Vol.133 03年3月21日 週刊あんばい一本勝負 No.130


杉山彰の音楽CD「POPS ON THE FARM」はなかなかダゾ

 杉山彰といっても大方の人は知らないかも。この2月、小舎から『田舎暮らしご馳走帖』『「時代遅れ」入門日記』を出版した、例の埼玉県から東成瀬村に移住してきた著者のだんなさんである。先日、村で杉山夫妻の出版を祝うパーティーがあり出席してきたのだが、各自持ち寄りの料理で会費1000円、歌あり、ハワイアンあり、古老の昔語りありのおしゃれで楽しい宴席だった。そのパーティーの引き出物(?)としていただいたのがこのCD。杉山彰自作自演の、たぶん自費制作ミュージックなのだろう。たった1000円の会費でたらふくおいしい手料理をご馳走になり、抱腹絶倒の各種隠し芸まで見せてもらって、さらに音楽CDまでもらうとは……もしかしてとんでもない歌のオンパレードで、「これならただでもしょうがないか」とうなだれてしまうオチでもついているのか、とシブシブ聴いたら、これが大はずれ。ビートルズの影響を過剰なほどうけていることを除けば、楽曲作りや歌のセンスはかなりのハイレベルで、プロの歌い手と遜色がないばかりか何度も聴きたくなる曲もあり、これならだれに勧めても恥ずかしくないできばえである。結局小生は連続して5回も聴いてしまった。同じCDをこんなに短期間に何回も聞いたのは久しぶり。妻のあおいさんとのデュエットも、あおいさんの微妙なヘタさが彰さんのレベルの高さを引き立てる役目を果たしている。夫もただでは転ばない。いや陰謀か。とにかくこれは拾い物(失礼)のCDである。興味のあるかたはHP「んだすか。」にアクセスすれば入手方法がわかるはず。きいて損はしません。
(あ)

CDジャケット

パーティで挨拶する安倍

万年筆の秘密

 万年筆を何本か持っている。最近といってもここ10年ほどワープロ、パソコンのおかげで持っている万年筆を使用する頻度は減る一方なのだが、たまに他の人の使っている万年筆を借りて文字を書くと、そのあまりに滑らかな使い勝手に驚くことがある。家に帰ってさっそく自分の万年筆を取り出し、使ってみるのだがやはり滑らかさの欠片もない。「なぜ、私の万年筆だけこうも当たりが悪いのか」といつもがっくりしていたのだが、これがとんでもない事実誤認であることを最近知った。

最近はできるだけ毎日使うようにしています
 銀座にある文具の伊東屋の万年筆コーナーを訪ねたときのことだ。ペン先が悪いので、と修理を申し込むと、「1週間も使わない万年筆はインクの粒子が詰まって滑らかさがなくなります。毎日使わない人は一回使ったらそのつどインクを抜いてください」とぴしゃりといわれてしまった。ペン先に欠陥があったのではなくインクの粒子が詰まっていただけのことだったのである。使わないときはインクを抜く、使うときにインクを入れる。これが万年筆の正しい使い方で、これをしないとどんな名品も滑らかには書けないのだそうである。けっこう面倒くさいアナログ文具なのだ。だからこそ時を越えて愛されるのかもしれない。いやぁ、これはけっこう目から鱗でした。皆さんは知ってました?
(あ)

No.130

だまされないために、わたしは経済を学んだ
(NHK出版)

村上龍

 ワイドショーにでてくる経済専門家といわれる人たちに抜きがたい不信感がある。使い捨ての連中といわれればそれまでだが、マイナス局面のときテレビで現体制批判をしていればそれでお役ゴメンというスタンスは気楽でうらやましい。その言説や理論が政府に認められ、いったん政治に現実的に関わると、その無能力が満天下にさらされてしまう人がほとんどだろう。何度かそういったケースを実際に見聞するうち、経済専門家の社会の役割への諦観も身についた。翻ってこの著者、小説は肌合いが合わないのでほとんど読んだことはない。エッセイも大きな社会的なテーマが多くて馴染めない(私はとことん身辺雑記エッセイが好きなのだ)。それがJMM(99年に創刊された村上龍のメールマガジン)で週1回配信する経済エッセイはめっぽう面白い。基本的なことを抑えながら自分の立ち位置から印象批評をリラックスした姿勢から繰り出すだけなのだが、さすがに作家の対象への距離感や読者への伝達能力がうなりたくなるほど(経済専門家に比べて)うまい。いっけん経済門外漢という立場から選んだプロの作家のことばは新鮮な輝きを帯びている。もうこのシリーズは何冊も出ているらしいので続きも読んでみたい。

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