Vol.1227 2024年7月6日 週刊あんばい一本勝負 No.1219

後期高齢者の夏

6月29日 今日は金山滝から前岳コース。30度近い気温の中を登り続けるのは、さすがにきつい。何度か途中でやめようと思った。2日前、前崎静一さんが亡くなった。無明舎の初期の社員で、いわば無明舎の基礎を作ってくれた大功労者だ。だから今日は「彼の追悼登山にしよう」と決めたので、暑さごときでリタイアしたら奥さんにも申し訳ない。30分ごとに休みを入れながら、2時間半もかかって前岳山頂へ。前崎さんに山頂でお別れをした。

6月30日 前岳の疲労が残っているのか、たっぷり10時間睡眠。山の中でもずっと前崎静一さんのことを考えていた。亡くなるのは人間だからしょうがないが、無明舎にとって、この人物の存在が不可欠だったことを痛感。性格も思想も生き方の流儀も全く別物だったが、だからこそ重要な局面では彼の意見を採用することが多かった。そのほとんどが間違っていなかった。創生期には1日12時間労働が当たり前で、それも前崎さんがいつまでたっても仕事をやめないから、やむなくみんながそれに従う、という日々だった。吹けば飛ぶよな小さな零細出版社にも、こうした裏のスターがいて、初めて存続が可能になる。

7月1日 今日から7月。6月は仕事はヒマだったが山には5度登った。今月あたりからは、いわばトレーニング場と課した前岳を少し離れて、県内の遠場の、花のキレイな山に遠征に出かけるつもりだ。山の遠出は面倒だ。朝早く起きなければならないし、帰りの日帰り温泉やロングドライブなどの「余計な手間」に時間と労力が消費される。前岳・中岳があまりに身近にありすぎて、その便利さにすっかり依存している。書を捨てて街に出よう、の心意気をこの7月に復活させたい。

7月2日 ずっと天気が悪いのだが、今日だけは1日中「晴れ」の予報だ。冷蔵庫にも珍しく到来ものの桃やメロンやサクランボがいっぱい。去年あたりから果物も積極的に食べるようになった。この年で微妙に嗜好が変ってきているのだろうか。山に持っていく食料もいまは「フルーツ」優先だ。手軽に口に入りやすく、おまけに水分が多く、甘くて疲労回復に効果的なことに気がついた。タッパに詰めた果物を、山頂で食べるのは最高の楽しみだ。

7月3日 この10月で、はれて後期高齢者。今のところ体調はどこも悪くはない。薬も逆流性食道炎のものだけで、他は「野放し」状態だ。人生75年、もしかして今が一番健康なのではないか、と考えると、すえ恐ろしい。不運は幸運の中で育まれている。朝起きて思うのは、「こんな状態は長く続くはずはない」というネガティブな感情だ。健康な時ほど「災難」への準備をする。この小心者の本質こそ、わが持ち味だ。

7月4日 勢古浩爾著『バカ老人たちよ!』(夕日新書)を読む。相変わらずの勢古節に大笑いしながら読了。オビ文は「いくつになってもつける薬なし?」「ひとのバカ見てわがバカ直そう」とあり、「殷鑑遠からず」が本のモチーフだ。遠くではなく目の前に戒めがあるという意味のようだ。この本の中で最高峰のバカ老人として挙げられているのが黒岩祐治神奈川県知事だ。あの不倫メールを週刊誌に暴露されたカッコつけゲス男だ。毎月のように高齢者の味方のような本を出し続ける精神科医・和田秀樹にも辛らつだ。「人生100年時代」に乗っかり、助言ではなく「煽り」で、無理くり稼ぎまくっている彼の責任は重い。このへんは全く同感だ。同じく医師の帯津良一も「人がよさそうだが調子が良すぎる」と一刀両断。勢古節は健在だ。勢古の神髄は「ただ生きる」こと。これで充分ではないかというのが彼の言い分だ。

7月5日 夏休みの予定が決まった。ワクワク、ウキウキというのは、この年になるとめったにない。昨日は一日中、少年時代の夏休み前のように「雲の上に乗っているような気分」に浸った。友人の山形の写真家と大阪の山仲間女性たちとの8名ほどの旅の3泊4日だが、「長野・白馬でいろんな山をトレッキングする」という夏休み企画だ。数年前も同じようなメンバーで歩いた。白馬の「500マイル」という山小屋風ペンションをベースに、白馬周辺のアウトドア・スポットを歩き倒す。大きな山には登らない(準備が大変なので)。毎週のように前岳に登って体調管理をしたのが無駄ではなかった。今月末から来月初めにかけて車で行く予定だが、いまからドキドキ、ソワソワ、いい歳をして世話はない。
(あ)

No.1219

教養の人類史―ヒトは何を考えてきたか?
(文春新書)
水谷千秋
 堺女子短期大学での講義を再編集、単行本化したもの。女子大生がわかるのなら自分にもわかるだろう、と安易なきっかけで読み始めたが、正解だった。序章に「知の巨人たちの求めたもの」があり、ここで本書の要諦を知ることができる。以下、「人類の進化と心のルーツ」「神話・宗教・文明の誕生」「精神の革命」「人類史の構造をとらえる試み」「東アジア世界から見た日本の文化」「東洋哲学の可能性」「現代史との対話」「人類史と21世紀の危機」「人間性の回復へ」と続く。一つの専門分野のみという人は人間の精神を偏狭にし誤らせる。人間の知の全体に迫るようなスケールの大きな探求をしてきた人たちの「肩に乗って」(ニュートン)、細分化された時代に、もう一度これらを総合化し、遠くまで眺めたい、というのが教養の本義である。序章の「知の巨人たち」として、著者が敬意を表する立花隆、司馬遼太郎、井筒俊彦、松本清張らの知的遺産があげられている。教養は人生を10倍も価値あるものにし、生涯を終えるまでもち続けることのできる価値である。そうした観点から、人類の進化から文明の誕生、精神の革命と人類史の構造、世界の中の日本文化や文学・芸術の役割まで、歴史の中で人類が産みだしてきた知の全体像を、幾人もの巨人の肩に乗って概観できる、教養の教科書のような一冊である。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.1223 6月8日号  ●vol.1224 6月15日号  ●vol.1225 6月22日号  ●vol.1226 6月29日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ