Vol.144 03年6月7日 週刊あんばい一本勝負 No.141


上がったり下がったりの毎日

 ここのところ『とうほく妖怪図鑑』の取材で息が上がって参りました。思いがけず取材先に山が多かったためです。取材の最終週となった先週を思い出してみますと、最初は秋田県横手市大沢の貝蔓山(きゃのしるさん)神社でした。標高はわずか300メートルちょっとですが、ほとんど直登に近く案内してくれた地元のおじいさんと一緒に汗を流しました。その日の午後は稲川町稲庭にある坂の写真を撮るため、150メートルほどの小山に登り初日を終えました。翌日は山形県天童市の雨呼山(あめよばりやま・905メートル)から始まりました。この山の中腹には「じゃがらもがら」と言う伝説の地があります。そこは楽勝でしたがその後が大変。頂上近くにある撮影地まで行くのに大いに苦しみ、いったん4合目まで降りた後「三つ石」という奇岩を撮るため、再度200メートルほど登らなければなりませんでした。この日はこれで終わりではありません。午後から山形市郊外の長谷堂観音がある城山(230メートル)、さらに米沢市小野川温泉のスキー場のゲレンデをとぼとぼ歩いて登りました。
 その2日後、思いがけない苦しみに襲われました。山形県朝日村に作られた「月山ダム」の撮影です。このダムは高さが122メートルもあり、巨大なコンクリートの内部はさまざまな機械や施設があるため、階段と通路が迷路のように入り組んでいます。もちろんエレベーターはありますが、無いところは歩くしかありません。地の底に下るような階段を降りたり上がったり。大変な撮影でした。

放流中の月山ダム
 読んだ人はなんだこの程度と思うでしょうが、これらの山やダムをカメラ、バッグ、三脚を担ぎながら、運動不足の私がてくてく歩くのはなかなかきついものです。苦労が報われるのはその本が売れたとき。今年の夏は『とうほく妖怪図鑑』を読んで涼しさを味わってください。
(鐙)

まもなく刊行「フラワートレッキング 秋田駒ケ岳」

 シーズンに入って『南とうほく花の湿原』(2002年7月刊)『北とうほく花の湿原』(2003年4月刊)の注文が、かなり多くなりました。それを上回るように、予約や刊行の問い合わせが連日届いているのが、同じコンビ(日野 東+葛西英明)による第3弾「フラワートレッキング 秋田駒ケ岳」(本体・1200円)です。
 この本は、秋田・岩手両県の県境上にそびえる花の宝庫・秋田駒ケ岳と北側の乳頭山の登山コースと、そこで見られる花を案内するガイドブック。花好きの人を対象に登山と花の両面から、使いやすいようにさまざまな工夫がされています。
 「登山コース図」に「最終コンビニエンスストア」などが載っているのが驚きですが、「携帯電話情報」というのが書かれているのにもっとびっくり。実際に各社携帯電話を現地で使用して、通話できるかどうかを調査した結果をデータとして載せたもので、徹底的に使う人の身になって作られた本です。おまたせしました、6月25日頃に刊行です。
(七)

綿密なチエックがされた校正紙

今週の花

 今週はスプレーカーネーション、リシアンサス、かすみ草、デンファレの4種類が届きました。かすみ草は花束の引きたて役のように使われ、誰でも知っている花だと思います。が、単にかすみ草というと一重咲きのもの。バラと一緒に花束に使われたりして馴染み深いのは八重咲きの宿根かすみ草のことです。一年草と多年草という違いもあります。これは知らない人も多いのではないでしょうか。なぜ私がそんなことを知っているかというと、小学生の頃、かすみ草のタネを蒔いたことがあるからです。花が咲くまでは八重咲きの花を想像してワクワクしていたのに、いざ開花してみると一重咲き。想像していたかすみ草とは全く違い、ガッカリ。その上、放っておけば翌年も咲くだろうと思っていたのに、そんな気配もない。植物には一年草と多年草があることを知ったのはその時でした。こんなうれしくない思い出のある花ですが、やっぱりかすみ草は好きな花の一つです。
(富)

No.141

人生の無常を楽しむ術(講談社+α新書)
野末陳平

 若いころから老境に憧れを持っていた。50歳を過ぎたら社会から距離を置き、漢詩に親しみ、晴耕雨読の生活を夢見た。私だけでなく多くの人が同じような夢を見るのだろうが、現実はそう甘くはないようだ。思い通りに仕事が進めば進むほど、逆に責任ある地位で人はより忙しくなり社会や人生から「退く」ことは困難になる。いっそ社会の落伍者になるほうが隠遁の近道と気づいたときは、身動き取れないところまで追い込まれている。このなんという人生のパラドックス。地位もお金も要らないと思ったときは、身体はボロボロ、他人サマに迷惑をかけてしか生きられない境遇になっていて、そのとき本当に大切なものが地位やお金だったりするのだから神様は意地悪だ。「40歳からの漢詩」というサブタイトルのついた本書は、小生のようなボンクラ中高年のために書かれた上手に年をとるための指南書である。その手引きとして漢詩が上手に使われている。先人たちの知恵と素養に自分自身を重ね合わせながら、失われた時間を取り戻し、見苦しくない死への準備を言葉の中に捜しながら、心の豊かさを言葉というお金で貯金する方法を教えてくれる。

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