Vol.1289 2025年9月13日 週刊あんばい一本勝負 No.1281

本に親しむ時間が増えて

9月6日 いろんなところに「置き本」してある。寝床用、外出用、便所用と車用の4か所だ。その4か所に共通の作家の本がいた。詩人・長田弘の文庫本エッセイ集たちだ。長田さんとは生前、新宿の飲み屋さんで一度だけお会いしたことがある。津野海太郎さんが紹介してくれた。長田さんの置き本は詩集ではなくすべてエッセイ集だが、どの1冊も読了まで至らず7,8割のところで、そのままになっている。音楽、コーヒー、旅、酒、読書……といった定番のテーマを、この詩人でなければ生み出せない、独特で新鮮な言葉で紡いでいるエッセイだ。私より10歳上の長田さんが亡くなったのが10年前だ。今の私と同じ年の時に亡くなっている。お会いした時、ほとんど会話らしきものができなかったが、同時代を生きた哲学者のような詩人と会えたのは、今も私の誇りだ。

9月7日 カヴァーの装丁を「南伸坊」が描いていると本を買ってしまう。作家の小川洋子さんの『科学の扉をノックする』(集英社文庫)も伸坊がカヴァー絵を描いている。かわいらしく、ユーモラスで、上品な絵だ。いつものように即決で買い求めた。「宇宙」や「鉱物」「核とDNA 」「粘菌」「遺体科学」といった科学の世界のトップレベルの研究者たちを訪ね、文系の小川が話を聞いてくるという本だ。訪ねた科学者7名の中、最終章に登場したのが「続木敏之」という異色の人物。どこかで聞いたことのある名前だなあ、と思ったら元プロ野球選手(阪神)で、現在は阪神タイガースのトレーニング・コーチではないか。章題は「肉体と感覚 この矛盾に挑む」だ。なんとなく野球のトレーニング科学は、他のスポーツよりも遅れていて封建的と思い込んでいた。この章を読むと、いやいやなかなかのもの。うさぎ跳びや水泳禁止(肩を冷やす)、水飲み禁止世代としては興味満載のインタビューだった。

9月8日 新しい1週間が始まった。いくつになっても月曜日というのは緊張感があり、勝手に身構えてしまうところがある。仕事場の蛍光灯の一部がLEDになった。そこだけ明度が違うので、気になってしょうがない。残りの蛍光灯もLEDに替えてしまいたいが、どこにも故障がない。9月は決算の月。何かとあわただしくなる。これもまた苦手だ。希望は靴が3足ともすべて新品になったこと、か。外出や散歩が楽しみになった。ワクワクするのはそれぐらいだ。

9月9日 最近、テレビは「落語」を聞くために観ている。週1回あるEテレの「日本の話芸」や「おとなのタイムマシン」の落語番組が、愉しみになってしまった。この頃は落語家の「下手と上手」が少しわかるようになった。登場人物にまったく感情移入できない、うるさくガサツで派手な演者も少なくないので、すぐにこりゃダメ、となる。古典芸能は「通」なる人が多い。でも自分の価値のモノサシで「好き嫌い」を決めるのが一番だ。多くの落語に接しているうち、自分勝手な評価も自然にレヴェルアップしていく。やはり多く聞くことが大切のようだ。

9月10日 友人のFさんからお米を分けていただいた。Fさんは農家でも何でもないのだが、大潟村に親しい人がいて、そこで刈り入れなどを手伝っているので、お米はいつも豊富にある。Fさんはすぐに玄米を1升ほど届けてくれた。米ぐらい買えばいいだろう、と言われそうだが、「お米を買う」という行為は、なかなかハードルが高い。お米はお金で買うものではない、という米どころ特有の、「へんな感情」が抜きがたくあるためだ。お米は親しい農家から「いただくもの」で、農家とそうした関係にない人が、やむなく「米を買う」。でも去年あたりから、こうした認識にも影が差し始めた。今年は一度だけだがスーパーで米を買った。ものすごい敗北感というか屈辱感があったことを正直に告白しておく。

9月11日 仕事場と寝床と外出用バックにメモ帳が常備してある。コピーの裏紙を手帳サイズにカットして、自分で綴じてメモ用紙を作っていたのだが、最近、無印良品で「優れモノ」を発見、ずっとそれを使っている。14センチ×10センチの200枚綴りで、少し黒っぽい(再生紙?)紙を使ったメモパッドだ。かなりの厚みがあるのだが、値段はなんと100円(!)。このメモパッドに替えてから、裏紙の3倍くらいメモ用紙を多く使うようになった。コピーの裏紙は「もったいない」意識が前面に出て、逆にチビチビとしか使わない。無印のこのメモパッドは、たぶん1日に5枚以上使っている。最近買ったものの私のヒット作である。

9月12日 年に3,4度、無性にカレーが食べたくなる。自分で作っていた時期もあったが、いまは「ココイチ」で間に合わせている。食べるのはいつも「野菜カレー」だ。カレーソースとご飯の食べ合わせが悪いのか、赤ちゃんの拳ほどの白飯がいつも残る。そこで昨日はいつもの野菜カレーに「追加ソース」をプラス。でも、やっぱりいつもと同じように白ご飯が残った。その原因をいま冷静に考えているのだが、結論は出ていない。ココイチのカレーには猛烈なファンいるようだが、そんなに旨いと思ったことはない。やはり母親の作ったカレーにはかなわない。それと、けっこう「しょっぱい」というか塩味が強いのに、いつも驚く。これはチェーン店ではの、何か特別な理由があるのだろうか。

(あ)

No.1281

もの言う百姓
(慶友社)
吉田三郎
 我が家に突然、現役の農林大臣や日銀総裁がふらりと遊びに来たら……と想像するだけで楽しいのだが、昭和9年9月、男鹿の小さな集落で実際にこんな「事件」が起きている。訪れたのは時の日銀総裁・渋沢敬三、後に農商大臣になる石黒忠篤農林次官、そして高名な民俗研究者ら一行8人。男鹿の開墾小屋で百姓をする吉田三郎の、その営農や生活に興味を持ち、ただそれだけの目的で、吉田の山中の自宅を訪ねてきたのだ。もちろん集落は上や下への大騒動だ。渋沢敬三とは、あの千円札の渋沢栄一の孫であり子爵だ。吉田はその後、満州事変の年に渋沢に招かれ、アチック・ミュージアムの管理人兼農業指導のような立場で東京保谷にある渋沢邸に移り住み、終戦直前までそこで暮らした。戦後は男鹿に帰り、そこで農村改革のための運動や、民俗、民具の研究に従事し、昭和54年、73歳で没している。 この本は図書館でしか見ることはできない。開拓事業を続けながら、村の生活を克明に記録し続けたこの「野の民俗研究家」のことをもっと知りたい、と思って資料をあさっているのだが戦前の記録というのは少ない。それにしても、生まれて初めて大臣やら日銀総裁といった「偉人」を目の当たりにした当時の男鹿の人たちの驚きは想像に余りある。

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