あ)

No.1216

力道山未亡人
(小学館)
細田昌志
 水原一平という人は「ギャンブル依存症」というれっきとした病気だから、あまり責める気もしない。昔、子供時代にヒーロだったプロレスの怪力・豊登のギャンブル狂いは、その水原どころではなく手に負えないほどひどいものだったそうだ。結局はひとつのプロレス会社を潰してしまいそうなほど暴走し、プロレス会社を首になり、ヤクザの用心棒にまで落ちぶれた。個人的には大好きだった豊登がギャンブル依存症だったとはショックだ。これは本書で初めて知ったことだが、力道山本人ではなく妻の田中敬子に主役を設定したのが成功した。脇役のアントニオ猪木の意外な「役回り」にも驚くばかりだが、力道山は生前からジャイアント馬場ではなく、「猪木を後継者にしたかった」というのが本書を読むとよくわかる。日本の政治や経済は高度成長の陰でほぼ「暴力組織」と密接な関係の上に「砂上の楼閣」を築いた。その時代とフィクサーたちを、力道山の妻とプロレスを軸に描き出した労作だが、今ひとつ感情移入の出来なかった力道山という存在が、また全く違った相貌をもって目の前に現れてきた、というのが正直な印象だ。彼は優れたプロモーターであり、実業家だったのだけは間違いがないようだ。力道山の死を「医療ミス」の可能性があることにも触れられている。

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