Vol.149 03年7月12日 週刊あんばい一本勝負 No.145


小林一博さんを送る夕べ

 七夕の7月7日、市ヶ谷にある私学会館で、5月3日に亡くなった出版評論家の小林一博氏のお別れの会が開かれ行ってきました。20年ほど前から、小林さんには主に私自身が出した本に対していろいろアドヴァイスをいただいていました。酔った勢いで九州と東北の魚の違いで激論を戦わせたこともありました。日本エディタースクールや地方小出版流通センターの構想、発案者として出版の世界では大変な功績のあった方で、私ごときがお付き合いなどというのは面映いのですが、アンバイ、アンバイとよくかわいがっていただきました。送る会には200人近い参列があり、模索舎の五味さんから小学館の大賀社長まで、とにかく多士済々な顔ぶれで驚いてしまいました。懐かしい顔も何人かいたのですが、会場はごった返していて一人一人と挨拶している状況ではありませんでした。『出版半生記』という遺稿の出版記念会も兼ねていたので、盛りだくさんの内容の感動的な会でした。小林さんの生涯に、この場をかりて改めてお別れを言いたいと思います。合掌
(あ)
会場風景と発起人の方々

東京は梅雨まっただなか

 7日(月)に東京に入り、この週は東京事務所。ずっと曇り空でうっとうしい湿気が体中にまとわりついています。秋田も梅雨は似たようなものですが合間にけっこう好天が続いたりします。温度が上がらないおかげで、汗っかきの私にはすごしやすい1週間でした。コンスタントに人に会い、スケジュールをこなし、家事もスムースにできるようになりました。この次は8月初旬に来る予定ですが、これは暑いだろうな。それでなくとも、真向かいの木造家屋の解体作業が続いていて、この工事音が這い登って8階までリアルに響いてくるし、深夜も救急車のサイレン音(牛込消防署があるため)や目の前の交番から拡声器でドライバーへの警告が浴びせられるので、飛び起きてしまうことも度々です。この音の暴力にも少し慣れつつあるのに、熱帯夜まできたら秋田に逃げ出したくなる可能性大です。東京は秋と冬が好きですね。
(あ)
梅雨空の東京と解体作業

忙しい留守部隊

 今週は舎員旅行や舎長の東京出張などで、舎に残っているのは岩城と渡部のみ。普段は6人いる事務室は二人だけで、編集、営業、雑務などをさばいています。人はいなくても、進行中の制作本の原稿やら校正ゲラなどのあがりに休みはありません。今月も増刷を入れて6冊の本が出来る予定で(異様ですね)、印刷所→舎長→著者→校正者などを結んでテンヤワンヤの一週間でした。

出張中の舎長の机
 出たばかりの『ひとり出版社「岩田書院」の舞台裏』の出足がすばらしく、全国から注文が舞い込んでいます。自画自賛ですが、興味をそそるタイトルですよね。おまけに、先月出た『フラワートレッキング 秋田駒ケ岳』や『仙台とっておき散歩道』などの売れ行きが芳しくて、追加注文がかなり入ってきて、ワヤになっています。また、新聞に紹介された本も多く、「どこに行けば買えますか」との問い合わせ電話も全国から入ります。土日返上で対応しているこの忙しさは、うれしいやら哀しいやら、というところでしょうか。
(七)

No.145

かえっていく場所(集英社)
椎名誠

 この著者のあまりいい読者ではないが、個人的には好きな尊敬する作家である。これだけ長く活字の世界で活躍しているというのは生半の才能の持ち主ではできることではなく、それは折々の週刊誌のエッセイなどでも片鱗をうかがい知ることはできる。が、やはりこうしてまとまった形の「私小説」を読むと、改めてこの作家の自然体の「すごさ」に感心してしまう。子供たちが独立し、更年期に苦しむ妻をかかえた主人公が、その心模様を飾らず雑記風に淡々と書き綴っているのだが、さわやかな風が読者の身体を吹きぬけていくような爽快さと、しみじみとした幸せの充足感を併せ持つ「家族の物語」である。人生の中で誰もが避けて通ることのできない家族や友人との出会いやわかれ、喜びや悲しみを、著者はほとんど飾ることなく正直に真正面から、技巧も凝らさず書いている。その素朴さに説得力がある。息子や娘との会話はぶっきらぼうだが、そのそっけなさのなかに逆に計り知れない愛情が行間に埋め込まれているのが、同じような子を持つ私にはよくわかる。何も事件はおきないし、家族にも決定的な問題が起きるわけではない。それでも物語は静かにドラマッテックで、最後まで読み通させる力を秘めている。

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