Vol.1288 2025年9月6日 週刊あんばい一本勝負 No.1280

リフォーム・「魔の山」・ウォークマット

8月30日 血圧を下げるため「ウォークマット」という「足ツボもみ器」を購入。突起のある板を踏む健康器具だ。「メディカルグリップ」という握力で血圧を下げる健康器具も1か月前から使っている。握力と足のツボの両面作戦で血圧を下げようという魂胆だ。薬を飲むのが一番という人もいるが、これは嫌。それにしてもこのツボ足踏み、モーレツに痛い。これが時間とともに平気になり、ツボ板の上で走りだせるようになる、と考えるだけで楽しい。小生、他のことはからっきしだが持続することにかけては、ちょっぴり自信がある。

8月31日 トーマス・マンの『魔の山』1200ページを読了。読了できたのは場面転換と登場人物が限られた小説だったから。スイスのサナトリウムでの7年間の療養生活を描いたものだが、最後まで主人公の正式な病名もわからないし、このエリートのための高級療養施設がどのように運営されているのか、ヨーロッパの時代的、経済的な背景もよくわからない。最後に主人公は戦争に駆り出され死ぬのだが、それすらもあいまいな書き方で、他人事のように静かに小説の幕は下りる。後半、穏健派セテムブリーニと過激派ナフタの思想、哲学論争はとてもついていけず、数十頁飛ばしてしまった。物語の場所はスイスのダヴォス。あのダボス会議のダヴォスか。

9月1日 9月になった。後半戦だという挑戦的な気持ちになる。ようやく苦行の『魔の山』から抜け出し、中途半端にそのために放り出された「読みかけ文庫本」を読みだしている。昨夜は突然、仕事場の蛍光灯が点かなくなった。限界なのだろう。これからはLEDを買わなければまずいのだろうか。

9月2日 猛暑だけで過ぎてしまった「8月」という印象だが、冷静に少し長いレンジで振り返ると、かなり複雑で多様な意味が含まれた「転換点の1か月」といっても過言ではない。家の台所や内装リフォームも大きかったが、身辺に様々な変化(それも何十年に一度クラスの)が起き、その対応であたふたと過ぎ去った日々でもあった。まだ時期的に、そのへんのことを具体的に書くのははばかられるので、抽象的な表現でしか書けないのだが、おいおいこの月の特別な出来事には触れていくつもりだ。まずは何はともあれ、一番好きな秋がすぐそこまでやってきた。山歩きを始めるためには身体がブヨブヨだが、まずは散歩のストレッチから始めようか。

9月3日 この秋から贈答や返礼で、ものを送ることをやめようと思っている。お世話になっている何人かの人たちに、毎年、秋田の美味しいものを送っていたのだが、必ず返礼も伴ってしまう。感謝の気持ちでやっていることだが、相手にも相応の気を遣わせてしまっているのは間違いない。もうこんなやり取りは、いいだろう。こちらも贈りません、そちらもお気を遣わず、というやつだ。

9月4日 台所リフォームのバタバタは収まったが、今日は家と事務所のせん定のため庭師がはいって作業中。年1回の恒例行事で1年がたつのが早い。午後からは洗面所の改修工事の打ち合わせがある。築45年のボロ建物のこれが内実だ。散歩用の新調した靴は、快調に足になじんでいて調子がいい。血圧降下用のツボ足踏み器にも5分近く乗っていられるようになった。盤上での足踏みまでは無理だが、「激痛」は感じなくなった。これが何よりもうれしい。仕事がうまくいかなくても、山を歩ける体力さえあれば、すべてノーブロムレムだ。そういう年齢になったのだ。

9月5日 いつも「好きなテーマや作家」の本ばかり読んでいるから、知らない世界やすごい才能をみのがしている。柔軟に、苦手のミステリーや純愛小説にも挑戦してみよ、辻堂ゆめ『あの日の交換日記』(中公文庫)を読みだした。「入院患者と見舞客」「教師と児童」「姉と妹」「母と息子」「加害者と被害者」「上司と部下」「夫と妻」の7冊の交換日記で構成されるミステリー小説だ。はじめの3章までは退屈で、物語に入っていくまでが大変だった。後半から、ばらばらのモノが少しずつつながりだす。前半の登場人物たちの影が、まるで「亡霊」のように、後半の物語に登場してくるのだ。そして最後は何のつながりもなかった物語や登場人物が、「交換日記」でひとつにつながっていく。著者は92年生まれ、まだ30代の若い東大出の女性だ。この手の物語の命は「伏線」にある。それを見つけようと、気負って読み始めたのだが、こちらの幼稚なリテラシーでは無理。ヒューマンな少女や教師の人間ドラマなので「伏線」らしきものは一向に顔を見せないまま、秘密や謎が見事にストーリーのなかで融合し、読者を欺いていく。読了してから7話の登場人物の相関図を描いてみた。なるほど、とようやく全体の謎と秘密を納得。
(あ)

No.1280

男鹿寒風山麓農民手記
(アチック・ミュージアム)
吉田三郎
 本書は1972年に三一書房から出版された「日本常民生活資料叢書」の第9巻に収録されている。この巻は「東北編2」で、吉田の『男鹿寒風山麓農民手記』と『男鹿寒風山麓農民日録』、それと『復刻奥のしおり』(船遊亭扇橋著)の3点が収載されている。出版の経緯は「序」を書いている農村研究家・大西吾一が詳しく書いている。昭和9年ごろ、大西がかねて親交のあった吉田に農村生活のあれこれを活字に残しておくように指導したのがきっかけで生まれたのが「農民手記」だ。こうした事情で書かれた「農民手記」が、これまた大西の紹介で当時の日銀総裁・渋沢敬三の目に留まり、かれが自宅に設けた民俗学博物館「アチック・ミュージアム」から出版される運びになったわけである。「農民日録」のほうは、その渋沢が、今度は吉田に細かな要望を出し、前作の続編のような形で、執筆を指導したものである。写真なども入り、より具体的に農村生活の細部が描かれるようになったのは、渋沢によるカメラの提供や資金援助もあったためだという。出版されると柳田国男はじめ多くの文化人たちに圧倒的に高い評価を受けた、と言われている。いま、吉田の本を読みたいと思えば図書館でこの三一書房版を紐解くしかない。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.1284 8月9日号  ●vol.1285 8月16日号  ●vol.1286 8月23日号  ●vol.1287 8月30日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ