Vol.1261 2025年3月1日 週刊あんばい一本勝負 No.1253

「30アールの農園主」って、すごいの?

2月22日 事務所の隣にある平屋倉庫の老朽化がひどい。柱の鉄骨が腐りかけ、いつ崩れてもおかしくない状態だ。立て直すとすれば、どのくらいのかかるのか、試算を始めている。ちょうどTVCMでトレーラーハウスなどの展示会が市内であると聞き、昨日でかけてきた。トレーラーハウスがポツンと1台あるきりで、これで展示会とは恐れ入る。倉庫を潰して、そこに新しいプレハブを建て、別荘代わりに使う、というのは面白いアイデアだが、この物価高、100万、200万では収まりそうにない。この老朽化したプレハブ倉庫は10年前、60万円ちょっとで買えた。その数字が頭にこびりついているから、ついつい馬鹿な考えを起こしてしまう。

2月23日 蕎麦屋に入って熱燗を注文。お銚子が空になるまで、つまみは来ない。研修中という名札をぶら下げた女店員は、「何か問題でも?」という態度だった。二軒目の居酒屋でも、焼酎二杯につまみ一品で勘定は1万2千円。やはり研修中の名札をぶら下げた若い女性が、二杯の焼酎を二本のボトルと間違えてレジ入力したためだった。人手不足と言われればそれまでだ。サービス業という言葉の意味も考えてほしい。アルコール離れとサービス不在で、いずれ飲食店は消えていく運命なのかもしれない。

2月24日 3連休といっても、決まった時間に起き午前中は仕事、午後からは昼寝と散歩。夕食後はまた仕事場にこもって録画していたTV 番組や映画を見る。9時には家に帰って、本を読んで12時前に就眠する。判で押したような生活を365日続けている。コロナ禍以降、外出や旅に出ることもほとんどなくなった。もう飛行機の乗り方もホテルのチェックインの仕方も忘れてしまった。東京に行く気は失せてしまったが、地球の反対側へ行く意欲はいまだに満々というのが不思議だ。

2月25日 眠られない夜がある。大きな壁にぶち当たって、にっちもさっちもいかなくなる。将来に対する漠とした不安が増殖し、自らで制御しきれなくなり、全身を圧迫そてくする……原因はいろいろだが、そんな時は、ひたすら本を読むしかない。本の選択がけっこう難しい。昨夜はそんなときのために(にとっておいたような、日本文藝家協会・編『夏のカレー』を読みだした。サブタイトルに「現代の短編小説ベストコレクション2024」とある。江國香織や三浦しをん、山田詠美や萩原浩といった人気作家に並んで、澤西祐輔、宮島未奈、武石勝義といった、生まれて初めて聞く作家の名前もある。サブタイトル通り、すべてが面白い短編集だった。おかげで一時でも、不安や圧迫感から逃れることができた。

2月26日 その日のイメージをそのままの勢いで活字にしたい。でもその余裕がない。やることが「目詰まり」状態で、冷静に書き続ける自信がない。思い出話や読んだ本のこと、引っかかっていた問題の解決法や小さな日常の中の驚き……書きたいことはキリがないほど溜まっているのだが、じっくり、そうしたテーマと向き合っている余裕がない。能力ある人なら鼻歌まじりで片づけてしまえるのだろうが、モウロク・ジジィにそんなフットワークはない。まいったねどうも。

2月27日 もう2月も終わり。このところ夕食が楽しみだ。先日、秋田に遊びに来た神戸の友人夫妻から、そのお礼にと豪勢なチーズの詰め合わせセットが贈られてきた。どのチーズもうまい。多分高価なものなのだろう。チーズとワインいっぱいで、もう十分腹がくちくなる。手をかけた食品は少量でも満足感を与えてくれる。しばらくはチーズの日々が続きそうだ。

2月28日 大船渡の山林火災の焼失面積は東京ドーム128個分だという。頭の中で広さをイメージしてみるが、よくわからない。マスコミが基準にする東京ドームの大きさは4・7ヘクタール。230メートル×230メートルの大きさだ。ということは600ヘクタールほどの焼失面積になる。小・中学校のグランドの大きさは約1ヘクタールほど。あのグランドが600面消えた、といわれると、なんとなくイメージがわく。同じ日TVで「20代で移住し、30アールのレモン農園主になった」というクレジットがあった。30アールというのは90坪のこと。我が家の敷地は110坪、この中に家と事務所と倉庫が建っている。この程度の広さの農園で、はたしてちゃんと食べていけるものなのか。「30アールの農園主」という文字からは具体的な広さがわからないから、こんな表現で、なんとなくぼやかしているのだろう。90坪の農園といわれると、ちょっと身もふたもない。
(あ)

No.1253

月夜の森の梟
(朝日文庫)
小池真理子
 NHKテレビで料理家・栗原はるみの特集を見た。夫を亡くして6年、いまだにその喪失感から立ち直れないという、人気料理家の日常を描いたもの。この番組を見て、いろいろ考えてしまった。女性にとって夫がそんなに大きな存在なのか、当方には全くわからない世界だからだ。そこで似たような境遇の女性たちの書いた小説を読んでみることにした。最初に手に取ったのが山本文緒『無人島のふたり』(新潮文庫)。すい臓がんと診断され、抗がん剤治療ではなく緩和ケアを選び、余命4か月を宣告された作家の闘病記だ。夫と二人、無人島に流されてしまったかのようなコロナ禍での日々を、病の痛みや苦しみと共に、友人や読者への感謝や悔恨を淡々と書き残している。もう1冊が本書だ。夫の藤田宣永の死(肺がん)と向き合いながら、二人っきりの暮らしを振り返りつつ、その喪失の大きさを身辺雑記の中から綴ったエッセイである。山本の場合は夫が元編集者だ。小池はお互い作家同士。そうした生活環境のなか、片方が深い悲しみを背負った時、もう片方はどのようにふるまうのか、この二人の女流作家は静かに教えてくれる。そろそろ迎えの近い老人(私のこと)には涙腺がゆるくなってしまう本だった。とはいってもまだ、栗原や小池のように、一途に夫を思う精神のありかは、よくわからない。

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