Vol.131 03年3月8日 週刊あんばい一本勝負 No.128


蕎麦とヴァイオリンの会

 先日、神岡町でユニークな会があり私と鐙編集長、それにフリーライターの藤原優太郎さんの三人が参加してきました。神岡町にはヴァイオリン製作工房を持つ小林さんという方がいて、その演奏と地元の二つの酒蔵(刈穂と福の友)のお酒を飲みながら、話題の東成瀬「神室そば」栗田健一さんの蕎麦を食べる、という会です。同じ町にある二つの酒蔵の仕込み水が硬水と軟水の両極端なので、それぞれの水を使って蕎麦を打ち分けるという趣向は面白かったのですが、これはどう考えても「わかるわけないよね」というのが正直な感想。私たちにとっては毎週食べている「宅配そば」の栗田さんの蕎麦打ちの実演を見られること、本人とはじめてお会いするのが参加の大きな目的でした。栗田さんは想像していたとおりの実直、誠実、物静かな青年で、生まれてはじめて布海苔をつなぎに「水を使わない」蕎麦こねを見ました。事務所に帰ると「麺食いの連載をはじめるので1回目を常盤新平さんに頼んだけど、2回目安倍さん書かない?」という月刊「論座」(朝日新聞社)の上丸編集長からグットタイミング(死語)な電話。「あいよッ」とノリで引き受けてしまいました。栗田さんのことを書こうとおもっているけど、うまく書けるかなあ。
(あ)

実演中の栗田さん

演奏中の小林さん

岩田書院に行ってきました

 都営新宿線で笹塚まで行き、そこから京王線に乗り換えて千歳烏山で下車。駅から歩いて10分ほどのところに歴史・民俗の専門出版社「岩田書院」があります。先日、その事務所を訪ねてきました。岩田博さんの本を出すためです。本のタイトルは『ひとり出版社「岩田書院」の舞台裏』。文字通りたった一人で年間50点の本を出し、年商1億を誇る他には類を見ないユニークな出版社です。岩田さんの驚異的なこの10年の足跡は送られてくる通信「裏だより」で知ってはいたのですが、心のどこかで「本当は一人じゃなくて、アルバイトが何人も常駐してたりするのでは…」と少し疑ってもいました。とても1人でなせる仕事量ではないからです。ところが事務所のある普通のマンション一室に入ると、そこは本や資料で埋まり身の置き所がなく、どう考えても人間は岩田さん一人しか生息(!)できない環境であることをしっかりと確認、あらためてそのすごさに驚いて帰ってきました。本は順調に行けば5月中にできる予定です。あくまで予定なのは岩田さんが忙しくなると編集作業が止まってしまう可能性があるからです。とにかく忙しい人なので、今はひたすら「岩田書院が忙しくならないように」と他人の不幸を期待するような、複雑な心境の日々であります。
(あ)

事務所

仕事中の岩田さん

センブリで胃がすっきり

 胃腸の薬として古くから重宝されている薬草のセンブリ。白い花が咲く可憐なこの野草を乾燥させて、ライターの藤原優太郎さんが持ってきてくれましたが、ここのところ胃の調子があまり良くなかったので、さっそく飲み始めました。本格的に煎じて飲むのは面倒なので、大き目のカップに15センチぐらいの茎を折って1〜2本入れ、熱湯を注いで会社でチビチビ一日中飲んでいます。

乾燥センブリ。残り少なくなってきました
 センブリといえば薬草のエースのような存在で、消化不良、食欲不振、胃痛、下痢などに対する薬効は良く知られています。「良薬口に苦し」の例えはこのセンブリのためにあるのでは、と思うほど苦く、「千回振り出してもまだ苦い」というところからこの名前がついたと言われています。おかげでここのところ胃の調子もぐんと良くなり、夜、家で酒を飲んだ後、これを飲んで寝ると胃がすっきりして、快適な朝が迎えられるのは気のせいばかりではないようです。あまり強い薬草のため、常用は避けるようにと教えられましたが、慣れたらこの苦さがいとおしくなってきて、癖になってしまいそうです。
(鐙)

「伊藤の酒まんじゅう」

 最近、無明舎のホームページで、私のことを無類の甘党とかいう根も葉もない噂が流れていますが、残念ながらそれは本当です。自分が生まれた戦中の食糧難時代、とくに甘いものは貴重だったそうです。そんなわけで甘い物欲求のDNAがどこかに潜り込んだのでしょう。先日、安倍さん、鐙さんと神岡町のそばを食べる会に行ってきました。そばはひとまずそばに置いといて、神岡町というと、すぐ名物の酒まんじゅう!と気づくのが甘党たるゆえんです。
 国道13号に面した北楢岡に伊藤商店という、外見は何の変哲もない酒屋兼店があります。このお店で作っている「伊藤の酒まんじゅう」が実は只者ではないのです。どう只者ではないかというと、あまり美味しいので朝、お店に出してもお昼までは持たないという秘密のあんこちゃんだからです。売切れになると店先の看板がしまわれ、酒まんじゅうの有無が一目で分かるので、車が北楢岡に入ると条件反射のように目がその看板を探してしまいます。
 そば会のそば打ちをそばで見せていただいた人の中で、そば粉に指を突っ込んで硬さを妙に気にするトーサンがいました。気になるはずです、このトーサンこそ、なんと「伊藤の酒まんじゅう」を作っている本人だったのです。そば粉と酒まんじゅうの生地の硬さを比べてみたかったのでしょう。やはり、こうした探究心がなければ、あの美味しい酒まんじゅうは生まれないのだと思いました(かなり酔ってもいましたが)。

「伊藤の酒まんじゅう」のトーサンと感激の対面
 高校生のころ、秋田駅前のマルシメ鎌田で食べた「鎌田の酒まんじゅう」は稀代の名品でした。出来たての、ほんわかした甘い酒の香りを死ぬまで一度でいいから味わってみたい、それは叶わぬ甘い夢なのかなあ。
(藤原優太郎)

No.128

空中庭園(文藝春秋)
角田光代

 まだ30代前半のこの人が今年の芥川賞をとるのではないかな、と本書を読んだあと漠然と考えていたのだが、ダメだったようだ。漠然と、というのは真剣に考えたわけではないという意味で、小説作品はほとんど読んでいないし、ましてや新人作家の動向など知る由もない。もっと連れなく最近は小説を書く人にほとんど興味はない、といってもいいかも知れない。それでも、ふとしたきっかけで読んだ本書は面白かった。郊外の団地に住む京橋家の一人ひとりを主人公に、そのすさんだ内面をユーモラスに語らせていく手法は珍しいものではない。長いものを読むのは億劫ながら、ひとつのテーマを深化させた物語世界にどっぷりとはまりたい読者には適した手法だと思う。私のような。芥川賞の選考委員の弁によれば、この作品が落ちたのは「連作の主人公たちの語り口がほとんど同じで平板」といったあたりに原因があるようなのだが、私はそこまで細部が気になりはしなかった。妙に子供が主人公になると語り口が生き生きするように感じたのは著者が児童文学に強い作家だからかもしれない。

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