Vol.150 03年7月19日 週刊あんばい一本勝負 No.146


書店東北ブロック大会が東京で!?

 秋田県が当番県になる第55回「書店東北ブロック」が東京九段のグランドパレスで11日に開催、小生は基調報告のため出席してきました。東北のイベントを東京でやるというのは奇異な感じは否めませんが、話をきくと書店さんの取引相手である取次や出版社はほぼ東京に集中しているので、その仕事先で自分たちの存在をアピールするというのは理にかなっているし、交流にも最適地なのだそうです。

基調講演する安倍
 それを裏付けるように、かなりの数の取次や出版社、広告媒体関係者が参加していました。「地元で開催してくれれば温泉宴会付の出張になるんだけどねえ」という不届き出版社もいましたが、おおむね東京開催に好意的な意見が多いようでした。地方分権が叫ばれている現状とは裏腹に、将来はこうした首都集中の会議やイベントが増えていくのかもしれません。ほぼ丸一日、書店さんと付き合い、特に秋田県の書店主たちの若返りがはじまっているのに驚きました。30代の書店主がけっこういるのです。厳しい出版不況の時代に彼らのフレキシブルな叡知が今ほど必要とされている時はないでしょう。がんばって欲しいものです。私自身もいろいろ考えることの多い一日でした。
(あ)

今年の県費留学生、フェリッペ君です

 今年もブラジル・サンパウロからはるばる県費留学生がやってきました。梶本・大石・フェリッペ・明君です。名前からお分かりのように去年のブラジル研修生ジュリアーナさんの弟です。秋田では秋田大学経済学部で勉強します。まだ日本に来て日の浅いフェリッペ君から電話があり昨日一緒に食事をしてきました。日本語は片言ですが流暢な英語を話し、スペイン語もペラペラ、なかなかシャープな若者です。

デジカメをもったフェリッペ君
 彼のオジサンにあたるホベルト大石博道さんは、私がブラジルに行くといつも面倒をみてもらっている恩人で、お互いの息子をホームスティさせて交換短期留学させたりする仲です。その甥っ子ですのでやはりVIP待遇です。このニュースにも度々顔を出すことになると思いますので、よろしくお見知りおきのほどを。
(あ)

船のない港

 6月末から北海道取材をはじめましたが、一部の離島を除き北海道のほとんどの海岸線を車で走ることになります。今回の取材は何冊かの「北海道もの」の本を作るために行っていますが、現地報告のような形で無明舎出版のホームページに「北海道みなと紀行」を連載する予定でいます。そのため途中にあるほぼすべての港に立ち寄り、写真を撮っていますが、各地の漁港には驚くほど人がいません。漁場から漁港に船が戻る早朝などにはそこそこ人がいるのでしょうが、日中は皆無という漁港が目に付きます。漁船も漁港の規模に比してかなり少なくまるで過疎地のようです。中には魚介類の特産化が成功したり、加工品の売れ行きがよかったりして活気のある所もありますが、小型の漁港は押しなべてゴーストタウンのようです。ある漁港で以前漁協に勤務していた、というおじさんに話を聞くことができました。船が少なく人の姿が見られないのは後継ぎがいない、魚価が安く採算が取れないので廃業した、遠洋で盛んに魚が獲れたころ漁協の勧めで大型船を購入したが200カイリ問題で魚が獲れず手放し借金が残った、などの理由で漁民が減ったとのことでした。「とにかく昔のように魚が獲れないんだよ」とさみしそうでした。
 これまで取材したのは全行程のまだ1割ほど。この先どのような港が目の前に現れるのかほとんど予想がつきません。漁期のタイミングがよければ漁港は沸きかえっているでしょうし、相変わらず人がいないため話を聞くことが難しい漁港も多いでしょう。何百もある北海道の港を回っているうちなにかが見えてきそうです。「北海道みなと紀行」は近々連載を開始します。
(鐙)

檜山支庁瀬棚町字元浦の虻羅漁港

No.146

一九七二(文藝春秋)
坪内祐三

 ある一年を切り取って、そこに自分史を投影させながら物語を紡いでいく、という方法には昔から心惹かれるものがある。1958年生まれの著者が選んだ1年は「1972年」。高度成長期の大きな文化変動は1964年に始まり、1968年をピークに1972年に完了した、という著者の認識によるものだ。1972年こそはひとつの時代の「はじまりのおわり」であり「おわりのはじまり」でもあるという。著者はこのとき14歳。私自身はといえば、この年22歳、大学生だったがもうキャンパスにもどる意欲はなく、意を決して無明舎を旗揚げした年である。だから私にとっても記念すべき年ではあるのだが、実は世の中に何か起きているのかほとんど関心がなかった。連合赤軍事件や「ぴあ」の創刊、田中角栄が首相になり、「太陽にほえろ!」がテレビで放映された…と事件を列挙されても、その事実は知ってはいたが、とにかく自分が生まれてはじめて乗出した社会への第一歩を固めるのに、すべての精力を注いでいたせいか、外界には何の興味もなかった。へぇ、あの年にはこんなにいろんな事が起きてたんだ、というのが正直な読後感である。

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