Vol.124 03年1月18日 週刊あんばい一本勝負 No.121


アジアはまだまだ遠かった

 遅い正月休をとって4泊5日で秋田発ソウル・仁川(インチョン)空港経由でタイに行ってきた。秋田から直行で行けるソウルの国際ハブ空港の使い勝手を検分してくる目的もあったのだが、やはり便数が少ないために乗り継ぎが極端に悪く、帰りの乗り継ぎ便にいたっては8時間のトランジットがあり空港内ホテルに泊まる羽目になってしまった。とても「秋田からアジアが一挙に近くなった」と喜ぶような情況ではないことが「しっかり」わかった。もし使い勝手がよければ今年の舎員旅行は秋田発ベトナム行きあたりを計画していたのだが、どうプランをこねくり回しても旅程の半分(!)は移動とトランジットで消えてしまう。それでもインチョン空港のビジネスラウンジは広く清潔で無料の飲食メニューもしっかりしているので5時間以内なら退屈しなくてすむ。アメリカやヨーロッパなどの遠隔地なら成田とそんなに格差を感じないで行けるかもしれない。そんなわけで4泊5日というもののバンコックにいたのは正味2日間、というお粗末さで、けっこう高い授業料(取材)になってしまいました。
(あ)

仁川空港内のトランジットホテル

バンコックの古本屋

北海道資料収集出張

 1月8日から13日まで北海道に出張してきました。今まで北海道には20回以上行っていますが、冬は初めてです。これから制作する『函館戦争』や『義経伝説』、『海が繋いだ北海道の物語』(いずれも仮題)などの資料収集が目的で、著者となる山形の伊藤孝博さんも同行しました。車で行ったので移動に時間を取られましたが、正味5日間を収集にかけることができ、中身の濃い出張だったと満足しています。この間、札幌と函館の図書館や古本屋を徹底的に回り、多くの古本とコピーを入手してきました。訪ねた古書店は15件ほどで、主な所はほぼ回ることができました。札幌の古書店は東京神田の神保町で修行したという本格的な2軒の老舗を頂点に、北大周辺に特色のある店が並んでいますが、どの店も値段が高いのが欠点でした。逆に郊外や繁華街の店のほうが低価格で、棚揃えもバラエティーに富んで魅力的だったという印象が残りました。また、北海道は東北出身者が多いため、意外なほど東北の本が古本屋に出回っていて、秋田や仙台の古書店では見たことがない、珍しいさまざまな本をかなりの安値で買うことができたのは幸運でした。反面、図書館でのコピー作業ですが、北海道は200を超える市町村があり、その市町村史をチェックしコピーするのは並大抵の作業ではなく、今回は目的の半分も達成できなかったのが心残りでした。
 夜は夜で、札幌に来ていることを聞いた北海道新聞の記者から『北前船』の取材を受けたり、以前、朝日新聞秋田支局にいた記者と飲んだり、札幌にいる兄と会ったりと忙しくすごしました。幸い滞在中、札幌は晴天でしたが、やわらかい寒さ(?)の秋田とは違い刺すような厳しい寒さの毎日でしたが、帰るころにはその寒さも心地よく思える様になっていました。今年は取材で北海道に行く機会が1、2回ありそうです。東北の枠を飛び出し、違う歴史や風土のなかでどんな本づくりをし、販売できるのか今から楽しみです。
(鐙)

今回集めた古本とコピーの山

何ということだ

 インターネットと宅配便を利用すると、早ければ3日ぐらいで、希望の本を入手できるようになった。無明舎への読者からの注文本は、注文日の翌日に届くのでビックリされている。
 こんな便利な時代が来るなんて、くやしさとともに思い出すできごとがある。今から15年ほど前、書店で働いていた頃のこと。たくさん本を買ってくれる大切なお客さんから、2週間後に還暦祝いの贈り物にする画集の注文を受けた。
 10日後に届いた本(当時は注文本は2週間から1ヵ月かかるのが普通)は注文したのと違うものだった。同じ画家の本がTとUの2冊出ていて還暦の贈り物に使うのはUで、こちらから出した注文票もUだった。要するに出版社の出庫間違いなのだが、お客さんが使う日まで4日しかない。出庫を間違えた東京の出版社に電話して、どうにかならないか頼んだが、あろうことか「倉庫(埼玉県にある)まで買いにくれば渡せる」などという始末。あまりの態度に驚きあきれながらも、何とか入手しようとあらん限りの手を尽くした。
 さて―そのあとは、悔し涙とともに次回に書く。
(七)

ペリカン便で届くネット注文本

今週の花

 今週の花は麦、チューリップ、黄房水仙。切り花の本を見ると、青い麦は晩春や初夏のイメージがあるため生け花の材料として人気があるそうです。その麦を見てあることを思い出しました。秋田県外に出て初めて青々と広がる麦畑を目にした時、緑の絨毯みたいだと感動しました。花が咲いたらもっとキレイになるだろうと期待したのですが、秋田で田んぼばかり見ていたため、麦の花がどんな具合に咲くのか知りませんでした。その後、図書館の図鑑で調べ、やっと見つけた「麦の花」は「稲の花」とそっくりでした。麦はイネ科なのですから当然のことなのですが、ガッカリしたことを覚えています。
(富)

No.121

業柱抱き(新潮文庫)
車谷長吉

 新幹線で作家の塩野米松さんとあって話していたら「もう、小説なんてほとんど読みませんしね」とおっしゃっていた。最近までなんども直木賞の最終選考に残っている人の言葉である。そういわれれば私もほとんど小説は読まない。特に謎解きや人殺しやバイオレンスものは極力避けて通る。絵空事より現実がずっと怖い。以前、著者の『赤目四十八瀧心中未遂』を読み、感動しながらも現代にこんな作家がいることが不思議に思えた。このエッセイを読むと著者の「ものを書く覚悟」のほどがよくわかった。書くことは異端者になることであり、根は俗物でありながら、俗物では生きられないという自己矛盾を作家は負う。文章は外部(編集者や読者)の要請だけでは書けない。内部の要請が必要である、と何度もエッセイで繰り返している。実名で旧友の大学教授を批判するくだりは「すごみ」があり爽快ささえ感じる。巻頭に著者の詩が3篇収録されている。この詩がものすごくいい。妻の高橋順子さんの詩も読んでみたくなった。

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