Vol.147 03年6月28日 週刊あんばい一本勝負 No.143


盛岡、仙台の旅

 久しぶりに新幹線で途中下車の旅。打ち合わせの場所に向かう途中、盛岡市街の中央町で「とんでもないわ!」というスナックの看板を見つけて大笑い。タクシーの運転手に「盛岡では有名なオカマバーです」と教えてもらう。確かお菓子の「ウンコちゃん」というのも岩手県人のネーミングだった。なかなかここの県民はことばのセンスがいい。それと盛岡にはしゃれたギャラリーが他県に比べて多い。この日も古い倉庫を改造した「ギャラリー彩園子」に寄る。建物全体がアートしている画廊空間というのは東北で珍しい。

盛岡のギャラリー
 その日のうちに仙台に移動。この街はあいかわらず専門学校タイプの若者たちで溢れ、一目でヤクザとわかる中高年がいたるところで目に付く。打ち合わせ場所の駅前ホテルでも客の半分がヤクザ風だった。これは普通ではない。何か大きなイベントでもあったのかも。仙台での打ち合わせは力が入った。この街にはものすごい石油(著者とテーマ)が埋蔵されているのだが、いかんせんコストがあわない。掘り出しても経費割れしてしまうのだ。そこをどうにかするのが今後の課題。夜会うことになっていた結城登美雄さんには時間切れで合えず最終便の東京行きの新幹線に飛び乗る。友人の陶芸展もギャラリー休業日でダメ。ひとつの打ち合わせに熱が入りすぎた結果だが、いったん東京にもどって次の日にまた仙台にくるという荒業も、東京事務所のおかげで可能になったわけで(交通の便や宿代がかからない)、これからは東京・仙台の往復が増えそうである。
(あ)

ポスターの力・田中一光展を観る

 東京の木場にある東京都現代美術館は事務所から東西線一本でいける場所にある。お隣の木場公園も含めて東京では最も好きな場所と美術館だ。そこで開催されている「田中一光回顧展―われらデザインの時代」を観てきた。デザインという世界が日本の美術史のなかでカッコたる地位を確立するために、この人の仕事がどれほど有効だったのかのかを窺い知ることのできる展覧会である。デスプレーもすばらしく作品はすべて空のペットボトルで作った壁に展示されている。これが驚くほど美しく、壁面そのものが現代的なアートになっている。会期は8月31日までなので、これはお奨めの展覧会。

田中一光のカタログ
 また、同じ会場では常設展示「日本の美術、世界の美術…この50年の歩み」をやってて、いきなりサム・フランシスの大壁画からはじまって横尾忠則や長谷川利行まで引っ張る過激でセンシティブな構成でかっこいい。田中一光を観て、世界の作家たちの作品を年代順にたっぷり鑑賞して、3時間、1000円の入場料、疲れたらお隣の木場公園でお休み。贅沢な東京の休日でした。
(あ)

エコロード・鬼首道路

 温泉郷として名高い秋ノ宮(秋田県雄勝町)と鳴子(宮城県鳴子町)をつなぐ鬼首道路(13・7km)は、エコロードとして知られています。エコロードというのは、「生態系」(エコシステム)に配慮し、自然とのふれあいを大切にした「道」(ロード)という造語です。
 道路が通る区域の数多くの貴重な動植物や、広大なブナ林などの生態系をできるだけ壊さない工夫をいたるところに施したこの道路は、全体の6割をトンネルと橋が占めています。そのことについて、エコロードをつくる計画から関わった植物の専門家(女性)の、面白い話しを聞く機会がありました。
 最近の山岳道路は、山ひだを縫って道を切り開くといったようなものではなく、長大なトンネルと橋をつないだ道路であることが多くなっていますが、この鬼首道路の場合はエコロードらしい理由でした。区域の植生をすべて調査し、植物に影響のないルートを選んで道路をつくろうとした結果が、山をくりぬいてトンネルを通し、谷に橋を架けることになったのだそうです。
(七)

美しいブナ林を守るためトンネルと橋が多くなった鬼首道路

今週の花

 今週の花はデージー、しぼりカーネーション、りんどう。本当はアステルベという花もあったのですが、撮影日まで良い状態を保つことが出来ませんでした。
 デージーというと10センチくらいの茎に2〜3センチ程の小さな花を咲かせる植物を見慣れているので、こんなに大きいデージーもあったのかと驚いてしまいました。デージーの語源は「day's eye」。太陽がでている時だけ花を開き、曇りの日や夜には閉じてしまうことがその理由。和名では「雛菊(ひなぎく)」。ひな祭りの頃に咲き、雛人形のように可愛らしい花という意味です。英語では「measure of hearts」という別名もあります。たくさんの花びらを一本づつ抜いて恋を占う「花占い」に使われたことから名付けられたそう。物の本によると、ツタンカーメンもこの花をデザインした首飾りをしていたり、イタリアの国花になっていたりとヨーロッパでは古くから親しまれている花のようです。
(富)

No.143

新宿二丁目のほがらかな人々(角川書店)
新宿二丁目のほがらかな人々・著

 著者は「新宿二丁目のほがらかな人々・著」となっていて、30代と40代の男性3人による鼎談である。インターネットのHP「ほぼ日刊イトイ新聞」に連載されていたもので、このHPから本になるものを私はかなり読んでいる。はずれがないということもあるが、なにより糸井重里という人物の魅力に負うところ大。この人やはりタダモノではない才能の持ち主である。それは毎日HPの自分の「ダーリンコラム」を更新する地味な持続力とその枯れることのない内容の面白さを読めばわかる。本書はいわゆるオカマ3人によるしゃべくりだが、日ごろテレビなどでおすぎやピーコなどの毒舌を耳にしているせいか、内容にそれほど驚くべき「毒」はないが、そのかわり暮らしのなかの繊細なセンスや人間としての生き方の誠実さが浮き上がる構成になっている。少々説教くささも免れないが、このまじめさには意表をつかれた。この手の本はとにかく過激に、過剰に、自分たちの異常さをこれでもかこれでもかとアピールするのが常套になっているのに、そのくどさはない。さわやかな風が通り過ぎ「いい感じ」の読後感が長く続く。このへんも聞き手でありプロデューサーである糸井の類まれなる編集センスといっていいかもしれない。

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