Vol.1226 2024年6月29日 週刊あんばい一本勝負 No.1218

山でマムシに遭う

6月22日 今日はオーパス口から前岳経由で中岳へ。2時間半もかかってしまった。時計の温度計では26度、風はなく、虫もいない。2・5リットルの水はすべて飲んでしまった。それにしても中岳の最後の20分の登りは「もう登りに来るな」と悪態をつかれているような気分になる場所だ。ここをもう少し楽に登り切れれば、中岳は一気に人気者間違いなしだ。ちょうど体力を使い果たしたあたりで、待ってましたとばかりに、この急坂が出現するのだからまいってしまう。

6月23日 「ヤフー」というのは「ならずもの」という意味だ。冒険旅行の歴史的名著『ガリバー旅行記』(角川書店)の四話目に「フウイヌム国渡航記」という章がある。この物語の主役は馬だ。主人公は馬の国に迷い込んでしまう。その馬たちの下僕が、愚かで汚くて理性の欠片もない人間という動物だ。馬たちは人間を「ヤフー」と呼び徹底的に軽蔑している。ヤフーとは役立たずの動物を指し示す言葉だった。「ガリバー旅行記」といえば「小人の国」の話しか知らなかったが、この本では他にも「巨人の国」、「天空の国ラピュタ」「馬の国」3本の話も収録されている。なかでも最終話の「馬の国」が飛び切り辛辣に人間と現実社会を見つめていて面白い。奇想天外なユーモアあふれた冒険譚だが、この物語が書かれたのが1700年代というのが驚いてしまう。徳川の時代なのだ。

6月24日 夜10時、最終便で東京から帰ってきたカミさんを迎えに空港へ。そのときにコーヒーを飲んだせいか、その夜は目がさえて眠られなかった。おまけに読んだ本が松本清張の短編集『西郷札』(新潮文庫)。この短編中の「戦国権謀」というのが、たまたま秋田(横手)に配流された本多正純の物語だった。幽閉当時は外出も自由だった正純が、一転、虜囚状態になるのは、お見舞いに来た佐竹義宜に「当時は佐竹には40万石相当の領土を神君(家康)は与えるつもりだったが、私がいやいや半分でいい、と進言して決まったもの」と少々自慢気に語ったことが、時の将軍・秀忠の耳に入り、「配流の身で天下の仕置きのことを口に出すなど不届き至極」と激怒されたのが原因だ。佐竹が20万石を安堵された経緯が、松本清張という人気作家によって作品になっているとは知らなかった。

6月25日 中岳の山頂付近でマムシにあった。写真を撮りSシェフに確認してもらうと「間違いなくマムシ」とのこと。近所のよく行く近隣公園ではベンチ横で水浴びするカケスを見たが、その大きさにちょっとたじろいだ。同じ場所で野ネズミが横切り、その後ろを悠然とキジが散歩していた。朝早い国道では、必ずと言っていいほどタヌキやイタチなどの小動物が轢死している姿を目撃する。夜にヘッドランプに反応して道路に出てくるカエルなどを食べるため、追いかけて車に轢かれるのだそうだ。路上や公園にも自然があふれている。

6月26日 毎日が静かに流れていく。驚天動地の事件もなければ、不快な人間関係のさなかに放り出されることもない。ほどほどで、鋭角さを失った日常が、ゆっくりと死に向かって、淡々と過ぎていく。これが年相応の時間の流れ方なのだろう。若いころの明日をも知れぬ切った張ったの緊張感のある日々も、苦い思い出として脳裏によぎるが、そこに還りたいとは、もう思わない。もし似たようなことが起きたら、と夢想することはあるが、年を重ね経験値が上がり、今ならもっとうまく問題解決の方途を見つけ、うまく立ち振る舞えるだろうか。そんなことを考えながら75歳の今が過ぎていく。

6月27日 「紺屋の白袴」ではないが、本屋に本を買いに行くことはほとんどない。本はネットで買う。でも最近はブックオフによく行くようになった。名作や古典、高くて買い控えた文庫本を100円コーナーを物色して、買いためているのだ。昨日は『アンネの日記』『魔の山』『アンダーグランド』(村上春樹)『車輪の下』……といった本を14冊、まとめて買った。選書は疲れる。それが本屋に行かない理由だが、600ページもある文庫本を100円で買えたりするのだから、ブックオフは面白い。

6月28日 買い物に行くたび、いまだマスクをしている人が多いのに驚いてしまう。とくに女性のマスク着用率が高い。秋田市だけの現象ということはないだろうから理由が知りたいところだ。井上陽水の名曲「人生が二度あれば」は、老いた両親を歌ったものだが、「父は2月で65」「母は9月で64」と歌詞にある。今の自分よりも10歳年下ではないか。昔はこの歌が大好きだったが、今聴くと「65歳って、まだ若くない?」と違和感を覚える。さらに、突然気がついたのだが、ブラジルの日本人移民の取材を続けて40年になるが、昨日とつぜん、まったくポルトガル語が話せないことに気がついた。なんだか恥ずかしい。
(あ)

No.1218

死の貝―日本住血吸虫症との闘い
(新潮文庫)
小林照幸
 「日本住血吸虫」は主に山梨、広島、福岡、佐賀に棲息する寄生虫だ。古来から発症例が報告される「謎の病」だが、日本ではなぜかこの4県に発症がかたよっていた。気候、土の成分などあらゆる角度から検証がなされたが、現代の医学・科学をもってしても原因は不明なままだ。日本住血吸虫は水田での農作業が主な感染経路といわれ、長期にわたって野外で水と接触する習慣がなければ感染、発症することはない。人間の皮膚から入り込み、血液を集めて肝臓に運ぶ門脈の中に住む。その卵は肝臓に蓄積し腸壁を通じて体外に出される。感染すると腹が膨れ、成長が止まり、死に至る。1904年(明治37)、日露戦争が開戦した年、日本人医師によって寄生虫の存在が確かめられ、「日本住血吸虫」と命名された。1913年(大正2)には、その中間宿主が長さ6〜8ミリ、幅2・5〜3ミリの右巻きで細長い小さな淡水生の巻き貝であることがわかった。原因も治療法もわからない「病」を克服するために立ちあがった医師たちの壮絶な戦いを記録したノンフィクションである。風土病の制圧の歴史を丁寧に調べ、足しげく流行地を訪ね、多くの関係者へのインタビューを編みこんだ労作である。98年、文藝春秋から単行本が刊行されたが、それから四半世紀後のコロナ禍をへて今年5月、文庫化された。

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