Vol.143 03年5月31日 週刊あんばい一本勝負 No.140


地震の被害はたいしたことありませんが…

 5月26日夕方の地震は、そうたいした被害もありませんでした。お見舞いや、心配のお声をかけていただき、ありがとうございました。安倍を除く全員が仕事中で、グラグラッときたときは「これゃ、大きいし続くぞ」と判断、全員が外に出ました。揺れが収まってから舎内や倉庫の点検をすると何箇所かで本の山が崩れたくらいで、ハード部分への被害は確認されませんでした。
 この時刻、安倍は東京出張で、帰路に着く飛行機に乗り込む寸前でした。搭乗時間と地震がほぼ同じころで、羽田では「地震のため滑走路を点検中で出発が遅れる便もあります」というアナウンスだけで、どこで起きた地震なのかのアナウンスは一切なく飛行機も定時に飛び立ちました。到着後、飛行場に迎えに来てくれた渡部七郎から震度六近い大地震で、パニック状態になったことを聞き、驚きました。家の書斎に帰るとテレビは棚から落ち、壁にかけている絵が曲がっていました。これで揺れのすごさを想像できました。しかし地震の時、公用車を待たせてパチンコをしていた副知事のほうの問題が震源は深く、県民に癒えぬ傷を残しました。「秋田って、ほら、あの地震の時、副知事がパチンコしていたとこでしょ(笑い)」これが県民には一番きつい揺れでした。今もその揺れは続いています。
(あ)

壁の絵がみんな動いてい
るのが、わかりますか?

ソフトボール倶楽部をつくる予定ですが…

 突然ですが、無明舎オールディーズでソフトボール倶楽部をつくろうと思っています。これは突然の思い付きではなく、去年、ニューヨークのセントラルパークで見たCNN(放送局)とどこかの会社のソフトボール試合があまりにエキサイティングでスピーディでパワフルでかっこよかったので、秋田でもこんなスポーツが出来たらいいのになあ、と思ったのが始まりで、そのころから考えていたことです。少人数でも出来、グラウンドも小さくてOK、投げて打つインターバルがものすごく短くて野球のように退屈しない、というのが魅力です。あのダサくて身の毛のよだつ野球のユニフォームを着なくていいのもかっこいい。
 そんなわけで虎視眈々とチーム結成を狙っていたのですが、どうにか渡部七郎、藤原優太郎、両オールドの賛同を得ることが出来、まずは平均年齢56歳の3人からスタートすることになりました。このスポーツは女性もOKなので、これから平均年齢を徐々に下げていく方針です。毎週1回は練習時間を設け、そのレポートもHPで逐次報告させてもらいたいと思っています。あなたも参加してみませんか?
(あ)

さっそく買い揃えたソフトボール用具

座敷わらしには会えなかった

 近々発刊予定の『とうほく妖怪図鑑』用の写真撮影のため、岩手県の遠野や金田一温泉などをまわって来ました。一人旅ですが、今回のメインはなんといっても「座敷わらし」。二戸市金田一の緑風荘という温泉旅館がその舞台です。以前から雑誌やテレビなど多くのメディアでも話題をさらった座敷わらしですが、ほんとうに出るのでしょうか。600年前の南北朝期、都から落ち延びた藤原藤房卿というお公家さんの近臣のせがれ、亀麻呂クンがその主人公です。その一族は緑風荘の祖先にあたるとか。とにかく古い母屋の奥座敷、槐(えんじゅ)の間に夜中の2時頃、つまり丑三つ時にその子供がほいほいと出てくるらしいです。ずいぶん宵っ張りの子供です。しかし、この座敷わらしに出会った人は幸運をつかむということらしく、その部屋に泊りたいという客はあとを絶たず、旅館で聞いた話では、平成17年いっぱい予約満杯とのこと、凄い人気です。
 ぼくは新館(といってもかなり古いですが)の一室をあてがわれ、ゆっくり温泉につかったあと眠りにつきました。夜中の12時過ぎだったでしょうか、隣の部屋らしかったですが、ギシギシミシミシ音がするので目が覚めました。座敷わらしがサービスに来たのかなと一瞬思いましたが、何のことはありません。宿泊したおやじかおばばが夜中のションベンにでも起きたのでしょう。ぼくとしては座敷わらしや座敷おばばよりも座敷あねこのほうがずーっと嬉しいのに、と思いながら再び眠りについたぼくでした。
 翌朝、槐の間の写真を撮らせていただきました。座敷の床の間から違い棚にかけて寸分の隙間もないほど縫いぐるみなどの人形で埋め尽くされています。600年前の亀麻呂クン、ミッキーマウスやピカチューなど分かるのでしょうか。摩訶不思議の旅でした。
(優)

これが座敷わらしの出る部屋

No.140

死ぬための教養(新潮新書)
嵐山光三郎

 今、最も脂の乗り切った作家の最新刊である。『文人悪食』を読んですごい人がいるものだと感心して以来のファンなのだが、何を書いてもほとんどはずさないというのは、たぶんにこの人が編集者経験ありという経歴と無関係ではありえないだろう。本書の構成も、人生で自分が死に掛けた5回の場面をそれぞれ章題のキーワードにし、そのエピソードを軸に、そのつど死から自分を掬い取ってくれた宇宙論から闘病記までの「死」についてのブックガイダンスをするという、この二重三重の仕掛けが新鮮だ。死の恐怖から逃れるための最大の処方箋だった宗教が力をうしなっている、というのが本書の前提である。今、自分の死を平穏に受け入れるために必要なものは「教養」以外にはありえない。それも単なる知識としての教養ではなく「死ぬための教養」が必要とされている。「自己の終焉」を納得するための武器となるような「教養」とは何か、がこの新書には余すことなく書き込まれ、語られている。

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