Vol.163 03年10月18日 週刊あんばい一本勝負 No.159


『ラルート』表紙撮影

 『ラルート・27号』の表紙撮影を、秋田市御所野ジャスコ前で行いました。紅葉の並木道を歩く親子という、秋らしいシチュエーションです。モデルは私の友人と3歳になる息子さん、撮影は小阪カメラマン。デザイナーの野口さんが立ち合い、表紙のレイアウトを考えながら撮影ポイントやモデルの歩く場所などを指示しました。親子で手をつないで歩道を歩いてもらいながら、「もうちょっと左を歩いて」「もうちょっとゆっくり」などと小阪さんが注文をします。

撮影風景
 途中、厚い雲が出てきてしまったので、再び太陽が出るまで20分くらい待ちました。やっと陽が照ってきたかな…と思うとまたすぐに雲に隠れてしまう、というようなことを繰り返しましたが、3歳の息子さんは楽しそうに何回も同じ場所を歩いてくれました。陽が照っている時の写真とそうでない時の写真は、出来上がりの色の鮮やかさが全然違うため、撮影の時にはよく「太陽待ち」をします。今回は小さな子供がいるのでちょっと大変かな……と考えていたのですが、落ち葉を拾ったり木の実で遊んだりしながら楽しい数時間を過ごしてくれたようでした。きれいな表紙になりそうで楽しみです。
(島)

子どもたちの緊急避難場所

 何か突然道徳的になったようで恥ずかしいのですが、子どもたちを不審者や変質者の被害から守るための「子ども緊急避難所」として無明舎が場所を提供することになりました。といっても何か特別なことをするわけはありません。事務所玄関に「避難場所」を明示したステッカーを貼っているだけの話です。本来、町内のタクシー会社や郵便局といった場所が「避難場所」として代表的なところなのですが、このへんは住宅地でそうしたオフィシャルな場所が少ないこと、かつ日中必ず事務所に人がいる、という理由でわが舎が選ばれたようです。あなたたちこそ町内の「変質者・不審者」ではないのか、という外野席の声もありますが、まあ、それは難しい問題なのでここでは論じないようにしましょう。

これが玄関のステッカー
 でも、なんとなく社会の一員としてまっとうに認められたような晴れがましさを感じるのは大げさでしょうか。あまりにも長い間、社会(秋田)からまっとうな評価をいただけないまま今日に至った恨みが心の隅に巣くっていて、社会に対する劣等感が人並み以上に強いからかもしれませんね。レヴェルが低い話で申し訳ありませんでした。
(あ)

トッパンの「印刷博物館」は超穴場

 神楽坂の事務所から歩いて5分ほどのところにあるトッパン印刷本社ビルの「印刷博物館」にこの3連休の期間に行ってきました。「印刷かあ〜」という感じで敬して遠ざけていたのですが、これがとんでもないまちがいでした。いやはや本当にダイナミックで知的好奇心を充分に満たしてくれる、博物館としても超一級のレベルに度肝を抜かれました。そんじょそこらの税金で作った県立ナントカの職員や為政者はここに来て自らの不勉強を恥じるべきだと思います。この日はたまたま企画展として「ドイツの最も美しい本展」と「活字文明開化―本木昌造が築いた近代」展の2つが開催中でした。前者は去年京都のドイツセンターで同じものを観ていましたが、日本で初めて活版印刷をはじめた「本木昌造」の特別展は、日本の近代を「印刷」から切り取るという見事な構成で、ゆうに1時間は釘付けになること請け合いです。地下の常設展示も「印刷」という世界を超えてコミュニケーション・メディアの過去から未来までを見据えた、わかりやすい展示(感じる、見つける、判る、つくるという4つをキーワードにしている)で観る人を飽きさせません。コースの最後にはなんと本物の活版工場が「再現」してあり、希望者には実際に活字組をさせてくれるサービスまであるのですから驚きます。もうリピーターになってしまいそう。
(あ)
特別企画展のポスター

今週の花

 今週の花はリンドウ(紫・白)、マトリカリア、スナップ。スナップはキンギョソウのこと。ギリシャ語では「アンテリナム」と言い、「鼻のような」という意味。英語では「スナップドラゴン(ドラゴンの口)」。同じ花でも見る人や国柄によって連想するものが違うのですね。さらに、キンギョソウは「エディブル・フラワー」という食べられる花の一種。単なる飾りではなく、ビタミン豊富な食材なのだそうです。花びらだけをサラダや酢の物にすると、結構イケルらしい。私も今まで何度かエディブル・フラワーを食べたことがあります。例えば「道の駅しょうわ」(秋田県昭和町)のレストランや「秋田薬用植物園」(秋田県天王町)ですが、ナスタチュームしか覚えていません。どんな味だったかも記憶が曖昧。次に食べるときは何の花でどんな味か、ちゃんと覚えておこうと思います。
(富)

No.159

また会う日まで(新潮社)
早瀬圭一

 千葉・房総にある高級有料老人ホーム「ラピドール御宿」のノンフィクションである。副題は『「黄金の人生」という名の老人ホーム』、ラピドールは「黄金の人生」という意味だそうだ。老人ホームの実名を出している以上、人権や名誉毀損を勘案してそうひどいことは書けるはずがない。批判性のないヨイショ・リポートを金まで払って読ませられるのはゴメンこうむりたい。が、著者はこの手のルポでは定評のある元毎日新聞記者で大宅賞受賞作家である。ただのヨイショ記事を書くはずはない、と信じて読み始めたのだが、さすが最後まできっちりと読ませてくれる。同じノンフィクション作家である久田恵が母親の老人ホーム入所顛末をルポした本も面白かったが、これは老人ホームを舞台に自分や家族のことを書いた「私作品」だったからだ。本書は真正面から高級老人ホームの現実と向き合ったルポでおのずとテーストは違う。どのような切り口で老人ホームや入居者、経営陣を料理のまな板に乗せるのか興味深かった。やはり的ははずさない。たいしたものだ。最後のエピローグで、著者はそれまでの淡々とした客観的視点を翻し、堰切ったように自分が大学教師なったいきさつや母親との葛藤の歴史を告白している。それが作品のトーンを損ねず逆にいい後味を残すスパイスになっている。

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