Vol.1259 2025年2月15日 週刊あんばい一本勝負 No.1251

エンゲル係数、高くね?

2月9日 ニュースで「これ以降も積雪する予定です」とレポートしていたアナウンサーがいた。これって正しい日本語? 有田ミカンは「ありだ」が正しかった。死ぬ前に食べたいのは「卵かけごはん」と答えてきたが、「超辛口塩じゃけご飯」に変更したい。と思って昨日も食べたのだが、夜、やっぱり塩分で胸焼けしてとんでもない目にあった。やっぱり死ぬ前は卵かけご飯でいい、と朝令暮改。

2月10日 アウターは上着のことを指すアウトドア用語だ。冬に着るオーバーとかアノラック、ダウン系の衣類のことだ。冬の秋田はほぼアウトドアの世界だ。外の寒さに合わせて4着もアウターを持っている。レインウエアー用の軽、ちょっと厚めの防風保温系、標高のある山でも大丈夫な厚手系、そして極寒用ダウンジャケット。この4枚を天候で使い分けている。もっぱら散歩のときに着るのだが、歩いていると汗をかく。それを想定して一枚薄手のものを着用するのだが、それでは寒く感じてしまうようになった。昔は大好きだった冬が今はちょっぴり恨めしい。

2月11日 根っからの小心者だ。依頼された原稿が遅れて編集者に迷惑をかけたりするトラブルは、これまでほぼなかった。昨日、日本農業新聞の編集者から原稿締め切り確認のメールが入った。……しまった、忘れていた。さいわい下書きは書いていたので、今日中に書いてやる、と決めた。そう決めると、夕食も何を食べたか覚えていないほど集中力が高まり、夢中になって夜10時には原稿を仕上げ、メール送信した。小心者はこれだから困る。でも小心者だから、どうにかこの世界で生き延びることができたのかもしれない。

2月12日 「地政」学ばやりだが、「ちせい」といわれると、「地勢」のほうを思い浮かべてしまう。「鉱山の多い秋田は地勢学的にみると…」といった使い方だ。「地政」のほうは地理的、政治的用語なのだが、知ってはいたが使っている人を見たことはなかった。なぜここにきて急に「地政」ブームになったのだろうか。調べてみたら、「地政学」は戦前に隆盛を極めて学問で、これを流用したのがドイツ・ナチスだ。そのため「戦争に直結する学問」として、実は戦後長く封印されてきた言葉だったのだ。地政学はナチスや帝国主義の基本哲学で軍事戦略のひとつだった。プーチンや習近平の登場で、再び現実的で実践的な軍事戦略のひとつとして注目を浴びる言葉になってしまったのだ。

2月13日 2,3日穏やかな日が続いた。夜から雪はないのだが風が激しく、うっとうしい鉛色の空が広がっている。いつもの2月と今年はちょっと状況が違う。なんだかあわただしい空気感が充満していて、心休まらない日々なのだ。個人的には無事に75歳の後期高齢者になった。心身ともに大きな変革(曲がり角)を予感させる数値でもある。「そうか、あの75の年が大きな転機だったか」というような「時期」になりそうな予感に満ちている。ということはもうその兆しが至る所に表れ始めてもいるのだが、具体的にはまだ文字に起こせるような段階ではない。

2月14日 週一回、近所のスーパーに買い出しに行く。もっぱら自分のランチ用のためだが、ほかにも家の夕食用の常備菜も作る。ここ1年で、その買い出しの金額が3千円台から4,5千円台にポンと上がってしまった。エンゲル係数の高さを鑑みると、ほとんど私たちは貧民層になってしまった、といっていいのかもしれない。専門的な経済用語で初めて知った言葉が「エンゲル係数」だった。頭の中で理解していた言葉と、買い出しのたびに実感する言葉は、まるで別物だ。今は心の底から「エンゲル係数、たけえなあ」と思ってしまう。毎週1回、スーパーのレジで「日本って、貧しくなったんだ」と実感する日々である。
(あ)

No.1251

バブル・バブル・バブル
(文春文庫)
ヒキタクニオ
 自分でもよく理由がわからないのだが、「バブル」に関係した本にはすぐに飛びついてしまう。1990年前後、日本にはバブルという不思議な狂乱の時代があった。札束が乱れ飛び、日本人の心をいっとき狂わせてしまった、わずか数年のお祭り騒ぎだ。秋田に住む私には縁のないお祭りだったが、それが逆に、バブルに興味惹かれる原因なのかもしれない。それ以前もそれ以後とも、まったく違う異世界が、突然に「ひっこり」と顔を出し、あっという間に日本人の価値観を変え、心を狂わせてしまった、それは稀有な日々でもあったのだ。本書は、イラストレーター、マルチメディア・クリエーターとして、この時代の最前線を生きた人物の自伝的青春小説だ。不動産屋が主人公でないバブルの物語というのが新鮮だが、といっても中身は定番の、はでな日常、モデルとの恋、クラブと酒、得体のしれない変人たちとの交友……が連綿とつづられる。アート表現者の世界にも、バブルは麻薬のような影響を与えていたのを初めこの本で知ることができた。というか不動産屋がまったく出てこないバブル本なのが面白い。本文中、実名で書かれた登場人物の中に一人だけ、何度かあったことのある人の名前があった。浅川マキやりりぃのマネージメント会社の社長だった寺本さんだ。顔までは思い出せないが、浅川マキのコンサートをするために何度か会ったのを覚えている。

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