Vol.136 03年4月12日 週刊あんばい一本勝負 No.133


漁師さんの連載開始

 今週から若い見習漁師さんの連載「新米脱サラ漁師の日記」が「んだんだ劇場」に登場しました。仙台市の南にある小さな町、亘理町(わたりちょう)荒浜に住む菊地裕丈さん(36歳)が書き手です。盛岡市生まれの菊地さんは東京で13年間、「ピンクハウス」という女性服の有名ブランドでサラリーマン生活を送ったあと漁師に転職したもので、「男っぽい仕事がしたい」という一念で反対する奥さんをなんとか説得して、見習い漁師を始めたそうです。最初の一年間は千葉県銚子近くの漁港で漁師見習をし、2000年6月、実家がある仙台の近くに新たな見習先を見つけて修行を続けています。

親方の船「魁風丸」と菊地さん
 私が菊地さんを訪ねたのは2月の中旬。秋田はまだ雪に覆われていましたが、亘理町はほんのりと暖かく、うらやましく思ったものでした。彼が見習として乗り組んでいる「魁風丸」は底引き網漁専門の船です。他にホッキガイ漁など使う小型の漁船と2艘案内してくれ、海の仕事の面白さを熱っぽく語ってくれました。菊地さんと親方が主に漁をするのは阿武隈川河口沖から仙台湾。アカガイ、ホッキガイなどの貝の宝庫であり、底引き網にはカレイやヒラメ、マダラ、アナゴなどが入るそうです。「収入は3分の1になったけど、本当に漁師の仕事を選んで良かった」と菊地さんは日焼けした真っ黒な顔をほころばせていました。5月1日に底引き網漁が解禁になったら私も船に乗せてもらう約束をしています。菊地さんの連載第1回の最後の言葉が「早く魚食いテー」でしたが、私も同じ気分です。「早く菊地さんが獲った魚が食いテー」。
(鐙)

本をリサイクルしました

 初の試みで、廃棄本を故紙としてリサイクルしてみました。午後、秋田協同清掃の収集車が到着。事務所裏の倉庫と山の倉庫から、重量にして約2トンほどの廃棄本を積み、土崎にある北海紙管へ。この道中に収集車の助手席に乗せてもらいました。もちろん、収集車に乗ったのは初めてだったので、とてもうれしくて、本当は業者さんに故紙のことなどいろいろ聞こうと思っていたのに、関係のない話ばかりで盛り上がってしまいました。
 北海紙管は、収集した故紙を製紙会社に卸している会社で、ダンボールや雑誌は東北製紙へ、新聞紙は北海道の苫小牧にある王子製紙へ、牛乳パックは北上製紙へといった具合に、故紙リサイクルの流通ルートの中継点となっている会社です。今回廃棄する本は、雑誌類に分類されます。
 北海紙管に着いてからの流れは、@計量 Aべルトコンベアに載せて、包み紙やダンボールの切れ端など、本以外のものを取り除く Bさらに大きなベルトコンベアに載り、高いところまで持ち上げられる C太い四角い管の中に落とされ、圧縮 D約1トンの圧縮されたブロックになって出てくる……といった工程で、このブロックの形で、製紙会社に運んで行くそうです。
 収集車に本を積む時、岩城と2人で手伝いをしたのですが、岩城も私も習慣で丁寧に本を扱ってしまい、ぽんぽん放り投げている業者さんを見て「あぁ、本当はゴミなんだよなぁ…」と顔を見合わせて笑ってしまいました。一生懸命作った本がゴミになってしまうと思うと、とても寂しい気持ちになりましたが、せめてリサイクルすることでもう一度紙としてよみがえってくれたら、少しでも環境保全の手伝いができるかな、と思います。
(島)

本を収集車に積み込む

ベルトコンベアで選別

大きなベルトコンベアで持ち上げられる

圧縮されたブロック

今週の花

 今週の花は小菊、デンファレ、スプレーカーネーション、アイリス。
 菊の最盛期は秋ですが、今では一年中出まわっています。大きい花を一輪だけつけるタイプを「輪菊」、小さい花をたくさんつけるのが「小菊」、茎が枝分かれしてたくさんの花をつけるものを「スプレー菊」と呼ぶそうです。
 秋になると愛好者たちが丹精こめて育てた菊を持ち寄る展示会をよく目にします。普段は仏前に供える花のイメージしかありませんが、堂々と咲いている大輪の菊を見ると、さすがに皇室の紋章にもなっている花は奥が深いな、と思ってしまいます。
(富)

No.133

『昭和』という国家(NHKブックス)
司馬遼太郎

 同じ著者の「『明治』という国家」は浅学な私には本当に目からうろこ本で、日本史への興味を新たにかき立ててくれた。その感動をもう一度と本書に挑んだのだが、残念ながら薄味で不満が残った。NHKのテレビ番組を本に編んだというのは『明治』と同じだが、巻末の解説を書いている番組プロデュサーによると、この番組の出版化にたいして著者は出版化の許可をださなかったらしい。なるほど、やはりそうだったのか。『明治』に比べて話が飛びすぎ、重複が多すぎて1本の道筋が見えてこないもどかしさがある。関川夏央が書いた「司馬遼太郎の『かたち』」(文春文庫)は、「この国のかたち」を文春に連載した際に歴代編集長に書き送った司馬の手紙を読み解きながら、この作家の憂国の根ッ子を探った労作なのだが、この本と読み合わせると、司馬が「昭和」に対してどのような感情を抱いて発言したのか、あるいは発言しようとしなかったのか、よくわかる。よくわからないのは著者の死後、出版された談話の類のほとんどは著者の許可なしの関係者の判断で出されたものなのだろうか。

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