Vol.140 03年5月10日 週刊あんばい一本勝負 No.137


今年も田んぼに水が入ったが…

 今年も事務所前の石井さんの田んぼに水が入りました。田起こしがはじまったのがGWの最終日ですかから、例年よりちょっと遅いでしょうか。毎年、田んぼに水が入ったとたん、蛙の大合唱がはじまり、ああ一年が過ぎるのは早いなあ、と思ってしまいます。50歳を越えてからさらに、この一年という歳月のスピードは加速したように感じています。カレンダー代わりのような石井さんの田んぼも、来年あたりは宅地に生まれ変わるのでは、という噂も流れています。無明舎とはきっても切れない関係の田んぼですし、所有者の石井さんとも親しいのですが、とても面と向かって「宅地になるんですか?」とは聞けないでいます。正直なところ気が気ではないのですが、とにもかくにも今年も無事に田植えが始まりました。いいおコメが育って欲しいものです。そして隣で仕事をして住んでもいる人間のエゴかも知れませんが、このまま田んぼとしてずっと私たちを見守って欲しい、と勝手に願ってもいます。
(あ)
田おこしする石井さんと水の入った田んぼ

「今日の人形芸術」展はお奨め

 東京でカミさんに頼まれてシブシブ、竹橋の東京国立近代美術館工芸館で3月28日から5月18日まで開かれている「今日の人形芸術」を一緒に観て来ました。入ったとたん、川崎ブッペ作の「女」という、異形でありながら官能的、加えて不思議な存在感とユーモラスな人形が目に飛び込んできて、あとは魔術にかかったように展覧会に引き込まれてしまいました。知っている作家といえば四谷シモンや結城美栄子、竹久夢二くらいでしたが、いやはやどの作家の作品もほとんど魂が乗り移っているとしか思えないほど表情が生き生きとしていて、不思議な存在感があり、不気味さも併せ持っています。感動といわくいいがたい昂揚感などもろもろの複雑な感情で圧倒されたまま、お隣で開催中の「青木繁と近代日本のロマンティシズム」ものぞいたのですが、展覧会の掛け持ちは良くない、といわれるとおりそっちの印象は薄いものでした。それほど人形展のインパクトが強かったわけです。こんなにたくさんの人形を、それも外国まで含めた一流の作家たちが作ったものを、一度に観る機会というのはなかなかないので、今回はまさにケガの功名といったところです。人形なんて女の子の遊び道具ぐらいにしか思っていなかったのですから、恥ずかしいかぎりです。これはお奨めの展覧会です。機会のある方はぜひ足を運んでください。
(あ)

作品の一部をパンフより

それは‘丘‘だ

 岩手県内の書店を回っている時に、カーラジオで面白いラジオ番組を聴きました。IBC岩手放送の岩手弁をテーマにした視聴者の投稿の番組です。「方言には温かい心がこもっています。方言を大いに使い大切にしましょう」というコンセプトの番組でしたが、投稿を読むアナウンサーが笑いすぎ、投稿を読めなくなってしまうほどの傑作オンパレードで秋田県人の私も耳が釘付けになってしまいました。 ―― 私の知り合いは、どこそこに行きましょうというのを「あべ」と言うそうです。ある時、大切なお客さんが来てていねいに言わなければならなくなってこう言ったそうです。「あべましょう」(行きましょう)――
 ふと、昔、ダジャレの好きな友人がしゃべったことが頭に浮かんできました。
「それはあんまりだ、というのは、英語でなんと言う」 「・・・・・」 「秋田では、あんまりだは“おが”と言う。“おが”は“丘”だから、It is hill(それは丘)」
「あんまりといえば、おが」な話ではないでしょうか。
(七)

It is hill(それはあんまりだ)

今週の花

 今週の花は黄色のバラ、千日紅、テッポウユリ、ニゲラ。最初「ニゲラって?」と思いましたが、調べてみるとキンポウゲ科の植物。日本ではクロタネソウとも呼ばれているそう。名前の通りタネが黒いのが理由です。実は「ニゲラ」もラテン語で「黒」の意味。なぜそんなに黒にこだわるかというと、このタネはイチゴのいい香りがして、役に立つから。お菓子や料理のスパイスに使われたり、魔除けになったり、利尿作用があるので薬草として用いられたり…。
 エジプトではこのタネを食べるとチャーミングになれると言われているそうです。図鑑でみると白や青の花(本当は花びらではなくガク)が水草のように細くて柔らかな葉っぱの間に咲くはずなのですが、残念ながら事務所のニゲラにはそんな様子はこれっぽっちもありません。聖書にも登場する由緒正しい植物のようですが、それにしても見れば見るほど不思議な花です。
(富)

No.137

若者の法則(岩波新書)
香山リカ

 もう8年以上も近所にある秋田経法大学で「地域社会論」の非常勤講師をやらせてもらっている。若者と接触する機会は極端に少ないのだが、この授業で毎年出会う20歳前後の若者たちが小生の若者像のイメージを形成しているといっていいかもしれない。息子も同じ年齢で「当世若者気質」を考えるうえでは参考になるが、身内なので何かと身びいきがあるから参考にはならない。授業をしていて驚くのは私語の多さである。いくら「うるさい、私語をやめるように」と注意しても、しばらく経つとぺちゃくちゃやり始める。そこで「寝ててもいいから私語厳禁」ということにしたらぴたりと静かになった。最近は「私語を止めないものには単位をやらない」とまで言い切っている。自分の青春時代と比べて異なっているのは、今の若者がほとんど喜怒哀楽を表情に出さないことだ。これは不気味である。こちらが口角泡飛ばし汗かきながら講義してもシラっとして妙に冷静なのである。その辺の心理的メカニズムを知りたくて本書をひもといたのだが、残念ながら読みやすいエッセイで終わっている。

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